138 放火
適度な飲酒で熱った肌に夜の潮風が気持ちいい。
海から来る涼風をこんなにも心地好く感じるのはいつぶりだろう、と夢想してしまえる程に。
なんだか遠いはずの砂浜の香りまでしてくる気がする。
都会と田舎を一気に堪能できるのが港街の良いところだ。
街頭と星明かりが競うように上下で輝いている。
ここからだと気持ち星のほうが一歩リードだな。
キラキラ光る具合を海面と競わせたら拮抗勝負を繰り広げるかもしれない星々の広がりを見上げると、思わず溜め息が溢れる。
(うん……? あれは……?)
ジンガを探して店の裏手を見る。
何やら屈み込んでぶつぶつ言っている怪しい人物がおり、その背中を見掛けた俺は直感的に立ち止まってしまった。
店に近いところで屈んでいるということは、飲み過ぎてしまった銀蜂隊の隊員だろうか。
もしくは忙しく働いた従業員といったところか。
そう考えるのが普通なのだが、この人物は明らかに黒々としたオーラを纏っている。
目に見えるわけではないけれど、空気感というか挙動が不審というか。
とにかくバレないように近付いてみると、その暗いオーラが益々濃くなった気がした。
(ははあ。さては吐き戻してるな……? 見ないふりを……いや、ちがう)
暗がりで何か唱えるように影に向かっている男は、フードで顔を隠しているようだ。
背中越しに手元を見ると、俺が預かってきたライターと同じような小型の着火装置を持っていた。
怪しい男は俺に気づくことはなく、そのまま増幅呪文が記された紙に火をつける。
(こいつ……! 放火じゃないか!!)
慌てて背中から男に組み付き、火のついた紙を奪い取る。
「まて!」
「なっ?!」
無論、男も無抵抗というわけではない。
羽交い締めにしようとした俺の腕をするりと抜けて向かい合い、紙を取り返そうと正面から俺に掴みかかってきた。
「この店に何してるんだお前?! 火をつけようとしてただろ!」
「うるさい! 邪魔するな! 返せ!」
互いに取っ組み合いになってしまったが、俺よりも相手の方がたっぱも腕力もある。
体格も良いし漁師か建設現場で働いていそうな感じだ。
勢いで捲れたフードの下にも筋肉質な青年の首筋がちらちらと見え隠れしている。
(くそっ、負けるか……!)
腕力では負かされてしまいそうだ。
だからといって俺も放火犯をこのまま放っておくわけにはいかない。
弾き返して押し倒してやりたいが、こういうとき恨みたくなるほどマグの体には筋力が足らず、俺の方が若干押され気味になってしまう。
踏ん張りをきかせて耐え抜くのでいっぱいだ。
だとしても、取り上げた放火未遂の証拠だけは手放すもんか。
全身で男に抗い続けていると、
「よォ。楽しそうじゃねーか。俺も混ぜろよ」
聞き慣れた声と共に現れた悪漢隊長、ジンガの左拳が男の脳天へと振り落とされる。
痛そうではすまなそう。 放火犯に雷が落ちた音がした。
男は頭蓋骨を割り砕かれたような衝撃を受け、悲鳴を挙げる間もなく俺を放し吹き飛ばされてしまった。
「じ、ジンガ……!」
「ご苦労。ちょうど火が欲しかったトコだぜ」
俺が持つ皮紙についた炎に巻き煙草を近付け、火を点けながらジンガは呆れたように鼻を鳴らす。
放火犯の男の横っ面を爪先で蹴飛ばす彼はもう酔いから覚めていた。
俺の体温も、今の事件のせいで夜風を冷たく感じ直すほどになってしまっていた。




