206食目 ヒーラーとは
カサレイムからフィリミシアに帰ってきた俺は、
とんぺーの背中からずり落ちた。
もう、しがみ付いているのも辛い。
「エルッ!?」
「わんわん!?」
ライオット達が床に倒れている俺に気が付いた。
ぐったりとしている俺を心配して、
必死になって俺の顔を舐めてくるとんぺー。
もんじゃも心配して……俺の上に乗ってきた。
そして丸くなった。
おまえ……実は心配してないだろ?
「にゃ~ん!」
あ、こら! ツツオウも、まねして乗るんじゃない。
結構きついのよ!? だれか、へるぷ・み~!
「エルティナッ!」
俺の体がふわりと宙に浮いた。
慌てて駆け寄ってきたスラストさんに抱き上げられたのだ。
彼の厳しい表情が間近で確認できた。
「まったく、明日は説教するからな。覚悟しておけ」
「ふきゅん……」
俺は彼の言葉に鳴いて答えた。
返事を返すのもきつく、目を開けていられない。
こりゃもうダメだぁ。
俺はそっと目を閉じて、意識を手放したのだった。
◆◆◆
疲れていたのだろう。
俺の腕の中で寝てしまったエルティナを、
彼女の部屋まで運びベッドに寝かしつける。
また無茶をしたのか、小さな体のあちこちに擦り傷や汚れが付いていた。
「おまえは、いつまで経っても無茶しかしないな」
俺はエルティナに『ヒール』を施し、
顔に付いていた汚れをタオルで拭ってやる。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てる白エルフの少女。
この子が無茶をする時は決まって、
大切な人を救うためか、力無き者のためにだ。
私利私欲のために、命を懸けて無茶をしたことはない。
『魔族戦争』の時も、竜巻がフィリミシアに迫った時も、
おまえは無茶をして命を危険に晒した。
今回だってそうだ。
立って歩けないほど疲労して帰ってきた。
「何故、おまえはそこまで他人のために戦えるのだ?」
以前にもエルティナに問いかけた言葉を呟く。
きっと、この子は同じ答えを言うのだろう。
『わからない。
何故なら……助けたいと思った瞬間、既に行動が終わっているからな』
はぁ……と思わず、ため息が漏れてしまう。
この子には、知り合いとか他人とかは関係なかったのだ。
ただ本能で人助けをしている感がある。
究極のお人よし、とでも言えばいいのだろうか?
……本当は褒めてやりたいのだ。
よくやったと、がんばったなと。
だが、その言葉を俺が口にすることは極めて少ない。
褒めてしまえばエルティナは無茶を続けて、
いつか取り返しのつかない目に合うだろう。
それだけは、なんとしても避けたい。
嫌われてもいい。
だれかが口酸っぱく言わなければならないのだ。
それで、この子の命の危険が減るのであれば。
「ふきゅん……」
寝言を言って、口をもごもごさせる白エルフの少女。
何か美味しい物を食べる夢でも見ているのだろうか?
こうして、この子を見ると本当に小さな体の少女だ。
同年代の子供に比べると発育が遅れているのがよくわかる。
「エルティナ……」
だが……この小さな体の少女も、いつの日か我々の下から飛び立つ日が来る。
そのことを思えば多少の……いや、まだ早過ぎる。
何を考えているのだ。
いくら聡くても七歳の子供だ。
大人である我々が、面倒を見てやらなくてどうする。
せめて、成人式を見届けるまでは、
しっかりと手綱を握っておかなければならない。
それが大人である我々の責任だ。
「さて……戻るか。
ゆっくり休め、エルティナ……」
俺はエルティナの部屋を静かに出ていった。
展望台にいる連中の傷を治療するために。
展望台には若手ヒーラーの連中や、
ルドルフ君とエルティナのクラスメイト達の疲れ果てた姿があった。
一部の者はピンピンしているが。
俺は『エリアヒール』を発動し、纏めて全員の負傷を治癒する。
そう、この治癒魔法もエルティナが開発し実用化に成功した魔法だ。
できうるならば、このような安全な仕事を続けてもらいたい。
だがきっと無理であろうことは理解している。
エルティナは聖女であるが、同時にこの世界唯一の桃使いでもある。
あの恐ろしい化け物と戦う宿命にあると聞かされた。
何故あの子だけが、ここまで厄介事を背負うはめになるのか。
自室で酒を煽りながら漏らしたこともある。
そして自分ではエルティナの代わりは決して務まらないことも理解し、
情けなさで自己嫌悪したこともある。
俺はため息を吐いた。
最近はため息を吐くことが多くなったな。
エルティナに「ため息を吐くと『しやわせ』が逃げるぞ」と言われ、
心の中で『だれのせいだと思っているんだ』
と何度ツッコミを入れたかわからない。
「さて、私はこれで失礼いたします。
妻の手料理が私を呼んでおりますので」
ひと段落付いたところで勇者タカアキが帰宅すると告げてきた。
彼は忙しい中、エルティナのために駆け付けてくれたのだ。
「お礼を言います。ありがとうございました。勇者タカアキ殿」
エルティナの身に何かあった際の、
緊急連絡網を作成しておいた甲斐があった。
一早く最強戦力を呼ぶことに成功したのだから。
勇者タカアキは展望台から飛び降り、フィリミシアの町へと帰っていった。
……普通に帰ってほしい。子供がまねをしたら困るから。
「しっかし、スラストのおっさんが強いなんて知らなかったぜ。
ヒーラーって治癒魔法専門じゃなかったのかよ?」
うさ耳の子供、マフティが俺の拳を見て目を丸くしていた。
最近の子供は昔のヒーラーが、どのような存在だったか知らないようだ。
昔か……俺も自分を昔の人間だと認識するようになったのだな。
まだ四十前だが若い連中を見ていると、そう思う自分がいたのは確かだ。
「昔のヒーラーは戦うことができて、ようやく一人前だった。
冒険者達と共に冒険することが多かったからな。
今のヒーラー達が治癒活動に専念するようになったのは、
『魔族戦争』で多くのヒーラーが犠牲になってしまったためだ」
『魔族戦争』の言葉を聞き、ルドルフ君の顔に影が落ちる。
そうだったな、彼も戦争に参加していたのだった。
彼の部隊はもっとも犠牲が多かったらしいな。
俺の同期のヒーラー達もひと暴れしてくる、
と言って戦場に向かい……だれ一人帰ってこなかった。
ヒーラー協会のサブギルドマスターだった俺は彼らを見送ることしかできず、
暫くして伝えられた訃報を聞いた時、
やり場のない悲しみに打ちのめされ目の前が真っ暗になった。
本当にあの戦争は失うものが多かった。
それは魔族達も同様だろう。
互いに、失ってはならないものを失った。
愚かだとわかっていても人は争い続ける。
それは生きるためだと、だれかが言った。
だが……それでは永遠に争いはなくならないだろう。
「戦うヒーラーか! 凄ぇなっ!!」
リザードマンの少年が興奮気味に感動していた。
だが昔は、これくらいのことはできて当然だったのだ。
むしろ、治癒魔法の腕よりも、
戦う力の方が優れていたヒーラーの方が多かった。
だが、ヒーラーはそれではいけないのだ。
「いや、凄くはない。
たとえこの拳で敵を倒せても、大切なだれかを救えなければ意味はない
ヒーラーは命を救う者だ。命を奪う者ではない。
……ヒーラーは、どこまで行ってもヒーラーでしかないのだ」
この言葉はむしろ、自分に言い聞かせるためのものだ。
この言葉は俺が先輩達から受け継いだ言葉。
彼らの後悔が生んだ言葉だ。
そうだ、先輩達から受け継いだ教えを、
後世に伝えていくことも俺に課せられた使命だ。
エルティナにはデイモンド先輩がヒーラーとは何かを、
最後の力を振り絞り伝えてくれた。
だが、デイモンド先輩がエルティナに伝えられたことは多くはない。
後は俺達が教えてやらねばならないのだ。
偉大な先人が残した数々の教えを。
失敗と後悔と挫折の末に残した先輩達の教えを。
希望を託して、この世を去っていった彼らのためにも……。
「人を真に救うのは武力でも魔力でもない……愛情なのだ」
俺が鍛錬に鍛錬を重ね、ぶ厚い皮膚に包まれた拳を見てポツリと呟いた。
十歳の頃から、毎日丸太に拳を打ち込みながら、
先輩達の残した言葉を思い浮かべ自問自答した日々。
毎日、毎日、愚直に打ち込んだ末に、導き出したのは……
拳を捨てることだった。
それを決断したのは、俺が二十三歳の頃。
それ以来、俺は先輩達が残した言葉を信じ、
ヒーラーとして治癒魔法の研鑽を優先させた。
それからというもの、まったく違う世界が見えてきたのだ。
そして、気が付いた。
先輩達が残した言葉の意味が。
本当に人を救うのは武力や魔力だけではなく、愛情も必要なのだと。
傷ついた心をも癒してこそ『真のヒーラー』だということに。
人を救うために、ありとあらゆる手を尽くし決戦に備えたエルティナ。
スラム街の住民や町の人々を巻き込んでの形振り構わない行動。
幾度、俺と衝突したかわからない。
だが皮肉にも、エルティナの無茶な治癒活動を見届けて
確信に至ったのである。
俺が拳を捨てたことは間違いではなかったと。
愛情が多くの命を救ったのだと。
「それでも、俺には拳しかねぇんだ。
俺じゃ、人を救うことはできないのか?」
獅子の少年、ライオット君が真剣な表情で俺に問いかけた。
その瞳には一点の曇りもない、可能性に満ち溢れた光を湛えている。
「この答えは、自分で見つけなくてはならない。
俺には俺の……そして、ライオット君……きみには、きみの答えがある。
それを自分の力で見つけるんだ。
自分の持つ力を信じ、自分に問いかけ、
長い月日を重ねて初めて答えがわかる。
そして答えは一つではない。
いくつもの答えが用意されている」
「いくつもの答え……」
ライオット君は自分の拳を握りしめ、ジッと見つめている。
俺はその小さな拳に自分の拳を合わせた。
「きみの拳に一点の曇りもないのであれば、いつか答えは出るだろう。
拳は嘘を吐かないからな」
「……はい」
俺にできるアドバイスはこれくらいなものだ。
本職ではないからな。
だが拳に費やした時間は短くはない。
ライオット君に送ったアドバイスは俺の経験からのものだ。
後は彼次第である。
「さぁ、色々と報告しなければなりません。
ですが今日はもう遅いですし、彼らも疲れていることでしょう。
続きは明日にすることを提案いたします」
この人は確か……旅商人のブッチャー氏だな。
まったく、どうしてエルティナはいちいち巻き込む人物が大物ばかりなんだ。
「えぇ、そうしましょう。
おまえ達もよくがんばってくれたな。お陰で多くの命が救われた。
エルティナに代わり礼を言う……ありがとう」
俺はエルティナの下に集った、小さな戦士達に頭を下げた。
子供達は戸惑っていたが、次第に自分たちが成し遂げたことを実感し、
歓喜の雄叫びを上げたのだった。




