105 本来の彼女
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リュワレ・オーミットは機械都市の顔役であり、都市の外側との友好や通商を担う橋渡し。
機械都市に住まう者は皆、強く美しく威厳と慈愛に満ちた才女たる彼女を慕い敬っている。
彼女の立ち居ふるまいには常に品位があり、御足が歩む道路はたちまち白銀一色に染め上げられ、都市繁栄の礎となる。
貧しき者には施しを。賢き者を導きを。
まさに「現世に降臨されし神話の女神のようだ」と人々は誰もみな彼女を仰ぐのだ。
機械都市の中枢部、天塔の上で住人たちを優しく見守る彼女のことを願い想って。
「ああもうっ! やっていられませんわ。コルベール! わたくし……もう今日は休みます! 休みますったら!」
ウェーブのかかった桃の柔らかな御髪に、憂いを帯びたサファイアブルーの瞳。
細身のシルエットを際立たせる会合用特注のドレスに身を包んだ都民たちの女神様……は、どこへやら。
実際のところ、女神は人々の勝手な理想像に過ぎなかった。
リュワレは年齢相応の少女であったが、本来の彼女を知る者はほんの一握りの使用人たちだけ。
高底靴をカツンカツンと鳴らして大股に歩き、怒りをあらわにしながら自室へ向かっている彼女こそが本来のリュワレその娘の姿である。
本日も数人の来賓の応対を終え、都市の入り口で来賓を出迎えるホログラムの調整を行うなど業務を済ませつつ、今は自室へ戻ろうとしているところだ。
「お嬢様。本日の業務はまだ終了しておりません。この後は外より参られました王国騎士団の方との接見がございますので」
「い、言われなくとも解っております……」
自室への道を遮る冷静な秘書・コルベールの言葉に、リュワレはがっくりと肩を落とす。
彼女の我が儘には必ず彼の邪魔が入り、一度たりとも通してもらえたことがない。
「わかっておりますわ。コルベール、でも」
「でも。も、だって。も、不要です。時間が迫っておりますので。貴女にお部屋で休息をとる余裕はありません。お化粧を直されるのであれば無駄なく迅速にお願いいたします」
片手を振り動かし、本日のリュワレの執務日程及び時刻表を空中に表示させるコルベール。
主である自分よりも仕事熱心な彼を見ていると、リュワレはいつも思う。
(お仕事なんて、わたくしじゃなくてコルベールが全部やってくれたらいいのに……どうせわたくしに出来ることなんてないのですし……)
機械都市を背負って立つ優秀な才女なんてはったりだ。
自分は人々が想像するような人間ではなく、都合よく誂えられたただけ。
飾りで、操り人形で、小さなネジ一本にも満たない単なるハリボテなのだ。
用談の席に座らされたところで話の内容などほとんど右から左に耳穴を滑り出ている。
出来ることといったら、難しい言葉を並べ立てて商談をしているコルベールの隣でほほ笑んでいるだけ。
いつもいつも商談相手の機嫌を損ねないように顔色をうかがい、あくびを堪えて時間が過ぎるのを待っているだけだ。
そんなことで何が顔役だというのか。
リュワレを自分のことを、無力で無価値な一人の少女であると自覚している。
機械都市の人々は身勝手だ。と、彼女は生まれてこのかたずっと思っていた。
両親と離別し物心がついた時から今のような暮らしになった。
毎日毎晩、寝ても覚めても生活を管理され、時間に厳しく歩き姿一つにまで細かく小言を並べ立てるコルベールの監視下に置かれ、虚像を敬う住人らから意味の無い期待を浴びせられている。
「快適で理想的な暮らしを機械都市で」などと言わされているが、嘘っぱちもいいところ。
自分ほど窮屈で理不尽な暮らしを強いられている者はいないだろう。
「ごきげんいかがかな? リュワレ。またコルベール殿を困らせているのかい?」
廊下でコルベールと押し問答をしていたリュワレは、後ろの髪をぐいと引っ張られたかのように振り向く。
「……ジムディ様」
いつの間に近付かれたのか気付かなかった。
彼女の肩にそっと手を置いて話す中年の名を呼びながら、リュワレは緊張して背筋を伸ばした。
「いいえ。何でもございません」
「はあ。それならばよいが……」
「少し息抜きをしていただけ、ですわ。ねぇ、そうでしょう? コルベール」
「……ええ。さようでございます」
「そうか」
表情をこわばらせるリュワレを冷ややかな目で見、視線を現れた男へと移す。
コルベールは浅はかな主人に呆れながらも話を合わせた。
心配そうに彼女たちの様子を尋ねる中年こと、ガスト・ジムディも二人の言葉に頷くと、「それではね」と挨拶を残して去ってゆく。




