731食目 新たな住居と不法占拠者
フィリミシアに帰還したエルティナたち。彼女たちが真っ先におこなった事といえば、ヒュリティアの姉フォリティアに妹の顔を見せてやることであった。
「グレー兄貴と紛らわしい、グレイ兄貴おっす押忍」
「名前だけだろ!? あんな毛だるまの野人と一緒にしないでくれ!」
エルティナたちの向かった先は、元シャドウガードのグレイの家であった。
実はラングステン英雄戦争時にヒュリティアの住んでいたボロ屋は倒壊しており、フォリティアはその際に家財道具一式を持って彼の家に転がり込んだのである。
元々、二人はそういう関係であったので、とんとん拍子に事は運び同棲という形で落ち着くことになった。結婚はヒュリティアの元気な顔を見てから、と二人で話し合っていたようだ。
先に子供ができてしまいそうではあったが。
「聖女様……じゃない、王妃様。いったい、なんの用ですか?」
「ふっきゅんきゅんきゅん……グレイ兄貴には用はないのだぁ」
「これは酷い、俺も一応は売れっ子なんですよ? 今も締め切りに追われているので、あまり騒がないでほしいんですが……えっ?」
エルティナの影から、ひょっこりと顔を覗かせたヒュリティアを見て彼は絶句した。
何も彼女を待っていたのは姉だけではないのだ。グレイもまた、ヒュリティアの帰還を強く願っていた。
「うおぉい! フォリティアっ!」
「なぁに、慌ただしいわねぇ。締め切りまでは、もうすこ……」
やはり、フォリティアもヒュリティアを見て固まる。暫くしておろおろし出し、どうしていいものか分からなくなってしまう。
だからといって、不思議な踊りを披露することはないと思うのだが。
「……姉さん」
「ほ、本当に、ヒュリティアなのね?」
「……うん、ただいま」
「あぁ、おかえり、おかえりなさい、ヒュリティア」
エプロン姿のフォリティアは妹をきつく抱きしめた。もう放さない、と言わんばかりにだ。
そんな感動のシーンではあるが、フォリティアの裸エプロンで雰囲気は台無しであった。
フォリティアとグレイ、二人はいったい何をしていたのであろうか。興味が尽きることはない。
「こんなに大きくなって。もう身長も私と変わらないわね」
「ふきゅん……というか、髪飾りがないと見分けが付かない付きにくい!」
珍獣が指摘するように、フォリティア姉妹は双子である、といわんばかりに瓜二つであった。
若干、フォリティアの表情の方が朗らかであろうか。見分けが付くのはその程度であり、少し離れれば見分けが付かないであろう。
「なんにしても、めでたいことだぁ。それで、ヒーちゃんの住む家のことなんだが」
「あ~、前の家はダメになっちゃったのよね。今はグレイのところに転がり込んでるから」
そのことに関して、エルティナに妙案が浮かんでいた。そもそも、エルティナとヒュリティアは対になる関係であり、あまり離れて暮らすことは都合がいいとは言えなかった。
そこで、エルティナは夫に対し、必殺の【お願いほっぺちゃん】を炸裂させる。
モチモチの珍獣の頬がむにょん、とエドワードの頬に接触。滑らかに形を変える。吸い付くがごとく彼の肌に吸い付く様は奇妙奇天烈だ。
だが、その感触は極上。まるで麻薬のごとくエドワードをいけない世界へと導く。
「なぁなぁ、エドぉ」
「了承」
「……落ちたな」
この間、僅か二秒の出来事である。
ぷにぷにと柔らかな頬肉を、エドワードの頬へ擦り寄せたエルティナは、まんまと自分の要求を通すことに成功。尚、エドワードは要求の内容すら聞いていない。
ダメだ、この国王。早くなんとかしないと。
「というわけで、ヒーちゃんのお家はフィリミシア城とする」
「……え?」
「どうせ、部屋が有り余っているんだから、そこからモモガーディアンズ本部に通ってもらうって寸法だぁ」
「……エルがそれでいいなら、私は何も言わないけど」
結局、珍獣の案は強引に押し通され可決。ヒュリティアはモモガーディアンズ本部の管理人という立場を得てフィリミシア城へ住む流れとなった。
これに防衛大臣のボウドスと財務大臣のモンティストは諸手を上げて喜んだ。あわよくば自分たちの戦力として育てる気が満々なのである。
「ふきゅん、これで暫くはゆっくりできるな」
「……うん」
しかし、そんな彼女らの失われた時間を取り戻す行為を邪魔する者がいた。
フィリミシア城の現在は使用されていない一室、そこを不法占拠するとんでもない存在が、ことごとくエルティナとヒュリティアの大切なひと時を邪魔せんと押し掛けてくるのだ。
「ふはは、トチも混ぜろ」
虎熊童子に創造されしポンコツ、トチである。彼女はひと騒動あった後もエルティナたちに纏わり付いていた。
エルティナの私室にて、ヒュリティアと優雅なお茶会を開いていた彼女は、招かれざる者に対し露骨に顔を顰める。
「おまえは虎熊の下に帰れ」
「断る」
「さては……帰り道を憶えていないな?」
「ふひ~、ふひ~」
「吹けない口笛で誤魔化すんじゃねぇ」
見かけは大人、中身は幼児以下という残念美女は、なんとか活路を見いだそうと必死だ。
「おにぃ」
「おっ、サンキュー。バリバリクンの淹れる紅茶は美味いなぁ」
メイド服を着込んだ小鬼のバリバリクンが、さり気なく紅茶のお代わりを注ぎ、お辞儀をして退室してゆく。無駄のない一連の動作は熟練者のそれだ。
「まて、あの小鬼はなんでいいのに、トチはダメなんだ?」
「バリバリクンは賢い。だが、おまえは阿呆だ」
「そこに、なんの問題が?」
「まずは、そこからなのかぁ……」
無限ループに差し掛かったことを理解したエルティナはトチを黙らせるため、必殺の乳首固めを炸裂させる。トチは苦悶だか恍惚だか分からない表情を見せた後に床に突っ伏した。
「ひ、卑怯な。それが桃使いのやることか」
「おまえの弱点は、おっぱいマイスターロフトから報告済みだ。最早、おまえは俺に勝つことはできん」
「お、おのれぇ」
「ふっきゅんきゅんきゅん……戦いは非情なのだよ」
そんな二人の不毛な戦いをのんびりと眺めているヒュリティアは、バリバリクンが淹れてくれた紅茶を口に含み、高貴な香りと品の良い渋みを味わいながら、アマンダが焼いたという試作クッキーを口にした。
「……ワサビクッキーか。ワサビを効かせ過ぎね」
ツンとした香りと刺激が紅茶をダメにしてしまう。ヒュリティアは失敗作と思われるワサビクッキーをそっと闇の枝に提供した。
彼は大喜びで尻尾をぶんぶんと振った後に、辛抱堪らん、と冒涜的なクッキーを口にする。
「ふきゅおん」
「……あ、そんなにいっぺんに」
結果、闇の枝はビクンビクンと悶絶することになった。全てを喰らう者を撃退するクッキーは、ある意味で伝説として語り継がれることになる。
ヒュリティアの件が解決したこともあり、エルティナはヒュリティアを伴い、とある友人宅を訪れていた。先の戦いでかなりの無茶をした人物だ。
「おいぃ、入るぞ。おじゃましま~す」
「問答無用で入って来ますね。いらっしゃい」
小さな一軒家、可もなく不可もない、といった佇まいの家の中は非常に閑散としており、物があまりにも少なかった。まるで、引っ越し前、あるいは引っ越し後の家の中、といった感じでダンボールが積まれている。
その殆どに薄っすらと埃が溜まっているところを見ると、まったく動かしていないことが理解できるだろう。
部屋の奥から人の気配がすることを察した二人は、生活感がまったくない居間を通り抜け、奥の部屋に入る。そこには安物のベッドに横たわる黒髪の少年と、ふわふわの癖っ毛の銀髪少女の姿があった。
瀕死に陥ったが回復を見せたメルシェと、彼女を救うために己の魂を捧げて衰弱状態へと陥ったフォルテである。
「ふきゅん、フォルテ、具合はどうだ?」
「よくもないし、悪くもないよ」
見た感じはフォルテの言うとおり、状態が安定しているように窺える。だが、メルシェの表情がそれを否定していた。
「またそんな事を……少し前まで話すことすらできなかったじゃない」
「……」
メルシェの言葉に沈黙を選ぶフォルテ。長い前髪が彼の顔の上半分を隠し表情を窺う事は困難だ。しかし、気まずいという事は理解できた。
「やっぱりな。俺たちも、その件でここに来たんだ」
「ここからは、俺が代わろう」
エルティナの口から落ち着いた男性の声が発せられる。桃先輩のトウヤだ。
「フォルテ、今日ここに来たのは、お前に残された時間についてだ」
容赦のない宣告。フォルテは来ることを予測していたのか微動だにもしない。動揺しているのは予想どおり、メルシェただ一人であった。
しかし、トウヤから語られた内容は、エルティナとヒュリティアをも動揺させるには十分過ぎた。そして、その事実をフォルテは受け止める。
彼は選択を迫られた。決して間違える事ができない選択。エルティナたちが帰った後、フォルテはメルシェを交えて真剣に話し合った。




