荒魂の慟哭
私はしっかりと目を見て言った。
「紫乃さんの巫女になったからには、私は尽紫さんにも向き合いますよ。だって私、紫乃さんの一対である尽紫さんの巫女でもありますから」
「っ……!」
私の目の前にやってきた彼女が、ついに簪を振り上げる。
もう一発来るかと、私は覚悟して目を見開いたまま受け止める。
─簪は、いつまでも私に刺さらなかった。
「……どうして、なんで……紫乃ちゃんばっかり……こんなに愛されてるの……?」
ぼろぼろと、涙を零しながら尽紫さんは簪を取り落とす。
顔を覆い、私の前に座り込んで嗚咽を漏らした。
「どうして、どうして紫乃ちゃんは……私から離れたの? どうしてこんなに楓ちゃんに思われているの? ずるいわ、ずるいわ、ひとりだけ……私は、ただ、神としてあるがままに過ごしてるだけなのに……どうして、愛されもしないし息の根を止めて貰うことすらできないの!」
悲痛な涙声だった。
「そりゃ……その……みんな嗜虐されるのは……嫌なので……」
「私はそういう神として生まれたのよっ! 生まれたままの私を受け入れて、愛しなさいよ!」
「無茶言わないでくださいよ」
そのまま彼女は号泣した。巫女服に刺さった簪が柔らかくなったので、私は一つ一つ引き抜いて自由になる。全部抜いた頃には全てごく普通の黒髪になった。
「ううっ……紫乃ちゃんも変わっちゃったし、土地神として恐れられなくなっちゃったし、どんどん世の中変わっていっちゃうし……もうやだぁ……」
子どものように泣きじゃくる尽紫さん。なんだか可哀想になってきて、私は頭を撫でてみる。尽紫さんは私を見上げると、飛びついて堰を切ったようにますます号泣した。
「ええん、もっと殺戮したいー! たくさんひどいことしたいの……! なんでダメなのぉ……! 人間なんて神のおもちゃだったはずなのに!」
「泣いてる顔はいたいけなのに発言がひどすぎる」
「筑紫の島は私のシマなのに! なんで朝廷とか国とか余計なのがいっぱい干渉してくるの! 目覚めるたびに全然違う支配者になってるの!? いなくなってる子がいっぱいいるの!? 知らない人がいっぱい来るの! えーん」
「申し訳ないことですが、それが文明と社会の変化ですね、尽紫さん……」
「人間最低! 短命種のくせに神に干渉するなんて信じらんない! やっぱり殺戮したーい!」
「うーん擁護できない」
胸を貸して号泣に付き合ってあげていると、もう来てもいいと判断したのだろう、紫乃さんと、夜さんをポケットに入れた羽犬さんもぞろぞろとやってきた。
羽犬さんが目の前にしゃがんで、蒸籠の中の肉まんを尽紫さんに見せてあげた。
「少し冷えちゃったけど食べます? 今の筑紫の民たちが土地で育んだ食材ですよ」
「うー……」
目をごしごしと擦り、尽紫さんは肉まんを手に取るとはぐっと食べる。
ますます、涙がぼろぼろと溢れてきた。
「美味しい~……悔しい……文明なんて嫌いなのに~……」
「そういえばおうどんは美味しく食べてましたもんね、尽紫さん」
「土地の恵みは土地神にとってご褒美だからな、逆らいがたい美味しさがあるんだよ」
そう答えたのは紫乃さんだ。
紫乃さんも私たちの隣に膝をつき、姉の小さな背中を撫でる。
「……尽紫。ずっと封印して、さみしい思いをさせているのはわかっている。すまない」
「そう思うのなら、昔みたいにまた私と一緒に楽しく殺戮しましょうよお」
「それはできないし、だからまた封印する」
「うえええん……」
幼い少女のまま時を止めた尽紫さんと、成人男性の姿をした紫乃さん。外見の年齢は逆転しているものの、姉を見ている紫乃さんの眼差しは、不安定な姉を案じる弟の眼差しと言われたら腑に落ちるものがあった。
「尽紫さん。出てきてしまったときは相手しますよ。記憶を消さないでくれるのと、不意打ちをしないのを約束してくれるなら。私でよければいくらでも」
「迂闊に約束をするな楓」
「でも、このままだとまたいずれ暴走しちゃうじゃないですか。ガス抜きで納得して貰えるなら、それでよくないですか?」
「楓は甘い」
紫乃さんが眉間に皺を寄せる。
尽紫さんが顔を上げ、肩を大きくすくめてみせた。
「……紫乃ちゃんの言う通りよ。あまあまだわ」
「うっ」
「楓。私はあなたのそういうところが大嫌いなの。腹が立つの」
尽紫さんは涙に濡れた目で、私を睨んで唇を尖らせる。
少しずつ体が薄くなっていくのが見えた。尽紫さんは消えていくのだ。
分け御魂としての限界が、ついに訪れた。
「……覚悟してなさい。次に分け御魂が回復したなら……私も、天神の大修行イベントに……参加してやるんだから……」
「知ってたんですね、あれのこと」
「当然よ……ああもう、ほんと悔しい。……また、会いましょう……」
尽紫さんの姿がすっかり消えた。
私の膝に残された体温も、すぐに消えていった。
「……終わりましたね」
夜さんがぴゃっと私の膝に乗る。
毛を逆立てて震えている。
「楓殿、さぞ怖かっただろう。某を撫でて癒やされるがよい」
「よしよし怖かったねえ」
「某は怖くない。怖くないぞ、肥前の猫は怖がらぬ、怖がらぬ怖がらぬ」
「はいはい」
こうしているとただの猫だ。
可愛いなあと思って撫でていると、気づけば私は夜さんごと紫乃さんにきつく抱きしめられていた。いい匂いがする。
正真正銘、本物の紫乃さんの腕だった。
「し、紫乃さん?」
「心配した」
強く抱きしめたまま、紫乃さんが一言だけ言う。無言が逆に雄弁だった。
「……心配かけました、紫乃さん」
私は紫乃さんの背に腕を回し、負けないくらい強く抱きしめる。
膝からすり抜けた夜さんを掬い上げ、羽犬さんが歯を見せて笑った。
「ようやくハッピーエンドだな、楓ちゃん」






