111 眠る人々
ミラが眼鏡に触れて何かを呟き、その手を前へかざすと頑丈な鉄扉が左右にスライドして開く。
重そうな見た目に反して大した音も立てず滑るようになめらかに。
「こちらです、マグ先生。彼らが王国からお預かりしている黒織結晶の被害者たちです」
エレベーターが下降した先。
先に足を下ろしたミラが片手で示した先は一つの大きなホールになっていた。
(……何だろう。このすごく嫌な感じ、は……)
彼女に続いて歩みを進めた途端、何とも言い難い重苦しい空気が肺の中に落ちてきた。
唾を飲むだけで直接関係ないはずの気管支がぐっと狭まってむず痒くなり、後から段々痛くなる。
「全員、今は休眠中にしてあります。数時間置きに栄養剤を投与し、係の者が交替で健康状態を確認します。今は私たちだけですが多い時には数人体制で部屋内の管理をしております」
俺は淡々と説明するミラの言葉を聞きながら視線を追う。
光の廊下とは対になるような不気味さを持つ真っ白な大部屋には、長方形の箱が整理され均等に並べられ置かれていた。
そのうち一つに近付いて覗くと、箱の中には成人女性がひとり。収まって眠っていた。
胸の前で手を組み安らかな寝息を立ててはいるが、首の付け根には痛々しい亀裂があり僅かにだが黒織結晶を生やしているのが解る。
何十と並ぶ鉄箱の中身は全て同様に黒織結晶の被害を受けた人々らしい。
部屋に立ち込めていた暗い雰囲気の原因が解った。
(休眠って……これじゃあ植物……いや、まるで死んでいるみたいだ。こんな状態でいるなんて……)
俺にとっての部屋の第一印象は、「死体安置所のようだ」。だった。
口には到底出せなかったが、花を添えられ火葬場に入れられるのを待つ棺桶が並んでいるのかと思うような。そういった印象だ。
収容所や避難所という言葉で表現できればまだ活気があるのだが、それよりもずっと無機質で酷い。
隔離施設と呼ぶには余りにもおざなりで、同時に気味が悪すぎるほど整然と並べられた様は悪趣味が極まったジュエリーショップのショーケースのようだ。
この部屋ではヒトが人としての生活を与えられていない。
売られることのない飾り棚の上の商品のように並べられているだけなのだ。
「ここに寝かされている人たち全員が体に黒織結晶を……?」
「はい、その通りです。マグ先生」
俺は部屋に安置された人々を一望し、自分に課された役目を改めて思い出す。
「この人たちを助ければいいんですね。俺の魔法を貴女たちにも伝えて、使って……」
「……先に一度貴方の魔法を見せて頂いてもよろしいですか?」
ミラに促された俺は一度手のひらを握り、一番近くの箱で眠る女性に片手を翳す。
手の上に魔法辞典を呼び出そうと折りたたんでいた指を開くが、
「……すみません。今はまだ」
「なぜです? 此処ですぐには出来ませんか?」
「助けるために俺も尽力します。ただ……俺の魔法は黒織結晶を除去することは出来ても、そのあとの傷口を癒すことが出来ないんです。黒織結晶があったところに大きな穴が開いてしまって。だからそこは治癒団の人たちの手を借りて、一緒に……」
ファリーの最期を思い返し手を止め下げる。
泣きじゃくるスーの顔が記憶に蘇ってきて俺を思いとどまらせた。
そうだ。俺の魔法には確かに彼らを救える力があるが、それは不完全なものだった。
あの時だって咄嗟に機転を利かせてフィーブルから絵本を借り、イレクトリアの空想魔法を行使させ場を繋いだからファリーを見送ることが出来た。
黒織結晶から解放され正気に戻ったファリーは幸せそうな顔をしていたし、同時に自分が消えることを悟っていた。
ファリー自身が消えることを願ったとはいえ、本来ならば既に存在していない肉体を何者かによって呼び出されたのか造られたのか。
魔王に幽閉され一度は最期を迎えた彼女を現代に蘇らせてしまったのは、一体何が原因だったのか。
その根源に俺たちが辿り着くことは出来なかったが、空想魔法で打ち消すことができたファリーの肉体は同じ空想魔法によって創造された可能性があるという結論が、あの晩から出てはいた。
ファリーは死んだ自分の体が本来は存在してはならないことや永遠に在るものでは無いことを理解していて、俺に真実を伝え、納得した表情で消えていったのだろう。
だが、今俺の前で眠っている人々はどうだろうか。
全てを知っていたファリーと、王国から機械都市へ連れてこられて眠らされているこの人たちでは状況が全く異なるではないか。
それが俺の持ち上げた片手を躊躇で支配して降ろさせた根底の理由だ。
黒織結晶を身に宿す前の彼女たちの暮らしや人隣り、こうなってしまった経緯もわからないままに「責任を持って全員助ける」などという言葉が俺の口から今すぐに出せるのだろうか。
全てを悟って愛するマグにさよならを誓ったファリーと彼女らは違う。
彼女らは俺にもマグにも赤の他人で、一人一人がそれぞれの人格や事情をきっと持っている。
俺にはそれを知る術もなければ、知ったところでどうすればいいか余計に葛藤してしまうことになるだろう。
わずかに上下する胸や腕に浮かぶ静脈の薄い青筋は、彼女らが生きている証。
狭い箱から出られない人々は何を考えながら眠っているのだろう。
彼女らは俺に助けられたいと思っているのか。
そもそも眠らされたままでは、俺が部屋に入って来たことすらも判断できていないだろうに。
助けるとは言っているものの、万が一のことがあれば何も知らない彼女らを俺が手に掛けることになってしまうかもしれない。
そうなってしまったら責任の矛は、何も知らずに知った振りをして機械都市に来ることを志願した俺自身にもやって来る。
「救う」を行う権利など俺一人にはない。
此処まで来て、現状を突き付けられた俺は立ち止まってしまった。
「ミラさん。少し考える時間をください。治癒団の人たちにもきちんと話を通してから事にあたったほうがいいと思いますし、この人たちのことも出来る限り知ってからにしたいなって」
「ええ。そうおっしゃると思っておりました」
迷いが生じた俺の台詞に、ミラからは意外な返事が返ってきた。




