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28.私たちの明暗

 うっかり人前でシェスターに抱きついてしまったことで、みんなの注目を集めてしまった。ただ注目されているだけならいいんだけど、これって絶対冷やかされてる……。


 彼の背後に隠れながら、どうしたものかと必死に考える。とっさにここに逃げ込んで、みんなに顔を見られることはなくなったものの、逆にここからどう出ていったらいいものか。


 困り果てていたら、アルモニックの穏やかな声がした。


「慈悲深き聖女カレン様……いえ、聖女と呼ばれるのは好まれないのでしょうか」


「あ、うん。たまたま魔王を倒しただけだし。そういう大げさな呼び方をされると、くすぐったいから」


 やはりシェスターの背後に隠れたまま、そう返す。


「本当にあなたは、面白い方ですね。……魔王を倒されたあなたに、私たちからお贈りしたいものがあるのです。こちらへいらしてくれませんか?」


 贈り物。なんだろう。気になってそろそろと顔を出し、そのままゆっくりとアルモニックのほうに歩いていった。当然のような顔をして隣を歩くシェスターと一緒に。


 そうして私たちがすぐそばまでやってきたのを確認すると、アルモニックはすっと右手を差し出してきた。握手をするときのような構えではなく、手のひらを上に向けている。


「それではカレン様、お手を拝借できますかな。……魔王に触れたその手を、ここに重ねてください」


 隣のシェスターが警戒するように身をこわばらせ、アルモニックを見すえた。彼のこの態度、まるで番犬みたいだ。


「カレンに何かしてみろ、即座に叩っ切るからな」


「いや、さすがに大丈夫だと思うよ。……たぶん」


 ちょっととまどいつつも、素直に右手を差し出す。するとアルモニックは私の手首をそっとつかんで、大きなメダルのようなものを手のひらに載せてきた。


 なんだろう、これ。そう思っていたら、メダルがぱあっと光った。そして、またすぐに、元に戻ってしまう。


 彼が私の手からメダルをどかすと、そこにはさっきまでなかったものが現れていた。


「この印が、あなたを空の上の壁、元の世界へと導いてくれましょう」


 そんな彼の言葉を、ぽかんとしたまま聞く。私の手のひらには、かすかに輝く印が浮かんでいたのだ。蓮の花に似た、繊細できれいな模様だ。


 この印そのものも驚くべきものだったけれど、それ以上に、今のアルモニックの言葉に衝撃を受けていた。


 これがあれば、私は元の世界に帰れる……?


 ずっと探していた、元の世界に戻る方法。それがあまりにもあっさりと、手に入ってしまった。その事実に、頭がついていかない。


 何も言えずにいる私に、アルモニックは優しく声をかけてきた。


「あなたが望めばいつでも、あなたは元の世界へと戻ることができます。今すぐでも、あるいはもっと後でも」


 それを聞いたとたん、安堵に崩れ落ちそうになる。


 私はずっと元の世界に戻る方法を探して旅をしていたけれど、心の準備もできないまま帰ることになってしまう……なんていうのは、絶対に嫌だったから。


「うっすら光ってる……これ、ずっとこのままなのかな? 手袋があれば隠せるかな……」


 シェスターと二人、まじまじと手の印を見つめる。メルヴィルさんとトマス君も寄ってきて、興味深そうな目で手元をのぞき込んでいた。


「教会は、こんなことまで隠していたのか……」


 ふと、シェスターがぽつりとつぶやく。


「おい、じいさん。お前、最初からカレンにこの印を与えていれば、それで済んでいただろう。旅に出したり、暗殺しようとしたり、そんな回りくどいことをする必要はなかったはずだ」


「いえ、それについては……」


 アルモニックが説明しようとしたそのとき、明後日のほうからのんびりした声がする。


「ねえアルモニック、その印、あたしにもちょうだい? ここはいいところだけれど、たまには里帰りもしたいし」


 輿の上でだるそうにぼんやりしていたカリンさんが、身を乗り出してアルモニックに呼びかけたのだ。


 しかしアルモニックは小さく首を横に振って、それから深々と頭を下げた。


「申し訳ありません、カリン様。この帰還の印を手にすることができるのは、魔王と対峙し、魔王に触れたもののみなのです」


 ああ、そういうことだったんだ。魔王と戦うのは聖女の使命。その使命を経て、元の世界に帰る権利を得る。そんな感じになっているのだろう。


 カリンさんはきょとんとした顔になり、それから小首をかしげて考え込んでいる。それからじわじわと、その顔に驚きの色が広がっていった。


「……えっ? やだ、じゃああたし、帰れないの!?」


 両手を頬に当てて、カリンさんはすっとんきょうな声を上げた。明らかにうろたえた様子で、周囲の神官や神官騎士たちに呼びかけている。


「で、でもあたしは聖女なんだし、これからもよろしくお願いね。ほら、私はたくさんの人を癒してきたんだから」


 これからもよろしく。それって……これからもこんな感じの特別扱いをよろしく、という意味なのだろうか。ちらりと視線を動かすと、しかめっ面のメルヴィルさんと目が合った。


「……それなのですが」


 アルモニックは表情を変えることなく、淡々と答えている。


「魔王が滅びた以上、もう聖女の力は必要ありません。あなた様の警護に回していた神官や神官騎士たちも、みな本来の業務に戻ることになります」


 そしてアルモニックの周囲では、神官や神官騎士の人たちが露骨にほっとした顔をしていた。カリンさんの護衛、というかお守りがどれだけ大変だったのか、一目で分かる表情だった。


「ええーっ……じゃ、じゃあ、どこかの王宮であたしを受け入れてくれないかしら? 聖女って、引く手あまたなんでしょ? 王族に嫁ぐことも珍しくないって、そう聞いたわよ?」


 しかしカリンさんはめげずに、そんなことを言っている。玉の輿、逃がしてたまるか。彼女の顔には、そう書いてあるような気がしてならない。勘だけど。


 ところがアルモニックは、少しも動じることなく、重々しく首を横に振った。


「魔王は滅びたと、これよりその旨を公にすることになります。その際何があったのか、各国の王たちには伝えておかねばなりませぬゆえ……」


「何があったのか、って、その……」


「あなた様が輿でゆっくりと進まれている間に、別の異世界人、カレン様が山頂に突撃し、魔王を滅した。そのことです」


 気のせいか彼の口調には、ほんのちょっぴりカリンさんをとがめているような響きがあった。冷静で顔に出さないせいで分かりにくかったけど、アルモニックも彼女には手を焼いていたのかな。


「与えられし任を果たさなかったあなた様を、王たちは聖女として受け入れるでしょうか……ましてや、教会の支援を一切受けることのなかったカレン様が、単身で魔王を退けてしまわれた、とあっては……」


 ……ううん、そう持ち上げられると、とってもくすぐったい。それに魔王を倒したのだって、別に私一人の力じゃないんだけどな。


「ちょっと、だったらあたしはどうすればいいのよ!!」


 焦り半分、いらだち半分といった態度で、カリンさんが叫んでいる。……というかこの場合、彼女の扱いってどうなるんだろう。少なくとも、今までのわがまま放題はできない気がするし。


「ふむ、でしたら……」


 やけにもったいぶって、アルモニックがまた口を開いた。


「魔王は、十年から数十年ごとに現れます。そのとき改めて魔王に触れることで、元の世界に帰ることもできましょう」


「ちょっと待って、最悪数十年先って、それってあたしもう老人になってるじゃない! そんなになってから戻って、どうやってあっちで暮らせっていうの!? というかそれまで、こっちでどうしろっていうのよ!?」


 大声を張り上げて主張するカリンさんに、みんなが一斉にうんざりしたような顔になる。シェスターにいたっては、はっきりと顔をしかめていた。


「働かれませ」


 アルモニックが、静かにつぶやく。決して声を張り上げてはいないのに、その声はやけにはっきりと聞こえた。カリンさんがその気迫に押されて、口をつぐんでいる。


「幸い、あなた様の魔法はとても有用なもの。あなた様の力は、この世界にとって必要なものなのです」


 しかし次の瞬間、アルモニックはおっとりと笑ってカリンさんに会釈した。それも、やけにうやうやしく。……気のせいかな、その礼儀正しさがちょっぴりうさんくさく感じるのは。


「あ、あら、そう? ……だったら、頑張ってみようかしら……」


 さっきまでぎゃんぎゃんわめいていたカリンさんが、ちょっと澄ました顔になって考え込む。どうやら少しだけ、やる気になったらしい。


 ……たぶんアルモニック、今彼女のことをおだててたよね。そしてあっさりと、彼女は引っかかった。割と単純だ。


「それではさっそく、教会の医務院へと移っていただきます。そちらには、病めるもの、傷つきしものが日々救いを求めて集まっているのです」


 小さく笑みを浮かべたままのカリンさんに、アルモニックがすかさずたたみかける。


「日々身を粉にして働かれることで、きっと民はあなた様をたたえ、慕うようになるでしょう。どうぞ、苦しむ民を一人でも多く、救い続けてくださいませ」


「あら、それは悪くないわ……って、そんなわけないでしょっ! 身を粉にして働けって、日本にいたころと一緒じゃない! ああもうっ、どうして異世界に来てまで社畜をしないといけないのよお!」


 カリンさんの叫び声が、夜の山にこだました。こっそり肩をすくめながら、ご愁傷様です、と小声でつぶやいた。

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