都市高にて
付き合って欲しい場所がある。
そう言われて、私は紫乃さんの運転するミニバンの助手席に座っていた。
今日の紫乃さんはいつもよりフォーマルな三つ揃えを着ていて、珍しいベスト姿はよそ行きの上品さに緊張する。
私はいつものように、紫乃さんが選んでくれた白のワンピースだ。
六月半ば、ノースリーブでも心地よい陽気。
梅雨に入る寸前の、花も木々も美しい、一番福岡が過ごしやすい季節だ。
都市高を天神方面に進むと、福岡タワーから、ヒルトン福岡シーホークホテル。福岡任意の名前ドームといった華やかなスポットを通り抜け、荒津大橋を渡ることになる。
よく晴れた空のもと、海と街が眩しい。
右手に見下ろすのは造船所のドッグ。
市街地近くにある造船所は珍しいらしい。古くから貿易と外交の玄関口だった街らしい光景だねと、言ってくれたのは海外から移住してきたあやかしさんだ。
左手、博多湾に目をこらすと、人魚がビーチバレーをしている姿や龍が飛行機と競争している姿が見える。同じ車線を行く車の中にも、あやかしの姿が時々見えた。
人々の信仰は変わっていく。
あやかしや神霊の扱いも変わっていく。
表向き居場所がなくなった誰かもいるだろう。
けれど福岡は今日も平和な混沌が維持されていた。
「尽紫はある意味俺なんだ。俺も気持ちが全く理解できないとはいえない」
紫乃さんが、運転をしながら口にした。
私と同じ景色を見て、思うところがあったのだろう。
「今でこそぎりぎり人間社会と共存できてはいるが、いつどこでボタンを掛け違えて、姉のようになるかわからない。……俺を頼ってこの土地で暮らしてくれるあやかしや神霊たちのためにも、改めて、気を引きしめるよ」
「ふふ」
「どうした?」
「紫乃さんは道を誤りませんよ。そのために巫女がいるんですから」
都市高を降りる。信号待ちになり、こちらを見た紫乃さんに笑顔で頷いて見せた。
「私がいる限り、紫乃さんは紫乃さんです。私の大切な神様です」
「……ありがとう、楓」
紫乃さんが綺麗に微笑むので、私はなんだか急に照れてえへへと笑って目をそらす。
目をそらした先にシフトレバーを握る長い指が目に入り、私はドキッとしてしまう。
私は紫乃さんの手がものすごく好きなんだと、最近発見した。
顔は綺麗だし中性的で男性っぽさとは無縁のような雰囲気なのに、だからこそ手が男性的で、妙にどきどきするのだ。オートマが普通じゃなかった時代から運転しているからか、四トントラックで撥ね散らかすこともあるからなのか、当たり前のようにマニュアル車に乗っているのは、ちょっとずるい。手がますます綺麗に見えるから。
顔が熱くなるのを見られるのが恥ずかしくて、私はそれとなく顔を助手席の窓の外へと向けた。視界から消えても、紫乃さんのことを考えてしまう。
紫乃さんは、あの日キスをしてくれた。
当たり前のように受け止めてしまったけれど、あれはどういう意味のものだったのだろうか、紫乃さんにとっては。ただの愛情のキスだろうか。
神様なら、唇を奪っても大したことはないのだろうか。
不意に、紫乃さんの言葉と眼差しが思い出される。
――今すぐ異性として触れて欲しいならそっちに切り替えるよ。
「ああああ」
「どうした」
「なんでもないです。ちょ、ちょっと思い出し照れというか……?」
私はシートベルトの隅をいじりながら、窓のほうばかりを見ていた。紫乃さんの姿を視界の端にでも入れると、動悸がおかしくなりそうだ。
「照れるようなこと、誰かにされたのか?」
「え?」
声のトーンを落として、紫乃さんが続けた。
「……尽紫に、か?」
「ち、違います! 尽紫さんのことじゃないです! 紫乃さんのことです!」
心外だとばかりに顔を見て否定すると、紫乃さんは目を細めて笑った。
「よかった、あれに嫉妬しなくて済むよ」
「……し、紫乃さん……?」
紫乃さんの夕日色の瞳が光っている。
火を焚べたような、花火のような鮮烈な橙。
綺麗だけど、人じゃない。それに気づいた時、私はぞくぞくとした震えを感じた。
ときめきとも畏怖とも、興奮とも言える、全部の危険で甘い感情がごちゃ混ぜになったような震え。
知らない。覚えがない。
「俺は自分を見誤っていた。思っていた以上に、俺には旧い神の凶悪さが残っているようだ。尽紫を笑えない。本当にぎりぎりだよ、楓のことになると」






