106 ジムディと有能な執事
リュワレの緊張の糸がほどける。
ジムディの姿が廊下の角を曲がり見えなくなったところでようやく、彼女は全身の力を抜いた。
(はぁ……またこんなところを見られてしまいました。でも……わたくしだって……)
言いたい言葉をぐっと堪えて従者を見る。
「どうされました? お嬢様。私は貴女に協力しましたでしょう? 次はお嬢様が私に合わせる番だと思いますが?」
「わたくしを嵌めたんですの?! コルベール!」
リュワレはコルベールとジムディは連携して自分を陥れているのではないか。と、疑うことがある。
こういった場面に出くわす度、今のような状態になってばかりだ。
「わかりました。結構ですわ。はぁ」
今回も何とか躱せはしたものの、このままでは身が保たないとさえ思う。
彼女から大きな溜め息が漏れた。
一つ。ガスト・ジムディ様に対して失礼なことがあってはならない。
何故なら彼はリュワレの婚約相手。
近い将来、あと一年以内には旦那様となる大切な唯一無二の人物。
リュワレ自身は本当のところあまり乗り気ではないが、婚約はコルベール曰く「機械都市のこれからの発展のためと愛する娘の幸せを願い、亡くなったご両親がお決めになった」事だ。
彼女にはそれをはね除けて断る理由も意思も無ければ、他に将来を誓い合うような相手もいない。
リュワレは年齢からしてまだ恋愛をするということすらも真面目に考えたことがない少女だ。
だが、彼との婚約は彼女が両親と別たれた八才の時から決められていた。
大好きだった父と母の遺言で、言い付けで、幸せな呪いなのだ。
必然であり運命だ。
変えることは出来ないと解っていながら、それでもなお漠然とした何となくだけでリュワレは彼を好く努力を辞めたいと思っていた。
それというのもまず、ジムディとは年齢の差が二回り以上ある。
リュワレから見れば親と変わり無いほどに彼は歳上だ。そのうえ立派な口髭や脂付きの良い腹回りのせいで、実年齢よりもずっと老けて見える。
仲睦まじく寄り添って歩いていたところで、恋人同士ではなく姪と叔父のような関係に見えてしまうだろう。と、思っている。
勿論、婚約者らしいことをしていないわけではない。
デートのお誘いを受けたこともある。
だが、二人きりで過ごす時間は尋常ではないほどリュワレには酷なものだった。
ジムディの口から出る話題は、機械都市のこれからの在り方や国王との謁見、貿易ラインの見通しに外交。
道路整備に、資源の制限、人口問題の改善……その殆どがいわゆる仕事の話ばかりである。
リュワレの興味があること(例えば、おしゃれであったり外側にある観光地や習わしであったり)にジムディは関心が無い。
二人で隣に座って同じ映画や演劇を鑑賞してみても、外側からシェフを呼んで特別な料理に舌鼓をうったとしても、それらを話題にして会話を弾ませることがリュワレには出来なかった。
リュワレが彼に対して愛情を持つ努力の実を育てようとしても、実が太く結ばれないだけなのだ。
どうしたらいいかがわからない。
それはきっと向こうも同じだとリュワレは思っている。
父の代から親交があったためかコルベールとジムディとはそれなりに気が合っているようだった。
そのお陰でリュワレとジムディの関係はかろうじて良好なままでいられるともいえよう。
結局は仕事と同じでコルベール任せ。
気を遣うことには馴れている。彼女はただ笑っていれば何とかなる。
「お嬢様」
両親の忘れ形見である機械人形は有能で敏腕で機転も利く。
立派な執事であり秘書である。働きぶりがおそろしくなるほどその勤めを果たしている。
「困るのは貴女ですよ。私もお嬢様のためを思って……」
「わかっております。わかっておりますのよ、わたくしだってちゃあんと」
後を共に歩きながら声を掛けるコルベールが、顔の横をトントンと指で叩く。
どうせまたお小言だろう。眼鏡のレンズ型をした光を目の前に出す彼に、リュワレは言葉をさえぎって頷く。
自分はこんなにも婚約者に対して考え、深く悩んでいるばかりなのに、その気も知らずに言いたい放題だ。お節介だ。
自身に代わって日々の予定を立て、実行させている優秀な人物だが融通がきかない。
とにかくコルベールは口うるさい。それがリュワレは嫌だった。
「……コルベール。あちらのお方は?」
「ええ。次の時間からのお客様です。王国騎士団の銀蜂隊長ですね」
廊下を道なりに進んだところで、反対側から歩いてくる人を見て小さな疑問を出すリュワレ。
正装の不似合いな中年がこちらへ向かって来ている。
自分から身なりを整えたとは言い難いその姿は、彼女とは初対面になるジンガだ。
「そう……ですか。もうお一人の方は……?」
しかし、その時のリュワレの視線はジンガよりもその隣の人物、副隊長へと向いていた。




