309食目 桃使いの資格
◆◆◆ シグルド ◆◆◆
鼻腔に入ってくる血の香り。
それは命の香りだ。
マイクの指示どおりに動き、その結果……数頭の黒い牛の群れに遭遇した。
我が仕留めたのは年老いた大きな牛。
老齢で動きが鈍っていたので仕留めるのは容易であった。
これは弱肉強食の掟。
自然界において、身体的に劣る者は食われてゆく定めなのだ。
特に子供と老人は率先して狙われる傾向にある。
それは、捕食者が獲物を仕留める確率を少しでも上げるためだ。
狩りにおいて、獲物を発見すること自体難しい。
適当に探し回って、すぐに見つけれるというものではない。
それに見つけたとしても、
大半の非捕食者は逃げ足が速いので、取り逃がすこともたびたびある。
故に捕食者は確実に仕留められる弱者を選ぶのだ。
それは、大自然が定めたふるいであるのだろう。
優秀な者が子孫を残し繁栄してゆく。
それを古の時代から繰り返しているのだ。
「おまえの命、無駄にはせん……我と共に生きよ」
『ブラザー、おまえさんが桃使いになれた理由……なんとなくわかったぜ』
我の糧になってくれた者に感謝を捧げていると、
マイクが唐突にそのようなことを言ってきた。
『桃使いも生きるために他者の命を取り込むんだが、
その際に深く感謝を捧げないといけないんだ。
俺っちは、たま~に忘れるんだが……
ブラザーは言われなくてもやっているんだな。
それは、桃使いになる前からやっていたのか?』
マイクに言われて初めて気付くこともある。
今回のこともそうだ。
我はいつから、食らった者に深く感謝を捧げていたのだろうか?
恐らくは……幼少の頃だと思う。
あの時は自分で獲物が仕留められず、飢えて飢えて狂いそうだった。
そんな折、一匹の鶏を仕留めた覚えがある。
そうだ、あの時からだ。
我が糧になってくれた者に感謝を捧げ始めたのは。
本当に美味しかった。
本当に満ち足りた。
本当に生きていてよかったと思った。
涙が溢れて止まらなかった。
「そうだな……桃使いになる前からだ」
『そっか、やっぱ素質あったんだよ、ブラザー』
月夜の冷たい輝きが我を照らす。
その冷たい輝きが、戦闘で火照った身体を丁度良い温度に調整してくれた。
あの時も、このような月だったな。
〈シグルド〉に誓った咆哮……その時も月は我らを見つめていた。
「行こうマイク。
エルティナが我らを待っている」
『OK、行こうか、ブラザー!』
桃力は全快とはいかないものの、半分以上は回復した。
また一つ命を背負い、生きるために走り出す。
我の歩みが止まる時……それは死ぬ時だ。
今はただ、駆け抜けるのみ。
『ブラザー、ストップだ! ここら一帯にトラップが仕掛けられている!』
『なんだと!?』
再び移動を開始してから十分程度経過した頃、
マイクが前方に罠が設置されていることを察知し我を止めた。
注意深く見てみると、地面が掘り起こされたような跡がそこかしこにあった。
夜の薄暗い中では、なかなか気付きにくいような罠である。
「小賢しいマネを」
普通の者が設置した罠であったのであれば、
踏み付けて粉砕してやるところだが、
今相手にしている者達は普通ではない。
我らの想像を容易に超えてくるような少年少女達なのだ。
よって、ここは慎重に進まなければ痛い目に遭うことだろう。
『ええっとぉ、設置された罠は……とりもち地雷? なんだそれ?』
『マイクでもわからんのか?』
『あぁ、検索してみる。
絶対に踏むんじゃないぜ、ブラザー』
『うむ』
我はマイクに言われたとおり、その場に待機し報告を待った。
しかし、ただ待っているというのも退屈なものである。
我はどうやら無意識の内に尻尾を動かしていたらしい。
それが運悪く、地面に設置された罠の一つに当たり作動させてしまった。
「ぬおっ!?」
『ちょっ!? 何やってんの、ブラザー!』
爆発と共に、何やらねばねばした物が尻尾に絡みついてきた。
白くて甘い香りがする不思議な物体だ。
『あぁ~やっちまった。
そいつは〈もち米〉を突いて柔らかくしたものだそうだ。
ねばねばして取れにくいそうだぜ。完全に嫌がらせだな』
『うぬ、くっ付いて剥がれんぞ……それに、物凄い粘り気だ。
我でも動かすのに苦労する』
取れにくいというものではない、
しっかりとくっ付いて我を逃がさんと繋ぎ止めているかのようだ。
『はぁ? そんなわけ……あったわ。
特殊な接着剤を混ぜ込んでいるみたいだぜ。
しょぼいトラップかと思ったらそうでもなかった。
ブラザー、桃力で固めて粉砕してくれ!』
我は言われたとおりに〈もち〉と呼ばれた奇妙な物体を桃力で固め、
粉砕することに成功した。
やれやれ、せっかく回復させた桃力をこのようなことで消費するとは。
我もまだまだ落ち着きが足りぬな……。
◆◆◆ ダナン ◆◆◆
「マジかよ……桃力だ」
俺とゴードンとウルジェの傑作、〈とりもち地雷〉が簡単に除去されてしまった。
こいつにかかれば、強靭な戦士でさえ身動きが取れなくなるような強力な物だ。
しかも、特殊な接着剤をもちに混ぜ込んであるので、
そう簡単に取れないという代物である。
この罠は時間稼ぎや、
相手の身動きを封じて袋叩きにするために開発したもので、
プロトタイプはユウユウとの演習で効果が実証されている。
正直、自信作であったので、
こうも簡単に外されてしまうのはショックであった。
でもまぁ、除去されるのは仕方がないとして、その方法が問題だ。
桃色に輝く光がもちに付いた瞬間、
もちはカチカチに固まって砕け散ってしまったのである。
見間違いようがない……あれは桃力だ。
つまり、あのガルンドラゴンは〈桃使い〉だということになる。
トウヤさんの報告は本当だったということだ。
バカな……桃使いは愛と勇気と努力の戦士。
とてもドラゴンなんかが、なりえるような存在じゃない。
何かの間違いではないのだろうか?
「ということは、あのガルンドラゴンは桃使いだということ?」
地雷を器用に避けながらゆっくり進む黄金の竜を、
油断なく監視しするフォルテが俺に訊ねてくる。
「信じられないことだが間違いないな。
あの輝きは陽の力……桃力だ」
誰ともつかない息の飲む声が聞こえた。
この場にいる皆が理解したのだ。
このままだと、桃使いと桃使いの決闘が始まってしまうと。
「冗談じゃねぇぞ。
これから数年後に鬼との決戦があるっていうのに、
最大の戦力である桃使い同士が殺し合いをするだなんて……!」
ロフトのいうことはわかる。
鬼にとって、最大の脅威は桃使いだ。
この世界に侵入してきた鬼に対抗するためには、
少しでも多くの戦力が必要になる。
その最大戦力同士が潰し合いをするというのだ。
愚痴も言いたくなるだろう。
最大の問題は……当人達がやる気満々だということだ。
もう説得など通用しないだろう。
それほどまでに、覚悟が完了してしまっているらしい。
「まいったなぁ……僕達でなんとかしないといけないってことじゃないか」
フォルテがボサボサの頭をポリポリと掻き、
姿勢を低くして移動を開始した。
「よし、渓谷に向かった連中と合流だ。
フォルテ、もう俺達の場所はバレてるから全力で走っていいぞ」
「えっ!? そうなの?」
桃使いであるなら、当然〈桃先輩〉が憑いているに決まっている。
レーダーで俺達の場所なんて簡単に把握されているだろう。
桃仙術に位置を誤魔化す〈幻所〉というものがあるのだが、
俺ではまだ扱えないため隠れていても意味がない。
それならば、いっそ開き直って全力で目的地に向かう方が賢いというものだ。
「あぁ、まったく……想定外なことばかりだぜ!」
暗闇に紛れ、俺達は渓谷で罠を張っているであろう仲間の下へ、
全力で駆けて行くのであった。




