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暗黒色の嘲り  作者: 三千
4/5

真実



(ヒヒヒ ケッキョクハ ミンナ シンデイクノダナア)


「……うぐ、そ、それが、答え、なのか?」


(ソウジャナイ コタエナンカナイ)


「お前がみんな、ごほごほっ、こ、殺したんだな」


首に絡みつく黒髪。爪で引っ掻きながら、それと皮膚との間に指を滑り込ませようとした。

けれど、それこそ不可能だった。緩んだと思ったのは、幻想だった。ああ、なるほど。少しの隙間も存在しない。


今度は首に絡みついている黒い髪の先を、藁にもすがる思いで、両手で掴んでみる。

髪の毛というものはたとえ一本でも、ある程度強く引っ張らないと、なかなか切れることはない。こんな風に幾重にも幾重にも編み込まれていて、きつくよじれていたら、それはもう糸というより、鎖と言ってもいい程の頑丈さだ。



手で千切れるはずがない、そう思うと目の前が絶望の色に染まっていった。



けれど、ここは警察署の建物内なのだ。誰かが助けに来てくれるはずだという希望はあった。

取調室で、被疑者に殺されるなどという、仰天ニュースは聞いたこともない。

誰か気がついてくれと、菅原は心で何度も念じた。


(コタエナンカハナイ ……イヤ コタエハアルノカモシレナイ……)


少しの逡巡が見えた。一瞬、緩む。けれど、すぐに力が込められた。


(ニンゲンハ ヒトヲサゲスマナイト イキテイケナイヨウダ)


(ヒトヲ バカニスルコトヲ タノシンデイル フシガアル……)


(ダガ……)


息ができずに、呼吸が次第に浅くなってくる。はっ、はっと吐き出しながら、悶え苦しむ。




遠のく意識を感じながら、ここへ来る前に出会った男の顔を思い出していた。









ピンポンとチャイムを鳴らした。


人が暮らしているような気配の見られない、郊外の一軒家。


ここへ来るまでの並びの家には、子供の自転車や色とりどりの花の鉢、ポストからはみ出た回覧板など、何かしらの暮らしの跡を見られたのだが、この家にはそう言った生活感のあるものが、何一つない。


けれど、そんな生活もあるだろうと思い直し、シンプルな家周りをぐるりと見回してみた。


人が住んでいる気配がここまで徹底して消されているのも、疑惑の目を向ける要因の一つとなり得るのだが。


誰も出てこない。


諦めてもと来た道へと踵を返すと、菅原は先ほどの留守宅だった家の隣のチャイムを押した。


ガガガと小さな音がして、インターフォン越しに、はい、と返事がした。


「お忙しいところをすみません。お隣の方って、どちらかにお出かけですか? あ、いや、お邪魔する用事があって来たんですけど、お留守のようでしたので」


菅原がインターホンに向かって、ポケットから警察手帳を出しながら問う。


すると、その家の住人は、面倒臭そうに玄関を開けて出てきた。中年の、白髪混じりの男だ。


「ああ、隣の人? 多分、居るよ。あんまり、外出しないみたいだからね。居ると思うよ」


「そうですか、チャイムを鳴らしたんですけど、出てこられなかったんで。ところで、隣の方って、どんなお仕事されてるか、知ってます?」


情報収集しようとすると、途端にニヤニヤし始める。菅原の中でも苦手なタイプの人間だとは思ったが、情報収集にはうってつけの人物でもある。噂好きの部類に入るのだろう。直ぐに菅原の話に興味を持った様子だ。


「え、事件かなにか?」


バディの佐藤だったらこんな時、些事ですからと言いつつ相手が口出しできないように上手にクギを刺すのだろうが、もちろんまだ新米刑事の菅原は、同じように振る舞うことなどはできない。


「いえ、そういうんじゃないんですけど。まあ、素行調査のようなもんです。軽犯罪の聞き込みで、ここら辺を回っているだけですよ」


「軽犯罪って?」


食い下がらせてしまったことを苦く思うと、「それは言えないんです」などと、何とかいなそうと努力する。


「で、どんな方なんですか?」


胸ポケットからメモ帳とペンを取り出し、苦笑しながら質問を戻すと、彼はボリボリと頭を掻きだした。フケが散ったのか、白い粉がパラパラと落ちる。


「まだ若いよ。でも仕事はしてないでしょ。大体は家に居るからね。ニートってやつなのかも。家で出来る仕事なのかもしれんけど、なにをやってるか俺は知らないねえ」


馬鹿にしたように唇を歪める。

菅原はメモ帳にペンを走らせた。


そして改めて、菅原は写真を胸ポケットから出す。


「この人たち、ここら辺で見かけたことありませんか?」


住人は、写真を受け取ると、こめかみを指でグイグイとへこませながら、思い出そうとしている。


「あるかな……確かかって言われると、自信ないけど」


ビンゴか。心の中で、指を鳴らす。


「先週の日曜、いや土曜だったかな。お隣さんの、友達かなんかわからんけど、こんなようなカップルだったね。同じような歳だし、仕事の仲間っていう感じではなかったなあ。ぎゃあぎゃあ騒いじゃって品の良い人間とは思えないけど、あんまり騒いでうるさいから、ちょと窓から見てたんだけどね。楽しそうにイチャイチャしながら帰っていったよ」


その言葉を聞いてから礼を言うと、菅原は携帯を取り出して、佐藤の名前を押した。そして、捜査の経過報告をし、聞き込みに同行するという、佐藤を待った。


『もしかしたら犯人かも知れないだろ? それに、もし犯人だった場合、一人とは限らんしな。こういう時は二人以上で入るんだ。いいな』


念を押すようにして何度も言われた。



近くのコインパーキングに車を停めたのだろう、急ぎ足でこちらへと向かってくる佐藤の姿を確認すると、菅原は寄りかかっていた電柱から離れて佐藤に合流する。


「あそこです。あそこの、オレンジ色の家です」


二人で顔を見合わせてから、チャイムを押した。


そして、何度目かに鳴らしたチャイムで、ようやくのっそりと出てきた背の高い男。


その男の頭を見て、二人は男にわからないように、視線を合わせた。


カップルの遺体の発見現場にあった日記にどこまでもこだわっていた菅原には、驚きはなかった。


が、佐藤は動揺と驚きを隠せなかった。いつもなら饒舌な口も、ボンドで引っ付けてしまったように開くことなく沈黙してしまっている。


男はにやりと笑うと、二人を玄関へと招き入れた。
















「どうして、分かった?」


まだこの時には冷静さを保っていた男、立花 修(たちばな おさむ)を前にして、佐藤と菅原は座っていたソファから腰を浮かしたり、前のめりになったりしていた。


襲いかかられても反撃できる、そんな態勢だ。


そんな緊張の中、菅原が話し始めた。


「この殺された二人が載っていた、卒業アルバムと文集を見ていて気づきました。立花さんは、この二人とは同級生で、隣のクラスでしたね」


「……そうだ」


反対に立花は、向かいのソファに深く腰を沈め、リラックスしているような姿勢をとっている。


菅原は、自分より年下のはずだがと疑問に思った。


(何だ? この威圧感は。無差別殺人犯に見られる、「自分は神」気取りかなにかか?)


殺人事件の犯人の中には、自分を神格化する者もいる。そういうのは決まって他人を許さず、天罰を与えるかのごとく、自らの手で断罪する。


菅原は、隣に座った佐藤を、ちらと見た。佐藤は難しい顔をしながら、自分と同じような姿勢を保っている。こめかみには、流れる汗。

視線を戻す。


「まずは、あなたのクセのある髪型に目がいきました。それから、卒業文集を見て、日記と筆跡が同じであることに気がついたんです」

「ふうん」


興味なさそうな、気の抜けた返事だ。

けれど、先ほどから何度も手を握り直している。緊張が隠しきれてない。


「この日記は、あなたのものですね」

「ふん、まあそうだね」


筆跡が同じだと言われれば、認めるしかないだろう。しかも、この日記は殺人現場から発見されている。


「署まで、任意同行をお願いします」


佐藤が冷静な姿勢を崩さない。


「二人は本当に殺されたのか?」


表情は読めないが、これが演技なら主演男優賞並みだ、そう菅原は思った。人を殺したなどと、おくびにも出さない。


「殺人です」


立花の、こめかみがピクリと痙攣したような気がした。けれど、直ぐにも言葉が被せられる。


「自殺、ではないのか?」


「絞殺です、自殺はあり得ません」


「凶器は?」


「お答えしかねます。詳しくは話せません」


佐藤が触れば切れるような、そんな鋭利な雰囲気で受け応えている。


「わかったよ」


そして、立花は薄く笑いながら、二人に従った。
















取調室では真実が語られた。


けれど、誰一人として、その話を真実としてとらえなかった。


そう、信じなかったのだ。いや、一人だけ、立花の言うことに耳を傾ける者がいた。


菅原。


どこまでも『日記』という存在にこだわった。そして被疑者立花にこだわり、得体の知れない『メドゥーサ』にこだわり続けて皆から敬遠され、心療内科に行けと言われて担当を外される、その寸前のことだった。


佐藤の配慮だった。菅原はようやく、立花に話を聞くことができたのだ。菅原はそれまでの事情聴取には関わっていない。立花の告白の全ては、供述調書から得ていた。


それを全て、頭に入れてから、事情聴取に臨んだ。


「精神鑑定に送られるそうだ」

「そうだろうね」


立花はイスに深く腰掛け、目の前にある机の上で両手を握りこんでいる。菅原は、その前の席に着き、立花を凝視した。


「お前に聞きたいことがある」

「僕の三学年下だった中等部の女子のことか?」


ぶわっと全身を寒気が通り抜けていった。驚愕の表情を浮かべる。

だが、そんな菅原と対照的に、立花は薄ら笑いをし、組んでいた手を外すと、右手で額の汗を拭った。


「名前は忘れたが、僕と同じ苦労をしていたなあ」


思い出しているという(てい)で背もたれに背中を押し付けてそらすと、そこで腕組みをし、目を瞑ってしまった。

だが。


「確か、事故死だったよな?」

「お、おまえがやったのか?」


すると、瞑っていた目をかっと開け、組んでいた腕をどんと机に叩きつけて激昂した。


「何度言ったら分かるんだ、僕じゃないと言っているだろっ! 全て、この『メドゥーサ』がやったんだ!」


そして、バリバリと頭を掻き散らすと、「僕は誰も殺してなんかいないっ! カップルも殺してないし、彼女も殺してない! やったのは、」


さっと激昂が解かれた。

菅原には、そんな立花の口調が和らいだだけのように見えた。


だが違う。


立花の表情には、恐怖。恐怖。恐怖。


「や、やったのは、こいつだ……」


「こいつ? ……なんだ? 誰だ?」


気が焦るばかりで、どちらも要領を得ない。口を噤んでしまった立花の、鋭い視線の先を見る。


机の上。置いた手が小刻みに震え出していた。



(ボクナノカナァ)



どこかから。

声が聞こえた。


菅原は立花を見た。

言葉を発したのは、立花であるはずなのに。

その口は閉ざされたままだ。


(ボクナノカモ)


立花と目が合った。

飛び出しそうなくらい目を見開いて、菅原を見つめ返してくる。



眼光が。ギョロリと鈍く光る。



気持ちが悪いほど、異様だった。菅原の前にいるのは、異様な人間だった。


いや、そもそもこいつは本当に人間なのか?


動けなくなった。全身が金縛りにでもあったかのように、動けない。動かないのだ。



菅原はそんな中、ようやく言葉を発した。


「お、おまえは……誰だ?」


机の上に投げ出していた立花の手が、大きく痙攣し始めた。立て付けの悪い机が、カタカタと音を立てる。そこに注意がいって、菅原が机の上に視線を下ろした先。


黒い一本のライン。


それが、




くね


くね


くね





ゆっくり進んでくる。


髪の毛。


菅原は視線だけで、その黒い髪の毛を凝視する。


その一本の髪の毛。


菅原が立花と同じように机の上に投げ出して乗せている両手の、中指の先へと、じりじりと近づいてくる。



どこかで。






ーーージジジジジジジジ







音が鳴っている。


五感が冴えわたり、その音が脊髄にまで達するような気がして、菅原はさらに目を見開いた。


背中に汗が一筋。

流れていった。


手を引かねばならない。この手を引かねばならない。


わかっているのに、身体が動かない。ただ視線だけが、一本の黒髪を捉えている。 自分の開いた唇から雫が垂れていく感覚。知らぬ間に(よだれ)がたれていた。


そしてその黒髪が、今にもこの指先に届きそうな距離に近づいた時、五感に任せっきりだった思考が、ようやく再開された。


だが遅い。


黒い髪の毛は、くるくるくると螺旋を描きながら中指を登る。

登ってくる。


手の甲。


手首。


肘。


二の腕。


登ってくる。


五感は研ぎ澄まされているはずなのに、身体のどこを彷徨っているのかは掴めない。


ただ、頭の中に響く、ジジジジジという音。












全身の体温がすうっと引き潮のように引いていった。殺人課の刑事として幾度となく目にしてきた死体。自分自身がその死体にでもなった気分だった。


無意識に視線を目の前に戻した。恐怖を表していた立花の表情に変化があった。


薄ら笑いを浮かべながら、机の上を見つめている。


驚いて視線を辿ると……


一本だったはずの髪の毛。無数に広がっていた。机の上をほぼ埋め尽くす、暗黒色の世界。




うじゃ

うじゃ

うじゃ

うじゃ

うじゃ




「う、」


嗚咽のようなものが涎の垂れた口から漏れた。


大量の髪の毛は、そのくねくねとした動きとともに、机の上でひとつに集まり出した。ぐるぐると回転しながらまとまっていき、ひとつの集合体を作っていく。


ねじれてねじれてねじれて繰り返し、ある程度の太さまでにねじれて、一本の紐となると。


菅原の手を掴むようにして、這い上がってきた。


「う、うわ、うわあああぁぁあああ」


菅原は立ち上がった。腕に絡みついてくる髪の毛の鎖。必死で引き剥がそうとした。


「う、うそだろ……おい、やめろ」


声が上ずってしまい、女の悲鳴のように聞こえた。初めて聞く、自分が恐怖におののく声。


下半身からはするすると、力が抜けていき、よろけて手を掛けたその拍子で、パイプ椅子が盛大な音を立てて倒れる。ガチャンッと取調室に音だけが響き渡った。


床へとへたり込んでから、そのまま壁までずりさがった。


机から落ちて床へと落ちた、や大量の黒い髪の毛が、その力が入っていない足からも、そろりそろりと登ってくるのが視線の端で認められた。




「うわああ、うああああぁぁぁぁああああああ」


助けを求めるためにも、菅原は立花を見た。


いつのまにか立花も立ち上がっており、菅原とは反対側の壁の隅で、立ち尽くしている。


その顔は?


怯え、恐れ、哀しみ、憐憫、そのどれもでないように見えて、いや、そのどれもが混じり合っているようにも見えて、立花では自分を助けられないのだと知り、絶望した。




悟った。



彼が持つ『メドゥーサ』は、彼にはどうすることもできないのだということを。




目から涙がこぼれた。呼吸がうまくできない。苦しい。


けれどその涙と、ヒューヒューと鳴く喉の悲鳴とで、今。


『メドゥーサ』によって、首を締め上げられていることを、頭でようやく認識した。


息苦しい。

髪が首に絡まっている。

指で首をガリガリガリと掻きむしる。その度に喉元に痛みが走り、息のできない苦しさと相まって、菅原を襲う。



「ぐうう、うが」



ヒキガエルのような声。潰れた、自分の呻き声。




(ヒヒヒ ケッキョクハ ミンナ シンデイクノダナア)



耳に入ってくる声。



「……うぐ、そ、それが、答え、なのか?」



(コタエナンカハナイ ……イヤ コタエハアルノカモシレナイ……)



「お前がみんな、ごほごほっ、こ、殺したんだな」



容赦なく、首に絡みつく黒髪。めりめりと更に首に食い込んで、菅原の意識も遠のいた。



(ニンゲンハ ヒトヲサゲスマナイト イキテイケナイヨウダ)


(ヒトヲバカニスルコトヲ タノシンデイル フシガアル……)




(ダガ……)



脳に響く。





(ダガ……ヒトヲバカニスレバ ジブンニカエッテクルトイウコトニハ オモイイタラナイノダナア)






『 愚かだ 』








意識がかすれていく。


落ちる。


そう思った時、日記の一文が蘇ってきた。


『水を吸って膨張した髪が、生きたウナギのように暴れ狂い、バシャバシャと水面を打つ。

そう。

私はついに。

「メドゥーサ」の逆鱗に触れてしまったのだ』



愚かなのか?


自分もその逆鱗に触れてしまったのだろうか?




菅原は、最期に自分を笑いたい気分になり、口元を一瞬、緩めた。


自分はもうすぐ死ぬのだというのに可笑しくなって笑うとは。





菅原はその場に崩れ落ち、その息を止めた。


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