323食目 狂気の魔人と目覚める悪魔
◆◆◆ ガイリンクード ◆◆◆
俺が肌身離さない相棒達の手入れをしていた時の事だ。
月の輝きの下、相棒の魔導銃と魔導剣は妙にご機嫌だった。
強敵に出会える事を確信していたのだろう。
その時が今か今かと落ち着かない様子だったのだ。
「ご機嫌じゃない、ガイリンクード君」
「正確には、相棒達が……だ。鮮血の狼」
鮮やかな赤い毛並みの狼少女アマンダ・ロロリエが、
珍しそうに俺の顔を覗き込んで来たので、その理由を素直に説明すると、
彼女は不思議そうな表情で持って返してきた。
「あら、でも貴方も楽しそうに笑っていたわよ?」
「俺が?」
そう指摘された俺は思わず自分の頬に手をやる。
そこには夜の冷たい空気に冷やされた頬があるだけだった。
聖女のようなモチモチとした感触ではなく、
少しばかり硬くなってきた感触がする、触れてもつまらない頬である。
「ハァ……私は逆に憂鬱だわぁ。
折角、フォクベルト君と一緒に行動できると思ったのに、
エドワード様ったら、過剰戦力になるだなんて」
「それだけ俺達を買っているんだろうぜ。
なんせ、ここを二人で塞げと言っているんだからな」
言い忘れたが……
ここは山頂に向かうために設置された最後の吊り橋の上だ。
非常に大きく頑強に造られているため、
ガルンドラゴンが渡っても崩れ落ちたりはしないだろう。
これは魔族戦争中に造られた新しい物なので、
劣化して崩れることはまずない。
その要所を俺とアマンダで守る事となったのだ。
正確には俺が一人でいいと言ったのを、
エドワードが気に掛けて彼女を付けたということになるのだが、
フォクベルトと〈いちゃいちゃ〉していたい彼女には悪い事をしたものだ。
ただ、いくら彼女が強力な戦士だとしても、
俺の右腕の悪魔が解放された場合、命の保証はできない。
それに、今日は妙に疼く。
この悪魔が表に出せと騒ぎ立てているのだ。
「疼くの?」
「……あぁ」
アマンダは「そう」と言うと、空に浮かぶ三日月に視線を移した。
やはり、会話が続かない。
エドワードのように気の利いたセリフなど出るわけもなく、
かと言って、
フォクベルトのような紳士でもない俺ではこんなものであろう。
『ガイリンクード、アマンダ、聞こえるかい』
沈黙を破ったのはエドワードの〈テレパス〉であった。
その声には若干の焦りが含まれているのは明白であり、
冷静沈着な彼にしては珍しいとさえ感じてしまう。
『山頂を目指す魔族の一団を補足した。
規模からして魔族の小隊だと思われるのだけど、
妙な事に真っ直ぐエルのいる山頂を目指しているんだ。
僕はこれからルドルフ達を引き連れて迎撃に当たる。
きみ達はガルンドラゴンの下に赴いて、これを討伐して欲しい』
彼は言うだけ言うと有無も聞かずに連絡を絶ってしまった。
事態はかなり切迫していると言うことか……。
「やれやれ、王子は人使いが荒いな」
「その割には、嬉しそうにしてるじゃない」
アマンダに指摘されるが、今度は頬に手をやったりはしない。
自分でも笑っている事を自覚しているからだ。
「そうだな、ここ最近は鬱憤が溜まっていたからな。
申し訳ないが怒竜ではらさせてもらうぜ」
「申し訳ないなんて微塵に思ってないのに?」
彼女はそう言うと、既に駆け出していた俺に追走した。
やはり並の身体能力ではない。
一瞬にして、俺に追いついた彼女であるが呼吸に一切の乱れがないのだ。
それはアマンダの身体能力の高さを証明していた。
俺達は暗闇の中を月の光を頼りに駆け抜ける。
未知の強敵である怒竜と『戦る』ために。
怒竜の下にたどり着いた俺達が目撃した光景は異様なものであった。
周囲はまるで爆撃にでもあったか、
と言うくらいに粉砕された跡が生ま生ましく刻まれ、
所どころに赤い血痕が付着していたのである。
崖の上では鶏が聖女顔負けの白目をひん剥いていやがる。
いったいどうなっているんだ?
「ガイリンクード君、あれ!!」
アマンダが指差す方には黄金の竜と、
深緑の髪を乱しながら戦う魔人の姿があった。
「怒竜はまだわかるが、あの魔人はなんだ?」
その魔人の拳は、空を裂き大地をいとも容易く砕いた。
俺の所属するクラスには、
それくらいのことを簡単にやってのける連中が多数在籍しているが、
あの怒竜と戦っている魔人は規模が違う。
空を裂けば、周囲はうねり景色を歪ませる。
大地を砕けば、その衝撃で地面がうねり荒波のように揺れ動いた。
規格外が服を纏って踊っている、その表現しか思い浮かばない。
「え? まさか……ユウユウさん!?」
アマンダが驚きのあまり口を手で押さえ身体を震わせた。
落ち着いてよく見てみれば、確かにユウユウの面影はある。
しかし、彼女はどのような状況でも、あのように粗暴な戦いをしないはずだ。
常に冷静沈着で残酷でありながらも優雅さを纏う絶対強者、
それが俺達の持つ彼女へのイメージなのだから。
「……ユウユウなのか!?」
俺の呼びかけにピクリと反応した魔人は、ゆっくりとこちらを振り向いた。
血に塗れたその白い肌はまるで死人のように白く際立ち、
まるで作り物ではないかと錯覚させるほどの整った顔を不気味に見せた。
その長い深緑の髪は腰をゆうに超えるほど長く、
彼女を血に飢えた獣のように見せており、ボロボロになった赤いドレスは、
まるで炎に包まれているがごとく、ゆらゆらと蠢いている。
恐らく放たれる闘気で揺れているのだろうと推測できた。
その姿はまさに修羅であり、優雅さの欠片もない。
「あら、ガイじゃない。
クスクス……ごめんなさいね。今私、〈ダーリン〉と愛死合ってるの。
邪魔をしないでくれないかしら?」
「ユウユウ……その姿はどうした?」
その魔人は間違いなくユウユウ・カサラであった。
だが、俺達が知る彼女ではない。
いったいどうしてしまったというのだろうか?
彼女が敗れたという情報は俺達に衝撃を与えたが、
そこまで心配をする者は皆無であった。
何故なら、俺達が知る彼女は、一回の敗北くらいで壊れてしまうような
柔な性格はしていないと信じているからだ。
しかし、それは俺達の思い込みだったのだろう。
彼女は間違いなく『壊れて』いた。
「じゃないと……貴方も〈食べちゃう〉んだからぁ!!」
そう言うと、彼女は人前であるにもかかわらずゲラゲラと笑い出した。
そのあまりの光景に、背中から冷たい汗が流れる。
〈狂気〉いや、〈妄執〉というか黒い執念のようなものを感じ取れる。
『い~い、香りだぁ。
こんなに熟成された香りを放つ黒い感情は滅多にお目に掛かれねぇ』
『……っ!? てめぇ!!』
『喰わせろよ、あの女をよぉ! ひひひ、できるだろ? おまえならよぉ?』
『てめぇを〈解放〉すつもりはねぇ! 引っ込んでろ!』
ユウユウの強烈な黒い気に反応して〈右腕の悪魔〉が目覚めてしまった。
普段は寝ているのだが時折、目覚めて飛び出ようとする。
特にユウユウのような黒い感情を抑えることなく放つ者が近くにいると、
この悪魔ははっきりとした意識を取り戻して囁いてくるのだ。
『そうはいうが、俺抜きで勝てるのかぁ?
あいつは、つえぇぞぉ? なんたって〈鬼もどき〉だからなぁ! ひひひ!』
『……知っているのか? 鬼を!』
『知ってるのなんも……商売敵を知らないわけないだろうが?
あいつらのお陰で商売上がったりよぉ。
連中にやられたせいで、おまえの身体に居ねぇと意識を維持できねぇ。
ひひひ、最悪だろ? 悪魔が鬼にやられちまうなんてよ?』
『あぁ、傑作だな。だが……鬼がどれくらい狂気ているかは理解したぜ』
ユウユウが我慢しきれなくなったのか、俺達に襲いかかってきた。
事態は急展開を迎えようとしていたのだ。




