第十四話 虹
きな臭い。
先程の落雷で、どうやら木が燃えているようだ。これだけ雨が降っているのだ、多分消火せずとも大事ないだろう。
だが、きな臭い。
わかっている。木が燃えているきな臭さとは違う臭いだと。
「この一年でカーンを落とすだけの布石は打たせていただきました。あとは、我らが王の一言のみ。ですが今は皇太子が全権を握っていらっしゃいます。グレイプニル様が行けと言えば、ヴァシュヌの全騎士団が動きます」
静かに語られるフレデリックの言に、押し黙って耳を傾ける。
一言一句逃さぬように。
「既に国境全域に渡って、騎士団の配置は済んでいます。それに伴い、この国の反王政勢力にも支援しています。近日中にも王都へ向けて、総攻撃が始まるでしょう」
「…っ…何てこと…!」
口元に手を当てたグロアは自らの主を慌てて見やった。
アールマティは蒼白となりながらもしっかりと前を向いている。あたかも、これから起こるであろう事から目を背けぬように。
「ご承知の通り、これから仕掛けるであろう戦の原因は、ルビー様を…いや、ヴァシュヌ王国の第二皇女を不法に監禁しているマルスに対する報復でもありますが、最優先はルビー様の奪還です。そこで、皇太后陛下に是非ともお願いが」
「何かしら」
「ルビー様の身柄の保護をお願いしたいのです。もしこのまま、戦争が始まり、王宮内にいるルビー様がマルスによって殺害されるような事がありましたら、『俺』がこの国を潰します。再生の叶わぬ程」
にっこりと笑うフレデリックは本気であろう。でなければ、この場で自分の事を『俺』とは言わないはずだ。
事実、この男はやるだろう。その言葉の通り、草一本残さずこの国を滅ぼすであろう。躊躇せずに。
「…ルビー皇女が無事に戻れば戦にはならないのね」
「ご無事であれば、ヴァシュヌ側に控えてある騎士団も撤退させます。しかし、国内の反対派までは責任を持ちかねます」
「何だって!?」
気色ばんだシャリヴァーがテーブルを叩き、立ち上がる。憤っているのはシャリヴァーだけではない。護衛についている彼らも同じく怒気を纏っている。
それをチラリと横目で見たアールマティは、小さくため息を付く。
わかっているのだ、本当は。
もはや、ヴァシュヌが仕掛けなくとも遅かれ早かれカーン国は崩壊するであろうと。あれほど豊かだったわが国は、夫マキディエルが亡くなってからはすっかり荒廃の道を辿っている事も。
自分が手掛けた農地はもう無い。
自らが企画を練り、試作だなんだと試行錯誤をして作り出していた作物は確かにあった。それなのに、今やその畑が存在せず、帰ってきたらそこは、無数の墓標が立ち並ぶ墓地になっていた。
シャリヴァーとてわかっているのだ。
息子が心血を注いで開発していた鉱山や、金山銀山。全て廃鉱に追い込まれる程無計画に採掘され、今や見る影もない。鉱山等が廃鉱になった為に、職を求める者達が街に溢れかえっている。シャリヴァーがいた頃は、失業率はカーン王国全人口の一割にも満たなかったのに、マルスが王位に就いてからはねずみ算式に増えている。当然、国が保障や保護をしているわけではないので、必然的に治安が悪くなっている。
何もかもが自分達のいた頃、いや、マキディエルが崩御した時から変わって行っていたのかもしれない。
落胆しているシャリヴァーを宥めるように、背をさするアールマティはそれでもしっかりと前を見据えていた。
これからの事を考えねば。戦は避けられない。例えヴァシュヌが介入しなくても、酷い内戦状態になるのは目に見えている。民の鬱憤は、それほどまでにマルスへ向かっている。
いや、マルスだけではない。王妃アビゲイルもであろう。彼女の豪奢な生活ぶりは、既に民の知るところである。もしかすると、アビゲイルもマルスと一緒に討たれるやもしれない。
そう考えて、フレデリックに口を開こうとすると、片手を上げて制される。
「あの女は既にカーン王国の王妃です。貴国の税を惜しげもなく浪費した責は、この国の民に裁かせてあげるのが筋でしょう。今更ヴァシュヌに頼ろうとて、我が国が手を貸さない位わかりますでしょう」
「だけど、貴方ヴァシュヌの国の王女でしょう。生国が守ってあげるのは当然ではなくて?」
「………」
「それに、アビゲイルをそこまで毛嫌いするのは何故なの?噂では、第一皇女であったアビゲイルは、ルビーが生まれてから、第一皇女でありながら彼女の母バンシーも肩身の狭い思いをしていたとか。バンシーは我が国の民です。無体な行いをしたのは貴方方ではないの!それを棚上げにする気なの!?」
興奮のあまり声を荒げたアールマティだったが、すぐさま平静を取り戻し、再びフレデリックに問う。
「マルスは言っていたわ。『あのように身も心も美しいアビゲイルが何故ヴァシュヌ王家から迫害されるのかわからぬ』と。私もその事には同情するわ。でもだからと言って、今アビゲイルがしている事に賛成は出来ない。」
「…美しい?」
ぼそりと呟いたフレデリックのそれは、明らかに不快感を含んだ棘のあるもので、目は生気を感じさせないほど無表情だった。
「あの女が美しい?ルビー様が誕生日の祝いにと贈られた物をいともたやすく壊しておきながら、その手でルビー様を慰めたあの女が?」
「え?」
「ルビー様のご厚意を表では笑顔を浮かべ受け取っていたのにも関わらず、裏では嘲笑を浮かべ口汚く罵っていたアレが?」
「フレデリ…」
「自分の置かれた状況を全てルビー様への悪意と憎悪へと変えたあの女が美しいだと!?ふざけるのも大概にしろ!!それでルビー様が一体どんな目に合っていると思っている!!」
激怒した彼の目は、確かに炎が宿っている。それは、先程までの冷たい炎ではない。
黒く燃え上がる獄炎。
激怒したフレデリックに誰もかける言葉が見つからない。
ようやく彼が怒気を収めた時には、あれほど降っていた雨が上がる兆候を見せていた。
空が明るくなってくる。
「あの女がルビー様にしてきた事は全てこちら側に伝わってきているんです。それを貴女方も実際に見た上で判断すると宜しいでしょう。あの女も捨駒らしく大人しくしていればいいものを、無駄に足掻くからこんな事になる」
「…フレデリック…」
「ルビー様の御身を頼みました。私が迎えに行くまでお待ち下さいと伝えて下さい。それでは失礼します」
謎の言葉を残したまま、しっかりと礼をしていき去ろうとしたフレデリックが途中、あぁと言って足を止めた。
「愚王マルス亡き後、頼られるべきは皇太后陛下と殿下でございます。どうぞ、マキディエル王が愛したカーン王国復活の為、ご尽力下さいませ。全て終わった暁には、グレイプニル皇太子より助力は惜しまないと承っております。若輩者に助力だなどと言われるのは腹が立つかもしれないですがと」
くすくすと笑っている彼は、先ほど瞬間的に黒い炎を纏っていたとは思えない。
「それでは失礼します」
そう言って今度こそフレデリックは立ち去った。黒いフードを被った彼は、マキディエルの墓標に立ち一礼し、姿を消した。
彼が立ち去った後の空を見上げると、既に雨が上がり青空が広がっていた。
アールマティとシャリヴァーは難しい決断を迫られている。しかし、もう決まっているようなものだ。
「あ、虹ですよ。綺麗ですね、母上」
「あら、本当」
しばらくその虹を二人で見ていた。
グロアと護衛達は何も言わない。黙って主の意志について従うままだ。
「シャリヴァー、覚悟は出来たわね」
「はい、母上」
「宜しい。王宮へ行くわよ」
太陽と虹の光に弾かれて、水滴がキラリと光った。




