暗黒色の嘲り
私は日記を再開することにした。
それは私の話を、一切馬鹿にすることなく聞いてくれた、刑事の菅原さんに出会ったことに起因する。その出会いによって、私の心に変化があったのだと言っても良い。
いや、『メドゥーサ』に、一切の変化はない。
私だけが、変わったのだと思う。
こんなどうしようもない人生にも、良いことは必ずあるはずだ。
その時のことを忘れないようにするためにも、日記を再び、書くことにした。
抜粋
◯月◯日
今日は第二月曜日。
髪を切って、持っていかれる日だ。
ここの研究員は、有能でありながら無能と言わざるを得ない。わかりやすいように一から説明した、それも何度となくだ。けれど、彼らはこの事実を真っ向から否定し、理解しようとしない。
菅原さんが、あんな目に遭ったというのに。しかもその様子が監視カメラに収まっていたのにも関わらずだ。まるでまだ、夢物語のように思っている。
その証拠に、この部屋は何だ?
鉄格子ははまってはいるが窓は簡単に開けられるし、ドアと床に隙間もあって、ここから私の髪の毛の一本でも、直ぐにも放り出すことが出来るのを、こんなにも無防備に許してしまっている。
けれど、話すことは無駄ではない。菅原さんのバディである定年間近な佐藤さんは、何度か足を運んでくれるうちに、私の話を信じてくれるようになった。
菅原さんの容体については、その佐藤さんから報告がある。ようやく心身ともに健康を取り戻し、もう直ぐ仕事にも復帰するということだった。
心から、良かったと思う。
それにしても、この研究所では、私の『メドゥーサ』の研究は、本当に進んでいるのだろうか?
なぜ、髪の毛一本一本に意思を持ち、なぜ、このような複雑な感情を持つのだろうか?
生まれつきだったのだろうか? 遺伝的にはなんら関係があるのだろうか?
『メドゥーサ』は切り離されても生き続け、そして、人を呪う。
彼は自分が侮辱されたと知ると、途端にその牙をその対象者に向けるのだ。
あの二人のカップルは、確かに高校時代の同級生だった。
あの日。
彼らは突然、私の家を訪ねてきて、こう言い放ったのだ。
高校時代は、私をいつも笑っていた、と。
「めっっちゃ爆発だったじゃね?」
「隣のクラスから覗いて笑ってたの、気づいてなかったん?」
毎日。
私の『メドゥーサ』を見て、可笑しくて可笑しくて死にそうだった、と言った。
「でさー。久しぶりにあんたの話題になってさあ。今、どうなってるか見に行こうってなったわけ」
「うちら今、動画で稼いでんのよ。だから、おまえにも出演願おうと思ってさ。もちろん、アルバイト代は出すから!」
そしてあの日。
私が書いた日記を見つけて、さらに腹を抱えて笑った。
「このネタ、絶対ウケるって! はああ、おもしろ過ぎてマジ死ぬわ~」
「これ、借りてくね。動画にアップしたら、また連絡するわ」
「バーカ。こんな日記、ネタだと思われるだろ?」
じゃあ、大学の仲間内で楽しむかと言って、男の方が持っていた日記で、ポンポンと軽く私の頭をはたいた。
そして、日記を脇に抱えて、楽しそうに帰っていった。
私は別に笑われても構わないと思っていた。特別に、悔しいとも思わなかった。
けれど、そういう侮蔑の存在を『メドゥーサ』は許さなかったのだろう。
そして、彼らは殺された。
警察は永遠に、犯人には辿り着けない。
私が犯人という証拠は一切ない。日記だけで、人は殺せない。
けれど、私の持つこの『メドゥーサ』の話を、真実と捉え、信じるとしたら?
日記の中に、私の髪の毛『メドゥーサ』が挟み込まれていたのではないかという結論に、容易に辿り着くことができるはずだ。
彼は私の頭部から切り離されても、その意思を持ち続ける。今回の菅原さんの一件で、そう確信するに至っているのだから。
そして、そのことに気がついた時、私は同時に恐れ慄いたのだ。
ならばあの時。溺死寸前で病院に運ばれた、あの日。
私が鋏切り落とした『メドゥーサ』はどうなったのか?
それを考えた時、私の時間が凍りついたように静かに止まった。
病室で格闘しながらやっとの思いで切り離した、あれらはどうなったのだ? と。
看護師の手によって可燃ゴミで燃やされたはずの彼らは、本当に灰となってこの世から消え去ったのだろうか?
それは本当に本当に、この世から抹殺されたのだろうか?
抜粋
◯月◯日
今日は菅原さんが研究室に寄ってくれた。
私は今、被験者であるにもかかわらず、ここで研究員の一員として働いている。
長い年月をかけようやく、私の髪質についての理解が進み、研究対象物『メドゥーサ』自身を侮辱さえしなければ、安心安全なのだと分かる。すると、今度は研究への全面協力を要請されて、今に至る。
菅原さんと二人、休憩室でコーヒーを飲む。
そこで、菅原さんがひと目惚れしたという中等部の女子の話題が出た。菅原さんは、少しだけ沈黙すると、やっぱり話さなくていいやと言って帰ろうとする。
私は一つだけ、伝えることにした。彼女が、とても喜んでいたということを。お姫様みたいだと言われて、心から嬉しがっていた、と。
菅原さんは、悲しそうに微笑むと、そのまま手を上げて帰っていった。
そんな菅原さんの背中を見て、私は思った。そのことがあったからこそ、『メドゥーサ』は、菅原さんだけは許したのではなかろうか、と。
実は彼女と話したのは、一度きりのことだった。高校の中庭。いつも彼女は泣きながら一人で弁当を食べていた。彼女が髪について悩んでいるということは、以前から知ってはいて、なんとなくだが、私の『メドゥーサ』と似たような『メドゥーサ』を持っているのではないかという、予感のようなものもあった。
けれど、その日だけは様子が違っていた。嬉しそうに笑っていたのだ。それで、気になって私から話しかけてみた。
彼女は、高等部の先輩に、髪型が可愛いと言われて嬉しかったと言っていた。彼女は、その先輩の言葉を鵜呑みにしたわけではないようだった。けれどただ、嬉しかった。それだけで、良かったのだろう。『メドゥーサ』に苦しめられていた私は、彼女の気持ちが痛いほど理解できた。その思いに共感もできたのだ。
そして、彼女はその後、車に轢かれて死んだ。
けれど、今になって思う。
もし、彼女の真の死因が事故死でなかったのなら。
彼女は自分自身への嫌悪を、結局は断ち切れなかったのではなかろうか。自分自身を貶めて、最終的には『メドゥーサ』を怒らせてしまったのではないかと、思うのである。
抜粋
◯月◯日
私は知らず知らずのうちに、残忍で凶悪な絞殺魔をこの世に解き放ってしまったのだろうか?
以下、新聞記事より抜粋
◯月◯日 女子高生が何者かに首を絞められる 未遂に終わるもこれで9件目
◯月◯日 OLが自宅近くで襲われる 首に紐で絞められた跡 3人目の被害者
◯月◯日 パワハラを苦に上司を絞殺か 従業員は犯行を否認
◯月◯日 33歳無職の男を逮捕 面識なしの男を絞殺 通りすがりに馬鹿にされて口論になったが殺していないと供述
◯月◯日 …………
……被害者が増えていく一方なので、新聞記事の抜粋は、日記の最後のページに移すことにする。
だが、これだけではない。
以下、新聞記事より抜粋
◯月◯日 ネットの誹謗中傷などに見られるように、他人を侮辱することが当たり前のような風潮が強まると、原因不明の絞死、窒息死、溺死が急増する傾向があるといった警鐘が鳴らされる。政府、ネットでの誹謗中傷の取り締まりの強化に乗り出す。
この記事は丁寧に切り取り、被害者の記録とともに、日記の裏表紙に貼った。
抜粋
◯月◯日
『目の前に落ちている髪の毛を拾って、ゴミ箱に捨てられなくなった』
これは誰の言葉であっただろう? ニュースのコメンテーターか、菅原さんか、それとも
私、
だろうか?




