水底の神様
鵲がばさばさと飛ぶ。筑後平野を通って、佐賀に。
「なるほど、まだ楓さんと筑紫の神は、婚姻関係を結んでいない、と」
電柱の上に立っていた謎の男が言う。
そこにもう一人、女の子が立っている。珠子だ。
「そこで何をしているの、佐賀の方士よ。……さてはあなたがあの猫をけしかけたの?」
「これはこれは三池の女神。水底の竜宮城にいなくていいんですか?」
「あなたは知らなくていい話たい。……あなた、自分も千年を生きる方士なら、土地神と巫女に手を出すのがどれだけやってはいけないことか、わかっていないとはいわせないわよ」
「始皇帝も袖にした私にそれ言います?」
「あなた追い出されたいのかしら?」
珠子の霊力が広がり、スカートとおさげ髪が広がる。
プリーツスカートの裏の闇から、半透明の龍神が顔を覗かせる。大蛇に嫁いだ姫君の異類婚姻譚と、龍神信仰と祇園信仰。いくつもの祈りが絡み合って形を為した三池山の女神は、大蛇であり龍神であり、山の姫神でもあり炭鉱の女神でもあった。
彼女の怒りなどたいしたことないとばかりに、徐福は扇で顔を覆ってどこ吹く風だ。
「ここを追い出されても私には別の場所がありますので。あなたとは違って」
「私の居場所はここよ」
強く、珠子は言い切る。
「あなたそれで済むとお思い? あなたがそのつもりだったら、私も肥前の姫たちに黙ってはいられないわよ。嘉瀬川の淀姫様も背振の弁財天も、私と女子会やってる仲だからね」
「おお怖い……ああ、本当に筑紫の女神は恐ろしいことですよ」
風の流れが変わる。
すっと、プリーツスカートの中に龍神が消えていく。
落ち着いた珠子が、徐福を見据えたまま尋ねた。
「あなた、妙に煙に巻くけれど、何か知っているのではなくて? あの消えかけだった猫が遠い距離を移動できたとは思えないもの。佐賀からうちに渡って来るときに、土地神の私も紫乃も、気づけなかったのはおかしいわ」
「さあてね。大海原に通じる恐ろしい水底の姫ならば、全てを知っているのでしょう? 有明海から飛び出せば、何か見えてくるかもしれませんよ」
「……そういうこと?」
「ご想像にお任せしますよ、姫君」
消える徐福。溜息をついて、それから珠子は水底を見つめる。
この地の炭鉱は全て閉山した。
閉山した炭坑のさらに奥に、とある神を閉じ込めているのは知る人ぞ知る話だった。
珠子は三池港に降り立つ。
夕日の落ちる有明海は黄金色に照らされ、空も海も眩しかった。
風に目を細めていると、彼女がお父さんと呼ぶ魂たちが集まってきた。
「おおい、珠子ちゃん。大丈夫ね?」
「なんかえらい話し込んどったみたいやね」
「大丈夫よ。心配かけてごめんね、お父さん」
彼女は屈託ない少女の笑顔で返す。そして迎えに来てくれた父親たちを抱きしめた。
父と呼ぶのは便宜上で、出自だってばらばらだ。彼らの共通項は、今はみんな平等に、彼女の『父』であるということ。土地神の彼女にとって、彼らは父であり兄であり、弟であり子どもたちだった。
土地神である己の傍にいてくれる、等しく愛しい魂だった。
「私はずっとここにおるよ、お父さん。……ずっと、一緒よ」
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