19 イレクトリア
路地を出てすぐのこと。
「よぉ」
前を歩いていた男が立ち止まり、俺の方をちらと見て何か前方に向かって声を掛けた。
彼を追い掛けると建物と建物の間を抜けたすぐ先に、また別の人物が街灯の真下で本を開いて待っていた。
「待たせたな、イレクトリア」
「……はい。ああ、戻られましたか」
悪口男が道の先で名前を呼ぶと、その人物は片手で持っていた文庫本を閉じて声の主を振り返る。
街灯の下にいた青年は本を持たない方の腕にフィーブルの着ている物とよく似たコートを掛けていた。
同じ腕にワインボトルの入った縦長の紙袋を提げ、脇にも小さな花束を挟んでいる。
持ち物だけで見ればまるでこれから異性とデートに行く前の待ち合わせをする伊達男風だったが、それには似つかわしくないお洒落とは離れた機能的な黒い制服に身を包み、腰には剣を携えていた。
首に掛けたフィーブルと色違いの青いストールのような物には、蜂を掘った銀色の部隊証がついている。
「何だお前、遊んでやがったのか?」
「違いますよ。街の方からの差し入れです」
この世界には様々な風貌の騎士が存在することはこれまでの経験で解ってきてはいたが、新しく出会ったその人のことは一目で解るほど騎士らしい騎士だと思った。
前髪の半分を後ろに撫で付けた深緑の髪と、月色の瞳。姿勢も正しく、口調も穏やかで優雅さを感じられる。
「女からかよ」
「そんなところですね」
「けっ。クソッタレなガキのくせに……」
青年は威圧的な男の態度に怯むことなく、涼しげな笑顔で答えた。
悪口男と対照的な上品な所作は、勇ましい騎士や戦士というよりもさながらおとぎ話の中に登場する王子のようで、彼が街の女性の視線を集めるのには何となく納得できた。
悪態をつく悪口男にも馴れた様子で立ち姿を全く崩さない。
「ふ、ふふ、副隊長~! ひ、酷いんですよ! 聞いてくださいよ~!」
俺達の少し後を追ってきたフィーブルがようやく辿り着いたらしい。
おどおどとした挙動で優男に縋り付くと、彼女の首のベルの側にも彼と同じ蜂のマークの銀章が付いているのが見えた。
「ご苦労様です。フィーブルさん。荷物、お願い出来ますか?」
「は、はいっ。いやぁ、また沢山頂いちゃいましたね……お花にお酒にファンレターに……甘いお菓子はーーー……今日はないのかぁ……」
泣いて出てきた彼女に、副隊長と呼ばれた優男が軽く頭を下げる。
フィーブルはその合図に自分の言いたいことを飲み込み、(きっと悪口男に対する不満か辛みだろう)を我慢してか忘れてか、すぐ駆け寄ると副隊長が街の人から貰った物を受け取って目を輝かせながら中身を見やり、最後に残念そうに呟いた。
「おい、突っ立てんな」
その横で黙っていた煙草の男が、副隊長に視線を投げ俺への挨拶を彼に促すと、優男はフィーブルに手荷物をすっかり預けてこちらに歩み寄ってきた。
「お初にお目に掛かります。教諭。銀蜂隊の二番、イレクトリア・コールドスナップです」
彼は街中では大袈裟なほど恭しく深く腰を折ってお辞儀をした。
まるで何かの典礼の中にいて、俺の地位を錯覚させてしまうような気分になる一礼に、された俺は圧倒され返事に詰まった。
「ど、どうも。この度は助けて頂きありがとうございました」
やっとそれだけ。
俺もきちんと名乗るべきだったのに自分のものではないマグの名を口にすることに抵抗があったのか、自然に名が出てこなかったことを後悔したが、彼からしたら俺もただ街民の一人であり気にしていないかもしれないと思う。お礼の言葉だけで精一杯だった。
この人がフィーブルや煙草の男の上官なのだと改めて感じた。と、同時に路地裏での出来事を思い返し、大変な部下を連れているなと心の隅で同情した。




