第4話 Sideアイーダ
〈アイーダ視点〉
『本の虫令嬢』と呼ばれていた女生徒がいた。
マーガレット・ロビー伯爵令嬢。気付けば教室の隅でいつも本を読んでいる。
「アイーダ様、良かったですね!やっと夏の夜会に参加出来ますね~」
この令嬢……確かステファニー様の腰巾着だ。言葉の端々に嫌味が交じる。
ステファニー様とは同じ年齢の公爵令嬢だからか、何かと比べられる事も多かった。
私は特段、彼女を意識しているわけじゃないが、元々彼女が苦手という事もあり、距離を置いていた。
それを周りは勝手に『ライバル』扱いしており、こうしてステファニー様の腰巾着をしている令嬢達が私の様子を窺うついでに余計な一言二言で私を不機嫌にしていく。
『夏の夜会』
学生達が一番楽しみにしている夜会だ。殆どの者が自分のパートナーと参加する。……が、夜会には独身かつ成人している者しか参加出来ないという条件がある。
「ええ、そうね。でも私は貴女からそんな風に軽々しく話しかけられる立場でも、そんな風に言われる立場でもないわ。
貴女のお友達のステファニー様は公爵令嬢のくせにそんな事も教えてくれないの?」
ついイライラして言い返してしまった。
普段、あまり身分どうこうを笠に着た事はなかったのに……痛い所を突かれたからだと思うと、自分がとても小さな人間に思えた。
夏の夜会に今まで私は参加した事が無かった。
それは私の婚約者が二つ歳下であることが原因だ。
婚約者であるジェフリーは今年学園に入学した。わが国でやっと成人と認められる歳になった彼と、念願の夏の夜会に参加出来る事は喜びだが、今まで参加出来なかった事を内心面白くないと思っていたのは確かだ。
「マーガレット様、今度の王家の夏の夜会には参加なさるの?」
あの時こんな意地悪を言ってしまったのは、腰巾着へのイライラを、私と同じ様に今まで夏の夜会に参加した事がないマーガレットにぶつけただけだった。
今思うと、本当に私がとてもくだらない人間だったと反省する。
それもこれも、今私の目の前で自分の妻を愛おしげに見つめ、髪を一房そっと掴むとその髪に口づけているこの男のせいだ。
「フェリックス様、ここは往来ですよ!?」
私達が座っている場所はテラス席で、人の目がそれなりにあるのだが、この男はそんな事など気にもしない。
マーガレットが慌てて真っ赤になってそう言っているのも気にしていない。
「だから何だ?別に他人に見られた所で関係ない」
……私も目の前で見てるのだけどね。まぁ、私も他人だからこの男には関係ない人の一部である事は間違いない。
「関係あります!!生徒が偶然通っていたらどうするのですか?!」
「別に良いだろう。特に男子生徒にはあえて見せつけるべきだ。結婚しているというのに、お前に不用意に近付いて……!」
「まだそんな事を言っているのですか?生徒が私に質問に訪れるのは当たり前のこと。
私としては慕ってくれる生徒達が可愛くて仕方ありませんのに……」
「可愛がるなら、俺を可愛がれば良いだろ?!」
このでっかく逞しい男を可愛がれと?この男もまた無理難題を言う。
「フェリックス様……生徒が可愛いのとフェリックス様を可愛がるのとは意味が違います……」
マーガレットが呆れた様にそう言うが、フェリックス様はお構い無しに続けた。
「特にあのカイザーって奴に近づきすぎるなよ?あいつはお前をその……狙ってる」
「そんな事ある訳ないじゃないですか!カイザー様にも素敵な婚約者のご令嬢がいらっしゃいます」
「あいつの婚約者は他国のご令嬢だろ?!婚約者の目の届かぬ場所で何をやってるかなんて向こうには分からないんだからな!」
は?!貴方がそれを言うの?!
私は目の前の男に鋭い視線を向けた。
ずっと婚約者であるマーガレットを放置して、彼女の目の届かぬ所でステファニー様を大切にしていた貴方が?
それが王太子殿下の差し金であったとしても、マーガレットが傷ついていた事実は変わらないのに。私がそう思ったと同時に、
「フェリックス様……特大ブーメランですわよ」
とマーガレットが苦笑した。
特大ブーメランが刺さっても気にしないフェリックスという男。
「確かに俺は今まで君を傷つけた。本当に悪い事をしたと思ってるし、一生をかけて償っていくと誓っただろ?その為にも、お前の側にずっと居るんじゃないか。出来れば片時も離れたくない」
「はい、はい」
マーガレットはフェリックス様からの熱視線をニコニコと笑いながら、軽く流している。それを見るに、このやりとりも日常茶飯事なのだろう。……結局、私は二人のイチャイチャを見せつけられているって訳だ。
ああ……ジェフリーに会いたい……。
馬鹿らしくなった私は二人に別れの挨拶をして、カフェを後にした。
私が会いたかったのはジェフリーなのだが……。
「またいらしたんですか?」
「いつでもルルに会いに来て良いと言っただろ?」
「ごめんなさいね。私も『新しく猫を飼えば?』って言ったんだけど、『ルルが良いんだ』って言って聞かないの」
カフェから帰って来て少しすると、殿下がうちの屋敷に来たいとの連絡が入った。もちろん目的はルルだ。
……相変わらずわがままで身勝手な殿下に溜め息が出る。
付き合わされるミリアンヌ様も可哀想だと思うが、公爵令嬢兼次期宰相の婚約者としては、ミリアンヌ様と仲良くしておく事は必須。
この時間を使ってミリアンヌ様と意見交換や情報交換をするのも私にとっては務めの一環だと思い、渋々我慢する。
カフェでお茶を飲んだばかりの私は自分の目の前に置かれたお茶を見つめる。……お腹が一杯で飲む気になれない……。
「フフフッ。本当は迷惑なんでしょう?」
私の目の前でミリアンヌ様が優雅に微笑む。
ちなみに殿下はロッキングチェアーで小さく揺られながら、ルルを膝に乗せゆっくりとその白い毛並みを撫でていた。
「は?へ?……いえ、別に」
「アイーダさんは、素直な方ね」
……どうして私の気持ちというのは、簡単に周りにバレてしまうのだろう。
ジェフリーにもすぐに考えが見破られてしまって、サプライズも出来やしない。
先日のお誕生日パーティーだって驚かせたかったのにジェフリーには全てお見通しで……ってそんな事を今思い出している場合ではなかった。
「だから殿下は貴女の事が好……いえ気に入っているのね」
「気に入ってる?そんな事ありませんよ」
「まぁ……貴女はそれで良いと思うわ。私ね。この国を殿下と変えていきたいの」
ミリアンヌ様が急に話題を変える。私は何の話をしているのか理解できず、相槌を打つだけで精一杯だった。
「それにはジェフリーの様な頭の切れる者、フェリックスの様に真っ直ぐで力のある者、そして……貴女の様に悪いものは悪い、良いものは良いとはっきり表現出来る者が必要よ。それに……殿下の様に一見何を考えているのか、腹の底が読めない者もね」
とミリアンヌ様はウィンクした。
「殿下の事をよく分かっていらっしゃる……」
「もちろんよ。貴女達には見せていないであろう彼の願いもね。私は彼の願いを叶える為に此処にいるの。この国はもっと豊かで強くなる。それこそ帝国と肩を並べられるぐらいにね」
ミリアンヌ様は自信に満ち溢れた表情を浮かべた。まるで彼女にはこの国の明るい未来が既に見えている様だった。
「私もお役に立つ事があるのなら、お手伝いいたします」
「ありがとう。当面は……殿下にルルを会わせてあげて。王族なんて孤独なものよ。ルルを撫でている時はとても幸せそうだもの」
そう言ってミリアンヌ様は椅子に揺られる殿下を見て目を細めた。
彼女はきっと殿下を心から愛しているのだと、私は妙に納得した。




