590食目 混沌の酒宴
さては何より、目の前の大皿にヤケクソ気味に積み上げられている、揚げたての鶏の唐揚げをパクリといきまして……あちゅうい!
サクサクの衣、溢れ出す肉汁、それと混ざり合っていい塩梅になる塩気。何よりも熱、これこそが鶏の唐揚げの旨味を最大限に引き立てる要素だ。
口の中が火傷しそうなくらいに熱くなったら、やることはただ一つ。ビールを流し込んで差し上げろっ!
「ぷっきゅぅぅぅぅん! いい感じだぁ!
「ぶえっへぇぇぇぇぇぇっ! 堪らんっ!」
俺と呼吸を合わせるようにビールを飲みほしたのは、鶏の唐揚げだけをつまみに、ビール二十杯を達成した実績を持つアルのおっさん先生だ。
「うぇっへっへ、まさか、おまえと飲む日が来ようとはな」
「ふきゅん、俺は来ると信じてたぞぉ」
お代わりのビールを女性スタッフから受け取り景気よく飲む俺を見て、彼は目を細めて微笑む。その眼差しはまるで【おとん】の眼差しのようであった。
「初めて出会った時は、こんなに小さかったのになぁ」
「おいぃ……それじゃあ、子猫サイズじゃねぇか。もっと、これくらいはあったぞう」
「それじゃあ、小型犬くらいにしかならんだろ」
「ふきゅん」
「わっはっはっは」
愉快に笑うアルのおっさん先生はやはり鶏の唐揚げをがぶりといき、口の周りにこびり付いた肉汁を物ともせずに黄金に輝く麦酒を豪快に喉に流し込んだ。
あ、ゲップはいらないです。
「おやおや、子供たちの前で酔い潰れないでおくれよ」
「わかってらぁ。でもな、ミランダ。初めての教え子が無事に卒業したんだ。飲んじまうだろ」
「はいはい」
飽きもせずに、鶏の唐揚げをつまみにピッチの速い飲みかたをしているアルのおっさん先生は、妻であるミランダさんに心配されていた。
その彼女がチラリとこちらを見て苦笑いをする。それに対して俺も苦笑いをして委細承知とした。
アルのおっさん先生のあの飲み方は、嬉しいことがあった時の飲み方だ。俺が最後に見たのはミランダさんとの結婚が決まった時だったか。あれから随分と時は流れたもんだ。
「エル様はお酒が強いのですね。わたしは少し苦手ですわ」
俺の隣にやってきたのは吸血鬼のブランナだ。手にはビールジョッキが握られており、ちびちびと口に含んでは顔を顰めていた。その飲み方は苦いだけだぞ。
「ふきゅん、ブランナにビールは合わないんだろうな。どれ、俺がブランナに合うカクテルを作ってしんぜよう」
「まぁ、エル様はお酒も調理できるのですね!」
俺は立ち上がり厨房へとルンルン気分で向かう。スキップをすると乳とケツがブルンブルンと揺れて変な感じだ。神気と桃力を無駄遣いして幼児形態へと戻ろうかな。
いや、反動でもっとデカくなったら笑えん。ここは、そっとしておこう。
厨房なう。
はい、用意するのはキンキンに冷えた【ウォッカ】と【トマトジュース】、【カットレモン】に【ウスターソース】少々、たったこれだけだ。
おおっと、ウスターソースはあってもなくてもいいのでお好みでどうぞ。
作り方も簡単。ウォッカをトマトジュースで割って、ウスターソースを少量ぶち込んで混ぜるだけ。氷を入れる方法もあるが溶けたら薄くなるので、俺はキンキンに冷えたウォッカと同じく冷やしたトマトジュースのみをチョイスする。
あとはタンブラーにカットレモンをずぶりと飾ったら完成だ。
これにカットした野菜スティックを添える場合もある。折角だからマドラーの代わりに野菜スティックを数本添えておこう。きゅうりとニンジンがいいかな。
場合によっては【塩コショウ】や【タバスコ】を入れて味の変化を楽しむのもいい。カクテルは自由なのだ。
あとはこいつをトレイに載せて優雅に運ぶだけだ。決してパイパイが重いからといって前のめりで転んではいけない。
「できたぞう、【ブラッディマリー】だ。ウォッカをトマトジュースで割ったカクテルだな」
「わぁ、真っ赤です」
ブランナは出来上がったブラッディマリーを受け取ると味を堪能した。表情が明るくなってゆくところを見ると、どうやら口にあったようだ。
トマトジュースは彼女の好物なので間違いはないだろう、と踏んで作ったカクテルなのだから当然といえば当然である。
「凄く美味しいですわ! エル様!」
「そうかそうか、作り方は簡単だから教えてやる。自分好みのカクテルを作って差し上げるのだぁ」
そこへ頬を桜色に染めたユウユウ閣下が、ものすっごい大胆な赤いドレス姿で登場した。おっぱいがこぼれそうなんですが……大丈夫なのか?
こっそりロフトたちが「こぼれろ」と祈りを捧げているのが哀愁を誘う。
「あら、美味しそうなお酒ね。色も赤くて好きかも」
ずきゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!
ユウユウはそう言うや否や、ブランナのブラッディマリーが入ったタンブラーではなく、ブランナの顔を自分に向けさせ、彼女の口に入っている方のブラッディマリーを強引に略奪したではないか! その唇ごとっ! 一切躊躇しなかったぞ、おいぃ!?
ああっ! ブランナがビクンビクンしだした! ま、まさかっ!
「れ、レロレロですかっ!?」
にやぁ……。
まさに魔性の女。ブランナはユウユウ閣下の餌食となったのだ。
というか、酔っぱらってるだろ、白状しろっ!
「ふぅ……ごちそうさま。美味しかったわよ?」
「ブランナは犠牲になったのだ」
恐るべきはその舌使いか。アヘ顔で崩れ落ちたブランナ。吸血鬼を即墜ちさせるってどんだけだよ。
「あら、エルティナもしてほしいの?」
「謹んで辞退させていただきます」
まだしにたくないんですかんべんしたくださいおねがいします。
「ういっぷ、えるちゃん、のまないの~? うひひ」
「おいぃ……リンダは飲み過ぎなんじゃないのか」
俺が恐怖に震えているとリンダが酒瓶を手にふらふらと歩いてきた。危ない危ない、もう千鳥足じゃないか。まだそんなに飲んでいないだろ……って!?
「おまっ!? それ【ハッピーサンシャイン】じゃねぇか! まさか、そのまま飲んだのか!?」
「うん! これ、おいしぃよ~? うぃひひ!」
そう言って瓶に口を付けてがぶ飲みする少女は既に狂気に蝕まれていた。
【ハッピーサンシャイン】は実にアルコール度数87%を誇る強烈な蒸留酒だ。原料は【サンサンプー】というジャガイモの一種で、主に酒の原料として育てられることが多い。
この芋の特徴は蒸留を繰り返すたびに甘くなるというものだ。そのため、六十回もの蒸留を繰り返して作られた【ハッピーサンシャイン】は極上の甘さを得るに至っている。
本来は水や炭酸飲料で割って楽しむものなのだが、このお馬鹿リンダは、そのまま口にしてしまっている。
普通なら、ぶっ倒れること確定なのだが、流石は鬼といったところであろうか。フラフラしてはいるが中毒症状は表れていない。
「水飲め、水。そのままじゃ、ぶっ倒れるぞ」
「うぃっひっひ! のませて~、のませて~」
でた~、酔っ払い特有の絡み酒っ! 悪意がないのが性質悪い。そして、当然の権利のごとく身体をまさぐるんじゃない、こそばゆいじゃないか。
「リンダぁ、こっちで大人しく飲みやがれぇ。あ~あ~、まったくよぉ。高いんだぞ、この酒ぇ」
半ば崩壊しているリンダはガンズロックに速やかに回収された。酒の場に置いて、これほど頼りになる男はいないだろう。流石、できる男は格が違った。
こうして見ると、うちの連中は酒に弱い者が多いのだろうか。いや、そんな事はなかった。皆ガンガン酒を飲んでいる。お酒を運ぶスタッフさんが可哀想なレベルだ。
「おおい、食べる物が無くなったぞ~」
「おめぇは喰い過ぎだ、ライオット」
はんぐりーきゃっとはやはり酒のつまみを絶滅させていた。同じくらい酒を飲んでいるのに顔色一つ変えないとか……少しはアルのおっさん先生を見習え。もう真っ赤だぞ。
「ほっほっほ。ほれ、刺身の盛り合わせじゃ」
そこに船を模した入れ物に大量の刺身を盛り付て颯爽と登場する咲爛。もちろん、それを持つのは従者である景虎だ。若干、腕がプルプルしているのはヤケクソ気味に盛られた刺身のせいだろう。
「おぉ~、咲爛が捌いたのか?」
「うむ、ちと斬り過ぎたが問題あるまい」
ん? 切った、じゃなくて斬った? ま、まさか……。
「エルティナ殿、深く考えてはいけません。よいしょっと」
ドスンと重量感のある音を立ててテーブルのど真ん中に君臨する刺身の山。船の隅っこの方で恥ずかし気にしている緑色の小山は擦り下ろしたワサビであろう。
この世界では高級品なので口にすることは滅多にない。産出国の姫君ならではの粋な計らいに感謝するばかりだ。
久しぶりにツンとしたワサビの味を堪能することとしよう。
「お、なんだこの緑の」
ひょい、ぱくっ。
「あ」
バカ野郎、貴重なワサビの小山を丸ごと口に放り込むヤツがいるか。あろうことか、ライオットは擦り下ろしたワサビに興味を持った挙句、それを丸ごと口の中に放り込んでしまった。
「ぽぎゅ!? めちゃ、ぴぴぷ……ぎゃおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
ほれ見ろ、好奇心は猫をも殺すって知らないのかよ?
哀れ、おバカきゃっとはあまりの辛さに泡を吹いて倒れてしまった。それを見て大爆笑するイズルヒの姫君。虎の獣人の従者は苦笑するに留めた。
「はぁはぁ、久方ぶりにわろうたわ。景虎、代わりを持てい」
「はっ、畏まりました」
別皿に擦り下ろしたワサビを持ってきたくれた景虎に感謝の言葉を述べ、俺たちはお刺身を堪能する。やはり、生ものなので好き嫌いは大きく分かれた。
「ふっきゅんきゅんきゅん、こいつにはこれ。お米で作った酒、イズルヒ産純米吟醸【美老人】だぁ。端麗辛口がお刺身の味を何倍にも膨れ上がる。堪らないのぜ」
実はイズルヒに渡った際にこっそり買っておいたのは内緒だ。一口も飲んでいないから許してちょうだい。
「おぉ、これはまた渋いところを選ぶのう。わらわにもくりゃれ」
「姫、飲み過ぎては……」
「今日くらいは硬いことを申すな。ほれ、景虎も飲め、飲め」
咲爛の強引な勧めに景虎は渋々ながらも席に着き、お猪口に入った清酒を口にする。途端に笑顔になる彼女を見て俺と咲爛は驚くことになった。
「にゃはははははははは! おいちぃ!」
狂ったように明るくなった虎の獣人少女は、カッパカッパとお猪口の酒を開けては注ぎ、開けては注ぎを繰り返した。そのさまは、まさに狂気の沙汰。
飲み干しては狂ったように笑い、また注ぐ。普段の彼女のクールさなど微塵も存在しなかった。
「さ、咲爛。まさか、景虎って……」
「うむ、初めて景虎が飲む姿を見るが……どうやら、笑い上戸の上に酒に弱いようじゃ。これは迂闊であったのう」
「大問題じゃねぇか」
いよいよもって、宴は混沌の色を深めつつあった。果たして、この酒宴は無事に終わるのであろうか。
尚、アルのおっさん先生は早々に酔い潰れている。
壊れるなぁ……宴会。




