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探偵の拳  作者: 大培燕
第三章 灰を嘗める
23/25

3-4 不公平だろこんなの

「四之原だと?」

「嘘!哲也君とは親友じゃないの?」


 鳴の口によって、犯人の名が明かされた。

 四之原真守。

 もし本当なら、何とまぁ狡猾な男だろうか。


「哲也君が睡眠薬を持ってる事を知ってる人物。かつ彼と親しく、致命的な弱みを握っているとしたら、真守君以外しかいない」

「根拠そんだけ!?」

「まだあるよ。甲斐谷君の殺害後のアリバイ確認で哲也君は証言してる。死亡時刻前後に会ったのは『真守だけだ』って」


――――――――――――――――――――――――――――――

「あっ、哲也!」

「な、何だよ修太郎」

「俺さ。五時半ぐらいに一階のトイレに行く途中、階段の前でお前に会ってるよな?それで証明にならない?」

「はぁ?俺はお前とは会ってないぞ」

「え?そうだっけ」

「その辺の時間帯に会ったのは真守だけだよ」

――――――――――――――――――――――――――――――


「あっ、確かに言ってた!」

「あれって、四之原を部屋に通してたって事なのかよ!?」

「それに、彼は全ての調査に参加してる。証拠を隠滅するには絶好の役割のはずだわ」


 驚嘆する二人を他所に、鳴は考える。今にしてみれば、あれは修太郎が虚を突いて引き出した証言だったと思える。真守にとっては計算外だったに違いない。とすると、修太郎は犯人をだいぶ前から分かっている事になる。


「で、でも! ダイイングメッセージに書いてあった七里君だって怪しくない?」

「そう、それ」


 指された人差指を渚が払いのける。


「ダイイングメッセージがどうかしたの?」

「メリケン、じゃないのよあれは」

「じゃあなんなんだよ」

「カタカナの『メリ』じゃない。漢字の『刈』って書いてあるんだよ、あれ」

「増々意味が分からないぞ」

「そっか、皆には分からないよね。たぶんあれは……」


                  ******


「覚悟はいいか?『刈り上げ君』。哲也も最後の最後で意地を見せたな」


 修太郎は四年ぶりに渾名で真守を呼んだ。母・千鶴が、真守の髪型から付けたセンスの無い渾名である。


「ちっ……あの野郎」


 真守は右手に持っていた鉄パイプを握り直すと、中段に構えた。


――奴は素手だ。誰も見てない今なら、正当防衛を装って殺せる!


 それを見た修太郎は懐から、回収されたはずのメリケンサックを取り出し右拳に装着した。


「馬鹿な!? 回収したはずだ!」


 その破壊力を知っている真守の顔が青ざめる。


「アホってやつは一つ見つけるとそれ以上は探さないからな」

「くっ!」


 そう言うと修太郎は間髪入れずに、一気に間合いを詰めた。リーチの差を無に帰すつもりである。


「寄るなッ!」


 真守は瞬時に反応すると、引き小手を撃ちながら下がる。修太郎はそれを外受け……メリケンサックを嵌めている方の拳で払う。真守は一旦間を置いたつもりだったが……。


「イエアァァッ」

「ぬぅっ!?」


 真守の想像を上回るスピードで、修太郎の追い突きが飛んでくる。素手ならまだしも、鉄パイプではとてもではないが防御が追いつかない。右拳、左拳がクロスしながら真守の顔面、喉、鎖骨を捉えて行く。


「セェェェッ!」

「くっ、あっ!?」


――ドンッ!


 何もできないまま、真守は壁まで吹っ飛ばされる。自身も嗜んでいた筈の空手の連撃が、メリケンを嵌めるだけでここまで昇華……凶器になるとは思っていなかった。


「フシュッ」


 修太郎は連撃で乱れた息を整える。そこで真守は気づく。吹っ飛ばされたお蔭で距離が空いた。今の真守と修太郎の間合いには人間二人分が入る。


「悪いな修太郎、この距離なら……俺だ!」


 真守は瞬時に体躯を活かした上段に構え、修太郎の脳天をぶっ叩こうとした。が、フェイントも何もかけずに突っ込んだ真守の動きは、修太郎には全て読めていた。


――小手、がら空きだ!


 修太郎は上げ受けで鉄パイプを弾くと、その流れで真守の手首を蹴上げた。


「ってぇぇぇあ!」


――バシィッ!


 皮膚を叩く音と共に強烈な足刀がヒットし、真守の握力は奪われた。鉄パイプは青空に高々と舞い、屋上から落ちて行く。


「うあ、うぐあああ……」


 武器を失った上に、手首に深刻なダメージを負った真守が唸る。修太郎はなおも容赦なく、顔面に一撃を加えようと真守の手を捻りあげる。


「触るなッ!」


 真守は手を振り切り、距離を取ると、懐からナイフを取り出した。


「それ、哲也のか?」

「ああ。俺のはもう使ったからな」

「それも盗品か?」

「これが原因の品だ」

「……」


 修太郎は怒りのあまり言葉もない。


「これを万引きしたところを、お前の母親に見られたんだよ」

「そんなもんの為に……」


 修太郎は思い切り踏み込んだ。


「殺したのか、母さんを!」


 真守の胴に向けて、中断蹴りを思い切り放つ。


「うおっ!?」


――スパァン。


 反射的にナイフを持っていない方の手で、ギリギリガードする真守。だがその重さに体が吹っ飛ぶ。立ち上がったが、腕は摩擦で擦り剥けていた。


                 ******


「ダイイングメッセージにそんな意味が……」

「そう、それにアイスコーヒーを漆原さんが取りに行った時、二つパックがあったでしょ?」

「ええ、残り一杯分のと、ほぼ満タンの方……一杯分の方は、四之原君が飲むって言って……」

「やっぱり……そうすれば、自分以外の人間だけに睡眠薬を飲ませられる。光君も、今残ってる奴から飲んだでしょ?」

「あれって、そういう事だったのか……」


 鳴はパックを回収し、証拠を確保した。だが、誰が睡眠薬を混入させたかを示す証拠はない。決定的な証拠が足りない。


「ど、どうするんだよ蓬生!?」

「これだけじゃ、しらばっくれられるわよ?」

「大丈夫……証拠が無ければ、作るだけよ」


 鳴はスマートフォンのアプリを起動して、屋上へ向かった。


――シュウちゃん、無事でいて!


                 ******


「響姉の死体」


 修太郎は目を真守の目から離さずに、語り始めた。


「ピンと来たよ。頸椎がグチャグチャになってたが、その下に真一文字の傷があったからな」

「何のことだ?」

「刺したんだろ?一回。そのナイフで」

「……」


 その無言が、答えであった。


「母さんを刺した犯人も、頸椎の急所を刺していた」


 人と言う生き物は、窮地では過去の成功体験に縋らざるを得ない。殺人という最高潮の緊張を生む舞台では、尚更の事だった。


「まったく、知らなかったよ。首を刺して殺すのがあんなに難しいもんだったとは」


 つまり、響は頸椎を刺しただけでは死ななかった。急所を外してしまい、致命傷を与えられなかったのだ。


「お前の母親の時は、ありゃマグレだったってことだな」

「どうやって刺した。どんな卑怯な手を使った?」

「万引きを見つかった哲也が泣き崩れて、お前の母親が諌めようとしてしゃがみ込んだ。そうすりゃ、子供の俺でも背後から刺せる高さになるってわけよ」

「……」

「あんときゃ、大変だったんだぞ? 泣きながら返り血を処理してよ。連絡して来てくれた響姉に頼み込んで、嘘の証言もしてもらった。子供だからまさか、と思って疑われなかったんだな」


 真守は修太郎を煽る。彼もまた、五度目の殺人の覚悟を決めていた。


「首の傷、あれで気づいたのか?」

「今回はな。母さんの時は、随分前から気づいてた」

「ほぉ?」

「遺言がおかしかったからな。ありゃねつ造に決まってる」


 第一発見者であり、千鶴の死を看取った響から伝えられた遺言。内容は『三人仲良く』。


「首を刺されて致命傷になったんだ。そもそも喋れるはずがない」

「御名答。ありゃ響姉が俺たちの仲を悪化させない様に言った嘘だよ」

「その辺は、涼に聞き出してもらったよ。庇ってる奴の名前だけは明かさなかったが、俺にはお前らしかいないとピンと来た。だから響姉が死んでも、俺の心は大して痛まなかった」

「おいおいマジかよ」

「この旅行で俺は、お前らを糾弾するはずだった。響姉と哲也に自供を促し、孤立したお前だけはこの手で殺すつもりだった」


 鋭い左拳を放つ修太郎。体勢を立て直した真守は間一髪で避けた。続けて左右のワン・ツーを放つが、大きく後ろに下がられたので一旦呼吸を整える。


「だが驚いた事に、俺が手を下す前に殺人が起こった。俺は真っ先にお前を疑い、状況を利用する事を決めた」

「わざわざ演技までしてここに誘い込んだってわけか。こいつは御見逸れした。まさか、お前の方が探偵だったとはな。鳴は囮かよ」

「俺もお前を見くびっていた。共犯者を口止めのために殺しちまうとはな。お前の腐り具合には呆れるよ」

「何とでも言え」


 今度は真守がナイフで突く。修太郎は斜め前方に動きながら避けたつもりだったが、腕には切れ目が入っていた。真守がナイフを使い慣れているのは明白だった。


――意外にリーチが長い。これは、無傷は無理そうだな。


「響姉が突然呼び出したんだよ。俺を」


 修太郎は若干驚いた。響は修太郎が糾弾する前に死んだ。なので当然、真守が響を呼び出したと思っていたからである。


「今更、自首しようなんて言い出しやがった。俺は絶句したぜ。なんせ、四年も前の話なのによ」


 修太郎は、前言を撤回したかった。響には、良心が残っていた。自分を抱きしめた時に流した涙は、本物だった事を悟った。協力を頼んだ涼からも、そうだと聞いてはいた。だが、他人の本心など分かったものではない。目の前の真守がその証明ではないか。


「甲斐谷と付き合っていた事は、正直驚いたよ」

「言っておくが本当だぞ。聞き出してもらったのも本当だ」


 修太郎は何故涼が殺されたのか。その理由だけは聞いておきたかった。


「そうなりゃ当然、甲斐谷にも伝えた可能性があったからな」


 修太郎の中で、また一つ怒りのゲージが溜まった。


「念には念を入れて、始末させてもらった」


――また、保身のためだと?そんな理由で、俺の親友まで殺したのか!


 ボルテージは、はち切れんばかりに跳ね上がる。自分の未来も、真守の未来も、もはや眼中にはない。


――それだけで、あんないい奴を殺したのか!


「殺人の動機は全部保身かよ。どの道成功しねぇよ、お前みたいな人間は」

「分かるもんかよ。とりあえずお前を殺して俺が生き残る。証拠は全部消したし、勝った方が正当防衛になるだろ」

「証拠を消した?」

「そうだ。全部な」


 修太郎は左右にステップを踏み、真守が振り下ろすナイフは空を切る。その音が真守には心地よい。

 自分は強者の側にいる。その事を自覚させてくれる、心強い味方。


「どっちにしろそのナイフに指紋が残るだろ」

「哲也の指紋もついてる。どうとでもできるさ」

「哲也も『証拠』だったから、始末したのか?」

「そうだ。監禁部屋に入れてもらったことがバレるからな。あいつお前の誘導に乗って口をすべらせやがったし」

「クソ野郎が」

「お前はそのクソ野郎が殺してやるよ」

「……」


 真守はナイフを乱打する。

 流石に全てをかわすことは出来ず、修太郎の腕には着実に裂傷が増えていく。


「お前、俺を殺すと言ったな?」


 精神的に余裕ができたのか、真守の方から精神に揺さぶりをかけてきた。


「殺すさ」

「なら何で俺みたいに凶器を持たない」

「そんなもの、必要ない」


 真守がナイフを振りかざす。

 修太郎は、その真正面へ突っ込んだ。


「何!?」


 優位に立ったと思い込み、油断していた真守は懐へ入り込まれ、ナイフの間合いを潰された。


「せあっ」


 強烈なショートアッパーが真守の顎にヒットし、体が吹き飛んだ。


「俺は母さんの空手でお前を殺すんだ。お前が殺した母さんの血が通った、この俺の拳で!」


 よろめきながらも、真守は立ち上がってナイフを拾う。


「殺す?無理だな。お前には覚悟が無い」

「……」

「さっきからゴチャゴチャ喋ってるのがいい証拠だ。甘ちゃんがよぉ」


 真守はニタつきながら言い捨てる。修太郎は歯ぎしりの音を立てる。


「実際、お前の拳を喰らっても俺は立ってるぜ? 最初からお前は殺人を犯す勇気なんて持ち合わせちゃいないのさ」

「違う!」

「なら、包丁でも取って来い。待っててやるよ」


 真守が階段を指さした、その瞬間だった。


「シュウちゃん!」


 人差指の先には、鳴がいた。


「おい、何やってるんだお前ら!」


 光の驚き顔を見た瞬間、真守は勘付いて青ざめた。


「お、お前ら、聴いたのか?」

「聴かせてもらったわ、全部。それだけじゃない。録音もさせて貰った」


 真守の顔が歪んでいく。だが、扉からの距離では何を言っているかまでは分からないはず……そう思った真守を鳴の一言が追い詰める。


「残念ながら、この程度ならスペクトル解析で音声復元できるわ。ノイズを除去すれば、何を喋っているかぐらいは分かるようになる。警察の情報処理能力を舐めない方がいいよ」

「なっ……」


 凄い光景であった。真守はナイフを持って動揺しているし、修太郎は物凄い殺気を放ちながら正中線に拳を構えている。


「ど、どっちを信じれば?」

「確かに、どっちも殺人鬼に見えるぜ」


 渚と光は未だ修太郎を信じられない。

 その迷いを吹っ切るように、鳴が正義を判定する。


「目を見れば分かる。本当に怒っている方が正義よ」

「遅かったな、メイ探偵」


 修太郎がどちらの意味で言っているのか、鳴には分かりかねた。


――きっと、『名』だろう。うん。


「シュウちゃん。もう全部終わったから。闘いを止めて」

「黙れ」

「えっ」


 全て終わったと思っていた鳴は見通しの甘さを悟る。修太郎は止めるつもりはない。


「俺は殺人者になる。ならなければならない」

「馬鹿な事言ってないで……」


 だが、修太郎の目を見て、冗談でないことが鳴にも伝わった。鳴の脳裏に、絶望の未来がよぎる。


「俺はこいつを殺すために生きてきた」

「ダメ! そんな事したら、シュウちゃんまで……」

「死ぬのはお前だ。キャリアが違うんだよ」

「キャリアだと?」


 真守はナイフをクルクルと回して余裕を見せる。


「殺人のキャリアだよ。俺はもう四人も殺してるんだぜ?お前は『童貞』だろ」

「……」

「俺はお前を殺せる。だがお前は俺を殺せるのか?」

「できる」

「できないな。凶器も使えない甘ちゃんに出来るわけがない」

「やるんだよ!」


 真守は自分を落ち着かせるため、ナイフをクルクルと回し始めた。

 これが彼のルーティーンなのである。強がってはいても、顎と体にメリケンで底上げされた打撃を喰らい過ぎた。真守はもう満身創痍である。一撃で、修太郎を仕留める方法を考える。


――落ち着け。ナイフを一撃、アイツに刺すだけで勝負は終わる。その後は、残ってる全員を始末すりゃあいい。俺が、生き残る!


 一方の修太郎は気持ちを単純に昂らせ、冷静さを捨て去る。

 殺人級の一撃に必要なテンションの高さまでメンタルを持ち上げる。条件はまだ、修太郎に分が悪い。

 殺傷能力は、ナイフの方が上。だが両者にはそれ以上に、気持ちに、精神に差があった。


「お前、刺されたら死ぬぞ?」

「構うかよ」

「虚勢張ってんじゃねーよ」

「どうあっても相討ちには持ち込む」

「死ぬぞ?甲斐谷みたいに」

「少年院に入る手間が省ける」

「……」


 真守のルーティーンは何度も何度も繰り返される。焦りを顔に出さない様、必死に努めながらも頭の中はかつてない危機に混乱していた。

 鳴と修太郎。ただの幼馴染だった筈の二人に追い詰められている事実。真守は酷くイラついた。


――不味い。こいつには少なくとも、死ぬ覚悟がある。

 理不尽な話だ。何故殺人鬼の俺が、怯える側にならなければならない!?

 こっちは既に逮捕されるリスクを負ってるんだぞ?不公平だろこんなの!

 落ち着け。安全なタイミングを探すんだ。隙を付け。殺されずに殺す!


「シュウちゃん! 止めて!」


 殺人だけは、させるわけにはいかない。その決死の覚悟をもって、鳴が飛び出してくる。


「鳴! 来るな!」


 修太郎の目が真守から鳴に移ったその瞬間。

 真守は見逃さない。

 一歩でナイフの間合いまで踏み込んだ。


「ぬっ!」


 修太郎は、咄嗟に腕でガードする。

 だが無情にもナイフは脇腹に突き刺さる。


――勝った! 鳴、お前は俺の女神かもしれねぇな!


 勝利を確信した真守はすぐさまナイフを腹から抜き、心臓に留めの一撃を加えんと、突撃する。

 体ごと使っての、突進。避ける術は無かった。


――ズブリ。


「ぐっ!」

「シュ……嫌ぁぁ!!」


――これだ!

 筋肉に刃を押し込む確かな感触。

 四年前の、あの時と同じ。

 さぁ見せろ。

 今までの四人が見せてきた、苦悶の表情を!


「ッカァァァッ!」


 目を見開いたのは真守の方だった。

 修太郎の眼球は、真っ直ぐ真守を睨み付けていた。

 怯んでいない様子から、真守はナイフが刺さった部位が胸で無く腕であったことに気づく。そして次の思考を覆い隠す様に、加速度がついた自分の体目がけて、メリケンサックを纏った正拳が飛んでくる。


――グボッ。


「ひぅん!」


 声になりきれなかった音を吐き出し、真守は飛んでいった。修太郎はゆっくりと立ち上がり、腕のナイフを引っこ抜くと、後ろへ放り投げた。


「か、は……ッ」

「カスが。ナイフなんて、非行少年の持ち物だろうが。俺には必要ないんだよ」


 その拳に付けている物はいいのかよ?という疑問を心の中でぶつけ、真守の意識は薄れていった。

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