61 はじめての剣
彼らが退治しているのは昼間にも街道側に出現した人間大の蟷螂。カナンも呼んでいたが部隊内での通称はシザーという。
魔王亡き後にも港街外れから森林の内外で大量繁殖を繰り返す厄介な魔物で、国内全域におけるごく一般的なモンスターの一種類。
個体はさほど驚異ではないが数が多く、集団で行動し家畜を拐ったり、森で野生動物等を捕食し生態系に影響を与えるため定期的に問題視されている虫の化物だ。
驚異ではないのはあくまでも戦い慣れた騎士達にとってという意味であり、戦闘技術を持たない一般街民からしてみれば十分驚異の対象になりえる。
夜になり活発に動く虫達が今晩やけに一ヶ所に集合している理由は、彼等にとっての驚異である力ある存在……ファレルファタルムから身を守り合うため。
つまり、確実に例の竜が近くにいるということだ。
「御託はいらねェ! とにかく暴れて目立てよ! 奴を炙り出せ!」
「まぁーかしてって!」
「御意!」
理不尽な尋問で挙げていた怒声とは違うが声量は同じ、響き渡るようなジンガの号令にミレイとカナンが応答して競い合うように魔物に斬りかかる。
二人は緑色の血飛沫を背景に肥えた蟷螂達を薙ぎ、背中合わせでお互いの敵を見極めていた。
「調子が良いですね、ミレイ。そのままペース配分を怠らないように」
「カナンちゃんこそ! ノってんぢゃん! ばっちしついてきてよね!」
そんな女性騎士達から離れた位置でイレクトリアも本を開いて待機し、魔物の動向を見ながらページを捲っていた。本の中の物語を敵に合わせて読む必要がある彼の魔法の発動には時間がかかる。隙を探りながら物語を選んでいる様子だ。
(この人たち無茶苦茶だ。作戦も何もなく、ただ森の中に群がっている魔物を無差別に退治するだけなんて……)
一体何を考えているのだろう。
マグは、愉快そうに笑って部下達に指示するジンガの背中を見て疑いの目を向けるしかなかった。
「あ、あの……ジンガさん、もっと具体的に作戦とかって立てないんですか……?」
「作戦? んなもんねェよ。いちいち言わすな。ってか、クソトンボが意見するな。隊長は俺だ」
「は、はい……」
マグの不審を面倒そうに一蹴にし、それ以上の発言を許さないジンガ。
(別に俺は銀蜂隊の隊員でもないんだけどな……)
「教諭、ストランジェット。いいですか?」
彼に代わり説明をしてくれたのは、同じく銀蜂隊所属ではない一般街民でありながらこれから彼らの戦闘に加わろうとマグ達の横で指を組みパキパキと鳴らしていたシグマ。
「私の店へ来たファレルファタルムは街で一日中人探しをして歩き回っていた、と言っていました。彼女が森に降りた事はカナン達が目撃しています。そして、ミレイの話では森に近付いた人々、特に貴方がた位の男性や子供を傷付けているそうです」
つまり。と、シグマとジンガの鋭い眼差し二対がマグとスーに同時に向けられる。
「まさか……? ファリーの目的は俺達?」
「ぼ、ボクと先生を探してるの……?」
声を重ねて互いを指し示し驚く。
「腐った脳味噌で見たんだろ? ファレルファタルムの最期の姿がテメェの言う夢の通りなら、奴のアテはテメェらしか浮かばねぇ。それはテメェ自身がよく解ってんじゃあねェのか。先公さんよ」
「夢? 何それ、先生ボク初耳なんだけど……」
マグが見たとジンガ達に懸命に訴えた夢の内容……ファレルファタルムの身にあったことや、最後に彼女と面会していたのはマグだったということ。
ジンガはマグを信用していないと口では言っていたものの、尋問中の話を一字一句逃さず真剣に聞いていたのだ。あの態度で夢の話に耳を貸してくれていたとは思っていなかったマグはほんの少し彼を見直した。
シグマもまた、スーと面影を重ねファレルファタルムを彼女の母親だと断定して話を彼らにしていた。
これまでの経緯を振り返り、言葉に出して交わしてきた情報がマグの中で一致する。
ファレルファタルムは己が死ぬ前に、最期にあった愛すべき人間を、一体どんな思いで探しているというのだろうか。
彼女にも、スー達と同じようにもう一度マグに会いたいという思いがあるのだろうか。
「ねぇ、先生。ファレルファタルムはボクのお母さんなんでしょ? シグマさんやミレイさんがそう言ってたの……」
頭を抱えそうになるマグの隣で彼の服袖をくいっと引っ張り、心配そうな顔で覗き込むスー。
「……ボクお母さんのこと、知りたい。だから、先生の力を貸して欲しい」
控えめな声ではあるがその意思ははっきりとして固い。
袖を片手でひっぱったまま、迷っているマグの手を握って続ける彼女の言葉に頷き、
「勿論だ、スー。俺ら二人でファリーと話をしよう。そのためにも……」
マグも顔を上げて返事をし、スーと視線を交わしてからシグマの方を見る。
「そう、そのためにも……」
だが、シグマは振り向かずに頷くのみで、暴れまわっているミレイ達の更に先に現れた大きな魔物へ注意を向けていた。
蟷螂の群れの奥に双頭の大蛇が見える。赤い舌をヒラヒラさせながら向かってくるそれはマグにもはっきりと視認することが出来た。
「あれはアンバーマーク殿に任せて我々は場所を変えますよ。戦えますか? 教諭」
「え? 戦うって言っても、俺……」
「貴方自身と貴方の生徒。アプシスフィアとストランジェットを守ってください。私もお手伝いします」
「戦え(ヤレ)っつったらヤんだよアホ。テメェは一々言うことに行動が伴ってねェな」
シグマの問いかけに戸惑う仕種。思うように発動出来ない魔法辞典でどう戦えばよいのかと、手のひらを見て下向きになるマグに頭上から一喝。
更に面倒そうな舌打ちまでもが飛ばされてきた。
「ったく、イレクトリア」
ジンガがマグを片手で小突いて顎の先で合図する。
前方で呪文探しに集中していたイレクトリアが頷いて振り向き、
「どうぞ、教諭! お貸しします」
腰に提げていた長剣を鞘ごと外してマグの方へ放り投げた。
嘘発見器を取り付けた時には持っていなかった武器はいつ調達したのだろうと、マグは思って唖然とする。
「お使いください。港街で一番の鍛冶師に打たせた名剣ですよ」
「わわっ! お、お借りします……」
イレクトリアから投げ渡された剣を取り零しそうになりながらも掴む。手に取り、マグはそれをじっと見つめた。質素で何処にでもありそうな鋼のつるぎだ。
この世界で初めて武器を手にしたマグでさえありふれた一本だということが解る程の。
だが、マグにとってはイレクトリアが嘘をつき、どんなに安物の剣を寄越したことを知ったところで関係ない。
この剣を振り戦うこと……武器の扱い方を知らないことのほうが問題だった。
彼が困り顔になっていたのを察知していたのだろう。
「教諭、剣の基本を……」
「僕が先生をサポートします。シグマさん」
シグマが声を掛けところで、隣のアプスが割り込んだ。
「……その方がよさそうですね。頼みます、アプシスフィア」
「はい。では、先生」
アプスのジェスチャーに従いマグは鞘から剣を引き抜く。
抜き出した白刃は真っ直ぐ、傷一つ無く真新しい。名剣と言っていたが実際は、昼間イレクトリア達がファレルファタルムと交戦した際に壊した剣の代替品であることは明白だ。打たれてから日も浅く、使われるのも今が初めての新品であった。
「深呼吸してください、マグ先生」
アプスがぴったりと後ろへつき、マグの腕の震えを止める。
こちらへ向かい来る蟷螂の一匹を指し、
「敵の急所を突いて思い切り振り抜きます。一振で空を見て、風を詠む。空を薙いで、風を食む……」
「アプス、お前……剣を握ったことが無いって言ってたのに……」
「か、仮にも僕は剣の精霊です。自分で戦えなくたって剣の扱い方は解りますよ!」
これまで全く戦いに関与していなかったアプスだが、今の表情は迷いの一切を忘れたかのよう。
路地裏でスーが人質になった際、自分にはスーを救えないとマグに懇願していた顔ではなく、今度は己がマグに期待をかけるような。
そんな顔で側に寄り添い、剣の切っ先に片手を翳せば、
「僕が敵に印をつけるのでそこを狙ってください」
初めて出会った時に扱っていた魔法と同じ、手元をふわりと照らし出す光の玉を発現させ、剣の上を滑らせて光らせる。
「ああ! やってみる!」
「まったく……これじゃあどっちが先生だかわかんないですね」
頷いて身構えるマグにアプスは少し嬉しそうに笑いながら、向かい来る敵へ片手を振り上げて言った。




