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第十二話 雨

「…何てこと…」



フレデリックの口から語られた内容は、アールマティの顔面から色を無くさせ、更にはシャリヴァーや他に同席していた面々の顔からも色を奪った。


聞いていた事と違う。


王妃にするべく呼ばれたのが第二皇女ルビーであった事。そのルビーが王妃ではなく、アビゲイルをその座に据えた事。ルビーを帰国させずに自国の王宮で下女として働かせている事。

そして、事もあろうに無体を働いているらしい。それも王宮全体で。



何という事をしているのだろう。

これでは、ヴァシュヌが激怒したのも当然だ。自国が仕出かしたこの一連の問題は、既に外交問題に発展、輸出入の完全停止から始まり、今や国境が閉鎖されるという段階に来ている。

これ以上問題が長引けばヴァシュヌと全面戦争に突入しかねない。



「その通りです。我が国にルビー様と言う正当性がある限り、貴国にそれを止める術はございません。」



アールマティの考えを読んだかの様に答えるフレデリックは、抑揚の無い声で淡々と話を進める。



「はっきり申し上げて、カーン王国が我がヴァシュヌに勝てる要因は全くございません。このように腐敗しきった(まつりごと)を執り行って、民が付いて来る筈がない。むしろ、諸手を挙げて歓迎するでしょうね。ヴァシュヌがカーン国王を殺してくれると。」


「なっ…!!」


「ヴァシュヌがカーンへの輸出を真っ先に停止したのは、食糧です。それを、あの宮廷内では鼻先でお笑いになったようですよ。『これでヴァシュヌの不味いモノがうちの国から無くなってくれるな』と」



そこまで言ってようやくフレデリックは、くっと笑った。


浮かんだのは嘲笑。秀麗な面持ちだからこそ、その嘲笑顔(えがお)が怖い。

その嘲笑顔に、思わず身を引きそうになったシャリヴァーだが、何とか堪えた。



「食糧から停止して言ったんですか…。だが、通常であれば食糧が一番最後なのでは?此方の民に影響が出ます」


「だから?」


「だから…って…」


「我が国が貴国の民を考えてあげる必要が、どこにございます。何の為に?」



はっきりとした言葉は、あまりにも冷たい。



「食糧を止められた。通常であれば最後に止めるべきであるのがわかっているからこそ、執るべき措置は一つしか無かった。しかしその事を自覚もせずに、鼻先で笑うような愚かな王が治めている民を憐れみこそすれ、救う必要性が何故我らにあるんです?事実、食糧が止められてからはこの国の穀物価格は、マキディエル王の治世していた当時より三倍、いや五倍にまで跳ね上がっている。それなのに、税率も下がるどころか、どんどん上がっている始末。全く、愚かとしか言いようがないですね」


「…マルスは…マルスは何をしているの」



カタカタと小刻みに手が震えながらも、しっかりとした目でアールマティは訴える。

しかし、フレデリックが答えた内容はそんなアールマティの希望をあっさりと打ち砕いた。



「皇太后陛下様、貴女とシャリヴァー殿下はこの国を長く離れていらっしゃった。それこそ、マルス王の結婚式にも出席すらなさらずに。…まぁ、民もそろそろ気付いていると思いますよ、追放されたという事実に。追放されていたその間、何があったとお思いです。先程、税率がどんどん上がっていると言いましたが、その税は全て、あの王妃の為に使われています。ドレスや装飾品、連夜開かれる夜会などに」



さっきまで晴れていた天気がにわかに曇り始めた。

あたかも、これからカーン国の行く末を暗示するかのように。



「反対勢力は武力で潰し、王を取り巻いているのは総理ベルフェゴールをはじめとした奸臣ばかり。止めるどころか、彼らは自らの欲求にとても素直でございますよ」


「そんな…」


「街では美しい女子供が消えるとか。そればかりか、美しいと評判な少年まで。いやはや世も末ですね」


「…な…なん…」


「市井の噂では、貴族連中の愛玩で飼われているとか。中には、王自らの後宮に囲んでいると…ここまで悪し様に言われているんですよ。マルスは」



遠雷が聞こえる。しばらくすれば、ここも雨が降って来るだろう。



「…聞きたい事があるんだが、いいか…」



蒼白となったシャリヴァーの顔をチラリと見たフレデリックが、どうぞと目線で促した。



「…僕達が国を出る前まで、兄上はルビー皇女ではなく、アビゲイル皇女を王妃にするって言ってたんだ。それなのに、何故ルビー皇女がこの国に?」


「どうやら秘密裏に進んでいたようですね。ルビー様を最初からこの国に呼び寄せる為に、ヴァシュヌにわざわざ婚姻の申し込みをして来ましたから。確か先王の喪が明けて直ぐだったと記憶しています。その頃既に、皇太后様と殿下は国を追放されていらっしゃった。内情を知る者は少なかったと思います。初めから王妃が決まっていたと言うのは」



黙っていたアールマティが口を開く。



「…私、アビゲイル皇女は止めなさいと言ったの、あの者は信用出来ないと。それなのに、マルスは何かに取り付かれたかの様に、彼女を王妃にするの一点張りだったわ…」


「全ては先王の葬儀の時から始まっていたんだと思われます。あの者がヴァシュヌの使節代表でしたから」



ふとアールマティは思い出す。


黒い喪服を着ていながらも、どこか色香の漂う彼女。葬儀の場のはずなのに、どこか場違いな雰囲気を醸し出していた。

葬儀の後、各国から弔問を述べに来た代表者の中、確かにアビゲイルはいた。既に喪服は脱いでまた違う地味なドレスを着ていたが、どこか体に合っていないように見えた。小さめの服は、彼女の魅惑的な体のラインをはっきりと見せていて、思わず眉を顰めた大臣達もいた。実際、アールマティも不謹慎だと思った。


そして…



「マルスと二人きりになったわ」



はっと気付く。

多分その時に、何らかの事が話し合われたのだろう。でなければ説明が付かない。

元々、マルスには幼い時から仲睦まじい婚約者が居たのだが、葬儀後アビゲイルと結婚すると言い出して、マルスは一方的に婚約を破棄している。あまりに突然の事で婚約者だった彼女は自ら命を絶ってしまった。

その訃報にマルスが言い放った言葉に唖然としたのを覚えている。



「元婚約者を死に追いやった男なんて体裁が悪すぎる。婚約していた事実を握り潰せ」



その言葉通り、彼女の実家は取り潰されカーン国から存在しなくなった。そして、婚約していたという事もマルスの経歴から綺麗に抹消されたのである。

あたかも何事も無かったかのように。



「…何てこと…」



アールマティが顔を覆って(うめ)く。

シャリヴァーや他の面々も、ようやく自国で起きている問題が見えてきた。

アールマティの言うとおり、何という事だろう。これでは、自国は近く崩れ落ちる。それもマルスの手によって。

そこまで考えた時、シャリヴァーがはっと顔をあげた。



「ルビー皇女は!?彼女は無事なのか!?」



フレデリックの眉がピクリと動いた。



「ルビー様は、あの魔城で一人泣いておられるでしょうね。来る日も来る日も、王や側妃、はたまた侍女やら使用人達から心無い言葉を投げつけられ、我が国に帰ってくる事も出来ない。なんとお労しい」


「帰れない…?どういう事です」


「我らが王ポイニクスと、次期王でらっしゃるグレイプニル様は再三に渡って書簡を出しています。ルビー様を帰せと。それらを(ことごと)く無視されています。」


「何という…」



シャリヴァーが呆然と呟いた時、アールマティがどこかに違和感を感じた。


どうもおかしい。


ヴァシュヌが激怒しているのは、アビゲイルを王妃に立てた事ではなく、ルビーを返さない事なのではないか?



現に…



「フレデリック…貴方、一度もアビゲイルの事を口に出さないわね…」



その瞬間、目に見えてフレデリックの雰囲気が変わった。

漆黒の目に青い炎が見える。冷たく、それでいて、燃え移ればじりじりと悶え苦しませるような、そんな炎。

怖いと言う概念ではない。そんな言葉では表せない位、フレデリックは怒りを露わにしている。



「あの女の名前を何故私の口に出さねばなりません。穢らわしい」


「…え?」


「単なる捨駒の分際で、ルビー様を泣かしているとはいい度胸だと思いませんか?」




バラバラと滝のような雨が遂に降り出し、四阿の内と外を遮った。あたかも、くすくすと笑い出したフレデリックの笑い声をそこから漏らさぬように。

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