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第二十話 決裂

マルスが帰城したと言う報は、すぐさまアールマティにも伝わってきた。


随分とゆっくりしたご帰還だこと…。

アールマティは皮肉げに思いながら、あといくらもしないうちにマルスがここへ来るだろう事も予想が付いている。

ミネルヴァとグロアをルビーの寝室に付け、マルスから離す。こうしておかなければ、あの血の気の多い彼の事だ。病み上がりのルビーを引っ張り出しでも下女の仕事に向かわせようとするはずだ。


幸いにも、腐敗してぐちゃぐちゃになっているだろうと思っていた王宮にも、多少なりとも何人かは心ある臣が残っていた事に、安堵と言うよりも感動を覚えた。

組閣して、アールマティが国を去った頃より大分その数は減ったが、その良識ある臣の顔は全て見知っている。懐かしさに頬が緩んだが、今はその様な悠長な事を言っている場合ではない。



マルスを廃さなければ、カーン国は沈む。それでなくとも、ルビーを無傷でヴァシュヌに帰さなければ、この国の命数は尽きる。


あの黒尽くめの、禍々しいまでに美しい男によって。



もう迷っている時期は過ぎたのだ。




臣達もまた、ルビーの処遇に付いては目を逸らしていた。助けたくても助けられないジレンマが彼らを苦しめ、それが更にルビーの不幸に拍車をかけた。

なまじ迂闊に手を貸すと、自分が消されるのだ。悪いと思ったが見て見ぬフリを通して来た彼らを、ルビーは何の躊躇もなく許した。



助けてもらう云われはない。そう言って。



そして、自分を助ければ、その人にまで迷惑がかかると言う事まで理解していたのだ。あまりの優しさに、これからはルビーが悲しまないようにしなければと言う意識が生まれた。そして、そんな結束が生まれた時にアールマティが帰って来たのである。すぐさまアールマティの元へ馳せ参じ、これからはマルスを王と仰がずアールマティに忠誠を誓った。


そう言った一連の出来事により、今やカーン王宮は皇太后派と王党派で真っ二つに分かれた。

そんな中でのマルスの帰還だ。紛糾するであろう事は想像に堅かった。


これからマルスとの話し合いと言う名の戦をする。

相手は即位してまだ二年足らずの王。かたやこちらは、長年王妃として王の政務を助け、尚且つ自分の事業も手掛けた皇太后。追放されていたとは言え、それはあくまでも重臣意外の者には知られておらず、民を率いる力は圧倒的に自分の方が有利だ。現に、アールマティらが戻って来たと知られるやいなや、覇気の無かった民達の顔に、安堵の表情が浮かんでいるらしい。ミネルヴァが集めた反乱軍の報告によれば、街の様子も少しだけ変わったということだ。

その事に頬を緩めつつ、一歩も引かないであろう相手を思いアールマティは少し肩の力を抜き、同席していた息子と他愛の無い会話を始めた。



「シャリヴァー、貴方ルビーを好きになったりした?」


「また何を言い出すかと思えば…冗談でも止めて下さいよ、母上。僕はまだ命が惜しいんですから」


「ふふっ…そうねぇ。ルビーに手を触れたら、火傷どころじゃないものね。それよりも、いつ貴方は妻を紹介してくれるのかしらと待っているのに、一向にそんな素振りがないんですもの」


「全く母上は…僕はまだ結婚するつもりはありませんよ。と言う事で、孫はまだ待って下さいね。それまで長生きしてください、母上」


「あらまぁ。随分と気の抜けた返事です事。亡きお父様が聞かれたら、御嘆きになりますよ」



くすくすと場にそぐわない、のほほんとした雰囲気に包まれた部屋にようやくアールマティとシャリヴァーが待ちかねた人物が現れた。

荒々しく扉を開け、部屋に入ってきたマルスに眉を顰めたアールマティは、はーと溜め息をついて手にしていたお茶を一口飲んだ。



「礼儀を(わきま)えなさい、マルス」


「弁えるのは貴女です。城を追い出された分際で、何をのん気に茶など飲んでいるんですか?よほど処分されたいと見える」


「…ちょっと目を離した隙に、随分と粗野な言葉遣いになりましたね、マルス。貴方、仮にも皇太后を前にして、その態度は如何な物なのかしら」



マルスのイライラしていると言ってもいい顔に、別段気にしていない風のアールマティ。

傍目には、早くもどちらが優勢なのかがよくわかる。冷静にそんな事を考えながら、シャリヴァーは兄であるマルスの顔を、随分と久しぶりにまじまじと見ていた。


男らしい、キリッとした顔は記憶の中にある頃よりも、更に洗練された感がある。

だが、シャリヴァーにはどうも薄っぺらい、見た目だけの、中身の全く無い男にしか見えなくなっていた。その原因はわかっている。



あの黒尽くめの、ヴァシュヌ王家親衛隊総隊長の男。



確かに人外の美しさで、シャリヴァーを畏怖させた。だがしかし、美しさだけではない、内面から滲み出る強さ。しなやかな獣のような、隙のない仕草。


何よりも、絶対的な自信。


それら全てを、あの男は持っている。



そして…ヴァシュヌ王家、何よりもルビーに対する、執着とまで言って良いほどの忠誠心。



あれを敵に回すとなると、きっとカーン国軍ですら止める事は出来ないだろう。



ヴァシュヌもとんでもない者を持っている。

恐ろしさと同時に、それほどまでに仕えてくれる忠臣を羨ましく思った。



シャリヴァーがそんな事を考えている最中にも、アールマティとマルスの話し合いは続いている。

話し合いと言うよりは、怒鳴る王と、それを冷ややかな目で冷静にいなす皇太后。端から見たら、単なる親子喧嘩のようだ。ただ、内容が国の根幹に絡んでいるため、どちらも一歩も譲らない状態だ。



「アビゲイルのどこが気に入らないのか知らないが、私が決めた事だ。いちいち口出しをしないでもらいたい!」


「いつ口出しをしました。貴方が勝手に決めた事に、今更反対はしません。ただ、見る目がないわねと言っているの」


「見る目!?彼女は美しく、慈悲深い人間だ。それのどこが見る目がないと!?」


「そこがよ。マルス、貴方、アビゲイルの外面しか見てないの?なる程、貴方達お似合いの夫婦だわ。おめでとう」



アールマティは手をパチパチと叩いた。皮肉にしか聞こえないそれを、最早我慢ならんとばかりに、帯刀していた剣に手をかけたマルスを、シャリヴァーが努めて冷静に押し止めた。



「兄上、お気を沈めて下さい。今ここで母上を斬ったとしても、それは許される事ではありません」


「黙れ、シャリヴァー!!!お前も斬られたいのか!!」


「だから、落ち着いて下さいと申し上げているんです」




ちっ、と舌打ちをして剣から手を離したマルスの怒りの矛先は、異母弟シャリヴァーへと向かった。



「そういえば、シャリヴァー。お前、アレを抱き締めたいたとか」


「アレ?」


「ヴァシュヌの姫だ。ま、最も今はこの国の下女だがな。アビゲイルが口添えしなければ、奴隷専用の人形にでもしたものを。そうだ、あれだけみすぼらしい皇女とは言え、一応はヴァシュヌの姫だ。地味なお前にはぴったりではないか?はははっ!そうだ、それがいい!!シャリヴァー、お前はあの姫と婚姻すればよい!そうすれば、ヴァシュヌの国境も開かれるだろうよ!!」



一人笑うマルスを、信じられないように見るアールマティとシャリヴァー。その次の瞬間、パァン!と音が響き、間髪入れずにゴッと鈍い音がした。そして、マルスがその場から吹き飛ばされた。

マルスの頬を思い切り平手打ちしたアールマティと、母が叩いた反対の頬を殴ったシャリヴァーは、怒りを露わにして、呆然としてその場に座り込んでいるマルスに一喝した。



「マルス、貴方自分で何を言っているのかわかっているの!?一国の皇女を奴隷専用の人形だなんて…愚かにも程があります、この痴れ者が!!」


「最低です、兄上!!僕は心底貴方を見損ないました!!殴った事は謝りません。むしろ、いい薬だと思って下さい!!」


「それに奴隷とはなんです!奴隷制度はとうの昔に廃止したではありませんか!それを復活させたと言うの!?本当に愚かな王だわ。愚王と呼ばれても当たり前だと思いなさい、この馬鹿者がっ!!!!」



二人に怒鳴られ、呆然としていたが、我に返ったマルスは猛然と激昂した。



「貴様らぁ!誰に手を上げたと思っている!!私はこの国の王だぞ!王に手を上げた者の罰は何だか知っているんだろうな!?」



真っ赤になって怒るマルスを、背筋が凍るほど冷たい目で見たアールマティの表情は既に無い。



「貴方が王だなんて笑わせるわ。何もわかっていない、子供の遊びのようなものじゃない。マキディエルが存命だったら、決してお前を王位になぞ就けなかったでしょうね」


「ふざけるなっ!!おい、衛兵!この女と息子を今すぐ牢に連れて行け!」



アールマティの部屋の護衛として付いていた衛兵達は、一瞬唖然として、それから猛烈に抗議し始めた。

部屋を護っていた彼らもまたアールマティ派であり、ルビーを守りたいと裏で結束していた数少ない味方だ。それ故に、必死に抗議をしたのである。そのあまりのしつこさに更に苛々としたマルスは「もういい!」と怒鳴った。



「どいつもこいつも…っ!もういい!勅命で、貴様らを処刑する!処刑日は明後日、それまで貴様らを纏めてこの部屋に監禁する。処刑は公開だ!!黙って追放されてれいれば良かったものを、のこのこと城に来おって!!どちらが痴れ者だっ!!!」



そう言い吐き捨てて、マルスは来たときと同様に、荒々しく出て行った。



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