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ロストスペル  作者: 海老飛りいと(えびトースト)
第2章.魔法学校の教師
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46 二人の気持ち

***



 その日、実習室に籠って剣の手入れをすると言っていたアプスは苛立っていた。

 理由の大部分は、自分の元に現れた元教師(マグ)が、彼を失望させたことにある。


 マグが亡くなるまで……正確に言えば魔王討伐に駆り出されるまで、アプスは彼の力を借りて自分の願いを叶えようと努めていた。

 毎日勉学に励み、知識を蓄えて、自分とは性質の違う小さな精霊を呼べるようにもなった頃には、その課題を出したマグに改めて自分の夢を打ち明ける事だってした。それなのに。


(大体なんだよ……今さら戻ってきて記憶喪失だなんて。都合がいいとも思ったけどさ……)


 アプスの不満はマグが蘇って戻ってきた昨日に始まったことではない。

 生前のマグは彼の「復讐の手助けをして欲しい」という依頼を断り続けていた。


 それが教師としての彼への指導であり、当然かもしれないことはアプスも十分に理解していたが、それでも、未熟な彼にとってマグの魔法の技術や人脈は魅力的なもの。

 恩師は自分の強い味方でいてくれると信じて何度も何度もめげずに頼み込んだ。


(マグ先生は前と全然変わらないじゃないか。やっぱり僕の為になんて動いてくれやしない……)


 そして今日、彼は期待を持ってまた打診した。

 少し騙すようで躊躇いもしたが、マグが記憶を失っているのをいいことに、あたかも生前は協力的であったように彼に言ってみた。

 だが、アプスが願っていた彼にとっての最良の返事はなく、マグは戸惑う様子で話を止めてしまった。

 狙い通りにいかなかった。

 あの時のマグの顔を思い出すと益々苛立ちが掘り起こされてくる。


「あのさ……どうして先生たちは“ボクが死んじゃった”なんて言ったのかな……」


 そして、苛々しているアプスとは対照的な感情を持ってマグのことを考えている人物がもう一人。彼と同じ部屋にいた。

 その人物がまたマグと違った理由で今はアプスにストレスを与えている。


「あっくん、ねぇ……なんでかな?」


「あの時の会話を思い出して考えればわかるだろ? 僕に一々聞かないでくれよ」


 二人が実習室と呼んでいる場所にある小屋の中で、身を潜めるように隅に座っていたスーが口を開く。

 窓側を向いた作業机にむかい、剣を拭いているアプスは苛々の感情を出したまま彼女に返事をして溜め息をついた。


「先生は帰ってくるの……? ファレルファタルムって誰なの……? あっくん……」


「僕が知るはずないだろ。気になるならビアフランカ先生に聞けばいいじゃないか」


 アプスに問うても怒りっぽくなるだけだが、彼の声が返ってくるだけでもこの部屋にいてよかったとスーは思った。

 一人でいたら考えることが多すぎて思考に押し潰されてしまいそうだ。と。





 ―――話は今から数分前まで遡る。


 ずたぼろになったマグの上着を羽織り、上機嫌に尻尾を振って廊下を歩くスー。

 大好きな人の匂いが染み込んだ服は少し重たくて暖かい。

 温もりの正体は自分自身の体温なのに、まるで想い人の腕に包まれているような安心感に彼女は幸せな顔をしていた。


 自分が着ているぶかぶかでびりびりの長い外套はマグの物。

 破いてしまった自分が修繕して彼に返さなくてはならない。

 それを頭では理解しているが、今だけはもう少し好きな人の香りに(くる)まっていたいなどと思いながら、スーは一人で笑っていた。


 場所は学校の玄関付近。

 セージュに頼まれ新しい教科書を探しに図書館へ向かう途中、通り掛かったそこでスーは複数人の会話を耳にして立ち止まった。


 騎士団からカナンと名乗る女騎士が訪ね、ビアフランカとマグが応対している。

 人気がないと思っていたので、それを偶然見掛けた彼女は自分のにやけた顔が急に恥ずかしくなった。

 気を取り直して外套を脱ぎ、大好きなマグのもとに行こうとしたのだが、


「せんせ……――――――」




『教諭、そのファレルファタルムの子、ストランジェットという子竜は今どちらにいるのですか?』


『ストランジェットならば死んでしまいました』


『そうなんです。連れ帰ったんですが、ストランジェットは酷く衰弱してしまっていて……』


 そのタイミングでビアフランカが嘘つく。

 マグもそれに合わせてそう続けたのを聞きスーは胸が痛くなった。


(なんで……?)


 二人の所に行けなくなってしまったのと同時に、息がきゅっと詰まって苦しくなる。


(どうして、先生……? ボクここにいるよ? 生きてるよ? どうしてそんな嘘をつくの……?)


 出ていきたい気持ちを押し込めて、心の中で呟いた。

 きっとマグ達には事情があるのだと、スーは聞き分けのよい自分を呼び出して言い聞かせるように繰り返す。


(……いいや。後で聞こう。……それより、あれは何だろう? あのお姉さんが言ってるファレルファタルムって……?)


 通過点だった柱の裏に引っ込み、咄嗟に身を隠して玄関の方を見守った。

 体を縮ませ、さっきまで愉快そうに動かしていた尻尾を跨いで隠しマグの横顔を見る。


 スーの視界に映っているマグは、女騎士が広げて見せているメッセージボードの中の絵に視線を注いでいた。

 何が描かれた絵なのかを知るにはここからでは距離が遠すぎる。


 そうしている間に玄関の三人の話は終わったようで、女騎士がボードを閉じて脇に抱え深いお辞儀をした。


 スーもようやく解放された気になり、少し威圧的な雰囲気を持つ女騎士が一人帰ったところでマグたちの所に改めて飛び出す準備に入る。

 マグが見ていた絵のことやファレルファタルムのことも、ビアフランカがスーは死んでしまったと嘘をついた理由も、全部先生二人にこのあと質問をぶつけまくって答えてもらわなければ。


 そう思って柱の後ろから飛び付いてやるんだと算段をしていたが、戸を潜って外に出ていこうとしているのは女騎士だけではなかった。

 彼女に連れられマグが後に続こうとしたのを見ると、スーは自分が隠れて覗き見ていることを瞬間的に忘れてしまった。

 頭が真っ白になり、無意識に足が動いて前に出る。


「せ、せんせ……っ!」


「しっ。ストランジェット、ダメだ」


 スーを制止したのはアプスだった。

 何処から現れたのか彼は飛び出しそうになったスーの背後から彼女を捕らえ、腕を掴み乱暴に引き寄せて言った。

 スーの長い髪が乱れて口に入ったが、彼はすぐ吐き出して口を一文字に結んだ。真剣な顔のままスーの腕を引っ張り、柱から遠ざけ、玄関から遠ざける。


「ち、ちょっと! あっくん……!?」


「いいから!」


 アプスが先導して転がり込むように二人は廊下を駆ける。駆け足のアプスに合わせて、手を引かれながらスーも彼についてゆく。

 少し行った先で左右を確かめると、アプスは実習室の扉を開け一息。草原に体を放り出した。

 彼に手を掴まれていたスーも一緒になって天然の草のベッドに倒れ込む。


「うわっ! い、いたたた……びっくりした……もうっ、あっくんてば急に何するの?!」


 眉間に皺を寄せている顔が常日頃のアプスでも、こんなに緊迫した様子は滅多に見せない。

 彼と同じ学び舎に入って長いスーはそのことをよく知っていた。知っていたからこそ訝しげに彼を見る。

 草原の上とはいえ打ち付けた臀部が痛い。と、腰をさすりながら怒るスーにアプスは黙って立ち上がり、服に付いた草を払った。

 そしてそのまま自分がもと居た小屋の方へと歩き出す。


「君は軽率すぎだ、ストランジェット。先生たちの様子を見ただろ? かばわれたのにあそこで追いかけてったら意味ないじゃないか」


「それはそう、だけど……!」


「だけどじゃない。そういうところだって言ってるんだ」


 確かに冷静さを失ってはいた。玄関での会話から察するに自分のことを隠して何かから守ってくれていたのだとはスーにも解っていた。

 それでいて、彼女は去っていくマグを引き留めようとし危険から救ってもらったことを忘れ、アプスが現れてくれなければ先生達の気遣いを台無しにしてしまうことだった。

 反省してしょげるスーを視界から外し、アプスは厳しく言った。




 そうして二人はそのまま実習室の小屋という空間を共にして時間を共有し今に至る。

 また暫くして再び二人の間に沈黙が流れ始め、刃を拭くアプスの背中を見上げていたスーは自分の尻尾を跨いで力無く床に寝そべった。

 聞きたいことも言いたいこともたくさん彼女の中にはあったが、アプスはそれを聞いて反応はくれても適切な答えをくれる相手ではない。スーもアプスも互いが互いをそう思っていた。


「大体、マグ先生なんてこれまでいなかったようなもんじゃないか……」


 話題に困ってしまったところでアプスが独り言のように小さな呟きを吐き、スーもそれをすかさず拾う。


「でも、帰ってきてくれたんだよ? ボクたちのために」


「僕たちのため……?」


「うん」


 彼女の言葉にアプスは剣を鞘の中にゆっくりと収め柄を鳴らして振り返った。

 視線の先で俯きながら頷くスーに、彼の特徴的な背伸びをした子供らしいため息を混じえ苦笑を返す。


「はっ。本当にお気楽な奴だな君は。そんなわけないだろ」


「あっくんこそ何でそんな風に強がるの? 先生が蘇ってきてくれて本当は嬉しいくせに」


 先述の通りアプスは苛立っていた。思い通りにならないマグに対して憤り、そんな彼から遠ざけてもまだその男の話ばかりするスーに対しても段々と怒りが込み上げてきていた。

 そんな彼にとって、純粋無垢で物事を良い方向に捉えるスーの言葉は自分の皮肉が凝り固まった思考と真逆なもので。とうとう彼は感情の爆発を引き起こした。


「いい加減にしろよ! 僕はあんな人何とも思ってない! 今更戻ってきて先生面なんかされても意味がわからない! 最初からいなくたってよかったし、帰ってこなくたってよかったんだ!」


 都合よく自分の夢を叶えてくれないばかりかいくら切り離そうとしても頭の中を支配する先生マグなんて最初からいなかったように思いたい。

 語気を強めて思っていることをそのままの言葉に乗せ、怒りと困惑のままに頭を抱えるアプスは路地裏のときと同じように必死な自分に冷静な自分が取り込まれているのを感じた。

 

 真情をを吐露するアプスの尽きない悩みを自分の気持ちと重ね合わせると、スーは泣きたいほどにそれが無尽蔵だと感じた。


 黙って彼を見守りながら、やっと小さく笑う。子供の我儘のようにマグへの不平不満を並べるアプスをどう思ったかは知れないが、ゆっくりと上体を起こしてしゃがんだままスーは彼に近づく。


「一緒に先生のこと迎えに行こ。ボク、約束があるの」


 そう言ってアプスの靴の後ろをとんとんと突いた。


「……ビアフランカ先生には内緒ね? ボクが危なくなったら、またさっきみたいにあっくんが守ってよ」

 




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