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ロストスペル  作者: 海老飛りいと(えびトースト)
第2章.魔法学校の教師
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29 竜の母親

***




 ――――――今の俺はきっと、誰かの夢の中にいるんだと思う。


 それというのも、前から歩いてくる人物は自分のよく知る姿形をしているけれど、その人がこの世界に俺と一緒に存在することは有り得なく。


 もし、有るとすれば世界を丸々写し出せるような巨大な鏡がこちらに向かって来ているとしか思えない。

 俺の方に革靴の音を鳴らし、段々近付いてくるその人は、


(……マグ? あんたは俺じゃないのか?)


 驚き立ち尽くす俺の前まで来て、俺の体……マグの体を俺と瓜二つの姿ですり抜けた。

 まるで俺が最初からそこに存在していなかったかのように、彼は俺に気付かない。


 透明なのか。幽霊なのか。幽霊なら俺ではなく、死んだ彼のほうではないのか。


 ただ、自分の実態を感じることもなく、声に振り返ることもなく、俺とは別に存在するマグは俺を透かして通り過ぎた。


(な、なぁマグ……! 教えてくれよ! なんで俺はあんたの体の中にいる? 俺はどうやって此処に来たんだ? 俺は、何でこの世界であんたになってるんだよ……!?)


 溜めていた問いを感情のままに連発するが、マグは一つも答えてはくれない。

 先を急いでいるのだろうか。


 温厚で優しげな顔を強張らせ、一般的な街人にしては不格好にやたらと目立つ黒曜石の角に青白い光を灯しながら、脇目も振らず一心に真っ直ぐな道を進んでいる。

 横につき何度呼び掛けても俺を認識することのないもう一人のマグを、俺は見失わないように追った。


 彼の角から発せられている青白い光の残像を追いかけ、広い扉の前に出た。


 扉の高さは俺達の身長の軽く五倍以上あるだろうか。横幅はも二人で手を広げたところで数倍はある。観音開きになっており、取手の部分には何重にも鎖の束がかけられ絡み合っていた。

 その鎖に手を突き出すと、マグが何やら眼を閉じ唱え始める。


 やがて、突き出した腕に緑の帯のような光が伸び、文字の羅列が浮かび上がった。

 それは、俺が路地裏でアプスやスーを救うために目眩ましの魔法を使った時に見たものと同じものだった。


 煌々と輝き無数の読めない言語が飛び交う中の一つを手繰り寄せ、呪文を読み上げる声を低く吐き出す。


「……開いて、くれるね?」


 その台詞の直前に、マグが何と言ったのかはよく聞こえなかった。

 彼は今、俺の前でやって見せてくれたので解った。


 マグは魔法を、俺では読めない文字や言葉として自分の体に記録しており、魔法を発動させるときに気を集中して具現化する。腕の周りに現れる光の帯はそれを検索する手助けをしており、それによって選んだ呪文を呟き術を出す。

 路地裏ではそれを理解していなかったため、俺は咄嗟の行動でそれらを曖昧にし爆発を起こしたのだ。


 マグの魔法を間近で認識していると、厳重に閉ざされた扉が開いた。

 絡み合った鎖は解けて下に落ちる前に霧散し、光の粒となる。

 それを吸い込みながら鉄の戸を押し、マグが少しの隙間から体を滑り込ませた。俺もすぐそれに続く。



「ファリー! 待たせてごめんよ……! 寂しかったろう!」


 そこに着いた途端にマグはそれまでのシリアスな姿勢を投げ出すように両手を広げて叫んだ。

 舞台役者のような大袈裟な手振りで駆け出すと、一目散にある物に駆けていく。

 扉の向こうは天井の高いホールのようなひらけた場所で、彼の向かった部屋の隅にこれもまた大きな竜が一匹、腹這いで佇んでいた。


「……ああ。マグ、貴方なのね。本当に……」


 マグが駆け寄ってくると、ファリーという名前を呼ばれた竜は弧にした長い首を曲げ彼の手に鼻先を当てた。


「嬉しいわ。もう会えないと思っていたの……」

「辛い思いをさせてすまなかったね。ファリー」


 白銀の鱗を持つ大きな竜は外見に似合わず朗らかな女声でマグに甘えた。少し窶れたような疲れた様子で、威厳や風格とは遠い落ち着き払った声を震わせる。

 マグもそれに応え、彼女の頭を抱え込むようにして撫でてやる。

 その姿は、まるで愛する男女が長い離縁からの再会を喜ぶようだと表現できるように、お互いの瞳が慈愛に満ちていた。


 俺はそばで見守りながらそう思った。

 ファリーの方にも俺の姿は見えていないらしい。俺の姿は、マグの頭一個ぶんよりある彼女のガラスレンズの目にも映らない。


(……うわっ!)


 ふと、足元で何かが転がり出てきて。

 俺は慌てて足を上げたが、やはりそれも俺の体をすり抜けてしまい気にする意味は無かった。


 俺の気を他所に嗅ぐような素振りで地面をつついているそれは、子犬ほどのサイズをしたドラゴンの子供だった。

 まだ目も完全には開いていなく、よたよたとおぼつかない様子で四つ足をもたつかせている。


「……ストランジェット」


 母性を宿したファリーの声が囁くようにそう言い、マグが俺の足元の小さな竜の赤ん坊に視線をあてた。


「マグ、この子は……私の……」


「ああ、そうだったのか。ファリーもお母さんになっていたんだね」


 ファリーの頭から手を離し、彼女がストランジェットと名前で呼んだ子供に近付く。

 マグはまだ鳴き声にもならないほんの微かな鼻息で存在を知らせる小竜のその前でそっと屈んで、その子を抱き上げると、


「やぁ。初めまして、ストランジェット」


 ストランジェット。

 その名前を、母親の腹から取り上げられたばかりの我が子と初めて顔を合わせたように、愛しげな表情で繰り返した。


 一体、俺の見ている夢は誰の夢なのだろう。


 マグがその小さな竜の子供をストランジェットと呼んだのを、確かにこの耳でしっかりと聞いた。

 つまりこの夢は俺に、マグとスーが出会った瞬間を見せている。

 マグ自身の夢なのか、スーの夢なのか、はたまたスーの母親であるファリーの夢なのか。

 俺は今、透けて触れられない体で誰かの記憶の中を歩き回り、判断材料を探している。


「ストランジェットは男の子? それとも女の子かな?」


 抱っこした幼竜のスーを持ち上げお腹を見ながらマグが首を傾げる。

 じたばたと短い四本足で空中を泳がされているスーを優しい眼差しで見、ファリーは呆れたように答えた。


「……マグ、貴方知っているくせに。私たち竜は番が出来るまで雌雄が定まらないでしょう」


「ふふ。そうだったね」


 おちゃらけた態度で冗談のように笑うマグ。

 叱るように彼女は言い、


「私が母親になれたのも、貴方に恋をして憧れて、それから……」


 唸るような怒声を段々と静めていき、小声になる頃にはすっかり恥ずかしそうな乙女の声でそう続けた。

 その台詞に合わせるように、スーを抱いたままマグは彼女の首の横に寄り添う。




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