第十六話 帰城
アールマティが王城へと着いたのは、すでに日がだいぶ傾きかけている時間だった。
来るはずの報告もされておらず、事実上追放されていた皇太后と王弟の突然の帰城に狼狽える者ばかりで、その狼狽えぶりで大体の王宮の内情が窺える。
その最たる例が、あろうことか総理であるベルフェゴールだった。
「皇太后陛下、それにシャリヴァー殿下!何故ここに!」
バタバタとみっともなく走って来たこの国の総理は、昔の面影など見る陰もないほど肥えている。
ベルフェゴールは、マキディエルの治世時代官僚とは名ばかりで、詐欺や横領などの犯罪に手を出していると噂されていた。しかし、巧妙に捕縛の手を逃れ続け、先王崩御後は、官位を金で買ったと悪評高い佞臣中の佞臣である。
総理就任と言う一報を聞き、マルスに対して猛抗議したのだが聞き入れられずに、未だベルフェゴールはその地位に居座っている。
「お久しぶりね、ベルフェゴール」
「元気そうで何よりだ。ところで、兄上はどこにいらっしゃるんだ?母上と僕をいつまでもこんな所で待たせるわけじゃないんだろう?」
冷ややかな二人の声を聞いて、脂汗から冷や汗へと変わったそれをハンカチで拭いながら、ベルフェゴールは必死に言い訳を始めた。
今は離宮を造る為現場を観に行っているだとか、手の放せない案件があるだとか、軍の訓練を見学しに行くだとかだ。
一向に要領の得ない回答に業を煮やしたアールマティは、ベルフェゴールに苛立ちを込めた声で問いかけた。
「それは私に会う事よりも重要なのかしら、ベルフェゴール。折角戻ってきてあげたのに」
「はっ!?」
「まあ、いいわ。では、王妃に会いに行くわ。案内しなさい」
「ああああの!今、王妃様はご懐妊されておりまして!!」
「だからどうしたと言うの?本来であれば、皇太后の私に、王妃であるあちらから訪ねて来るのが筋でしょう。それをわざわざ私が出向こうと言うのよ。礼儀知らずはどちらなのかしら、ねぇ、ベルフェゴール」
全く目が笑っていないアールマティに、ベルフェゴールを始め、そこにいた者達が青ざめた。
元来アールマティは怒る事が少なく、それを見たことがない者達が殆どだ。にも関わらず、今そのアールマティが怒気を表しているのだ。
後宮にいる王妃へ急いで先触れを出し、へこへこと後を付いて行くベルフェゴールは、内心とんでもないことになったと戦々恐々としていた。
久しぶりに足を踏み入れた後宮は、見るからに豪奢な物へと変貌を遂げていた。
全く身の丈にあっていない、豪華な装飾品の数々を見ながらアールマティは我知らず眉を顰めた。隣を歩くシャリヴァーも、最早呆れて物も言えなくなったらしい。心底嫌そうな顔でむっつりと歩いている。
「では私はここで失礼を…」
ベルフェゴールが汗をかきかき案内した部屋は、昔自分が住んでいた部屋とは思えないほど変わり果て、所狭しと絵画や美術品が置かれていた。
悪趣味だと心でボヤいていると、奥から侍女を従えたアビゲイルが現れた。
「あら、追放された皇太后がこの様な所で何をなさっているんです?」
「うふふ、それでも私はカーン王国の皇太后なのよ。王妃の分際で皇太后である私に口を慎もうと思わないの?ところで、こんな所で話をするつもりなのかしら?」
ピクッとアビゲイルの眉が動いた気がするが、気が付かないふりをする。慌てた侍女達がお茶の準備を始め、ようやく椅子に腰掛けるようにと勧められたのだが、アールマティのとげとげしさは消えなかった。
「マキディエルの葬儀以来ね、アビゲイル。結婚式に参列出来なくてごめんなさい。招待状が届かなかったのよ。まったく、誰が取り仕切ったのかしら、気の利かない者を使ったのね」
「おや、義理姉上が取り仕切ったと聞きましたが…。まさかそんな抜けた事をしないでしょう。ねえ、義理姉上」
「秘密裏とは言え、追放された者を国の威信をかけた結婚式にお呼びするわけがないでしょう。長い追放生活でしきたりまで忘れましたか?その点を考えれば、私の王妃ぶりは及第点どころか満点でしょう?それにミネルヴァ様は出席してくださりましたよ」
くすくすと笑うアビゲイルは全く演技をしなかった。どうせ皇太后などすぐ居なくなると思っているからだ。
こう見えてもアールマティは、裏を見抜くのが得意だ。伊達に長年王妃という座にいたわけではない。だから、言葉の端々に自分達を貶そうとするアビゲイルの軽薄さと性格の悪さがよく分かってきて、さっさと会話を切り上げたいとまで思っていた。
「懐妊したと聞いたわ。良かったわね」
「はい、ありがとうございます。今はこの子を健康に生まれる事を願うばかりです」
「そうね。では私はこれで失礼するわ」
そう言って立ち上がりドアの前まで進んだが、アビゲイルが付いて来る素振りがない。それどころか、侍女ですら姿を表さない。
呆れて物も言えないアールマティは、女官長を後で自分の所によこせと言付け、その部屋をさっさと退出した。
後宮の廊下をシャリヴァーと二人歩いて、どちらからともなくため息が漏れ、思わず苦笑した。
「信じられないほど教育が行き届いていないですね。見ました?普通、退出する時は見送りするのが礼儀でしょう」
「どうせ私達を見下しているのでしょう。ミネルヴァがここから出て行くわけだわ」
「ミネルヴァ殿は礼儀に厳しい方ですからね…それにしても、母上。どう思います?」
声を落としたシャリヴァーに問われたが、何がとは聞き直さない。
ただ一言の答えしかないのだから。
「駄目ね」
シャリヴァーがふと、庭にある小池に目を留めた。あんな物は自分がいた時には無かったはずだ。調和が取れていたはずの庭が、小池のせいで本当に悪趣味極まりない庭になったなと嘆きながら、ふと目線を移すと、何やら靴のようなものが見えた。
どこぞの側室のものだろうかと思い、庭に下りてその靴の所へと歩いていくと、シャリヴァーはとんでもない光景を目にしてしまう。
倒れていたのは紛れもない人間で、それも死体のようにピクリともしない。慌ててその人間を抱き起こすと、身体がとんでもなく熱い。額に手を当てると、尋常ではない熱に狼狽えた。急いで抱き上げ、異変を知らせようと母の顔を見ると、みるみるうちに彼女の顔色が変わった。
「…何てこと…っ!ルビーだわ!!」
「なっ…本当ですか!?この子が!?」
「間違いないわ、ルビーよ!!あぁどうしよう、このままじゃ良くないわ、早く寝かせないと!!」
ちょうどそこを通りかかって遠目に見ていた侍女がいたので、すぐさま近くの部屋を開けるようにと言いつけたのだが、彼女は何が面白いのか鼻で笑った。
「必要ないですわ、だってこの子、下女ですもの。勝手に死ねばいいんじゃないですか?」
そう言った侍女。
アールマティは自分の中で何かが切れた。
「黙りなさい」
「え?」
「あなた、私を誰だと思ってそんな口をきいているの。あなた名前は?」
「…は?」
「名前を言いなさい。早く」
「どうして初めて会った方に言わないといけないんですか?それに貴女一体誰?」
「…シャリヴァー、すぐにベルフェゴールを呼んできなさい。そして、私の部屋にグロアを呼んで、早くルビーを看てもらって頂戴。私はこの身の程知らずの礼儀のなっていない侍女に話があります」
「…わかりました。皇太后陛下」
ルビーを抱いたまま、恭しく頭を下げたシャリヴァーは急いで後宮を抜けた。
ようやく自分の置かれた状況を把握した侍女は、青ざめ震えながらアールマティを見ていた。が、アールマティの目は冴え冴えと冷たい。
「私は名前は、と聞いているのだけれど」
「あ…あの……あ…」
「名前も言えないの?」
そこへ騒ぎを聞きつけた側妃の一人が慌てふためいて、アールマティの前へ跪く。
「申し訳ありません、私の侍女が失礼いたしました!」
「…貴女は確か伯爵家の娘よね。ここで何をしているのかしら」
「陛下より召されまして…」
「へえ…貴女の祖父は横領で捕まったはずよね。犯罪者の孫娘がどうやって取り入ったの?」
真っ青になった側妃を見て、アールマティは更に続ける。
「貴女達、仮にも一国の皇女のルビーに対して何をしているかわかっているのかしら。これで彼女が亡くなるような事があったら、ヴァシュヌから戦争を仕掛けられても言い訳なんて出来ないのよ。民は嘆き苦しむでしょうね。貴女方みたいな、愚かで浅はかな側妃が皇女を蔑ろにしたせいで…と」
「それに、それを容認していたマルスもな。本にマルスは見る目がないな。この後宮には、鬼女と間抜けな女ばかりだ」
「ミネルヴァ、貴女も来たの」
振り返ると、ミネルヴァが愉快そうに笑っていたが、やはりアールマティと同じく目が笑っていない。
「いくら後宮と言えど、ここまで貴様らが増長してようとはな。わからいようだから、教えてやろう。貴様らがルビー皇女にしていた数々の無体な行いは、全てヴァシュヌ側に伝わっておるぞ」
「管理出来ていないアビゲイルもアビゲイルだわ」
「そうよなぁ。聞いているのであろう、アビゲイル」
こちらに歩いてくるアビゲイルは、不敵に笑んでいる。アールマティとミネルヴァは、これが彼女の本当の顔だと確信する。
そして、全ての元凶はやはりアビゲイルなのだとも。
「まぁ、お義母様。お帰りなさいませ」
「帰ってきたくはなかったがな。馬鹿息子の愚行を止めようと思ったが…まぁ無駄だったようだな」
「アビゲイル、貴女、王妃として全くなっていないわね。王妃失格だわ」
「まぁ、皇太后様ったら酷いですわっ!今まで私の務めを見ていらっしゃらないのに、何を仰いますの?それに、追放された貴女になんか言われたくないですわ。そして、なんだかんだ言って結局ルビーを置いていったお義母様にも」
大袈裟に身振りをするアビゲイルを冷めた目で見たアールマティとミネルヴァは、二人で踵を返す。ミネルヴァは既に本性を知っているし、アールマティとて、もう何を言っても無駄なのがわかっている。
話し合いでどうにか出来る女ではない。
やはり全て壊すしか方法はない。
その場にアビゲイルと側妃、侍女達を残してルビーが運ばれた自分の部屋へと急ぐ。
その後ろ姿をギリギリと睨み付けて、口許だけを歪ませるアビゲイルの視線を感じながら。




