第三十六話『山の中で』
ウィルさんが火を起こしてくれた頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。
秋は日没が早いというけれど、ここまで早いとは思わなかった。
あのまま移動をしていれば、間違いなく動けなくなっていただろう。
「食事の用意ができましたよ。さ、どうぞ」
「何から何まで、ありがとうございます」
「いえ、こういうのは男の仕事ですから」
用意してもらった食事を受け取りながら、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
元々、街道で一夜を明かす予定でいたので、食料は用意していたけど……まさかこんな山の中で寝泊まりすることになるなんて思わなかった。これも全て、私のせいだ。
全く味のしなかった食事を終えて、寝床へと移動する。
少しの距離を移動するだけでも、彼の手が必要だった。
「……この間と、立場が逆転してしまいましたね」
「お互い様ですよ。それでは、ゆっくり休んでください」
ウィルさんは私を寝かせてくれたあと、隣で横になる。
私も就寝の挨拶をして目を閉じたものの、眠れる気がしなかった。
……こうなると、色々と考えてしまう。
「……眠れないのですか」
無意識にため息が漏れていたのか、ウィルさんが心配そうな声で聞いてくる。
「……実は私、ウィルさんにもう一つ、隠していたことがあります」
少し悩んで、私はガラモンド宝石工房での出来事を話して聞かせた。
「……そんなことがあったのですか。あちらの店主も、まさか双子だとは思わなかったようですね」
話を聞いたウィルさんはおかしそうに笑うけど、私の心中は穏やかじゃなかった。
「コンテストに優勝した暁には、ガーベラはガラモンド宝石工房から新商品を出すつもりのようです。ということは……」
「もし僕たちが優勝した場合、その契約が破談になることを心配しているのですね」
まるで私の心を読んだかのように、ウィルさんは言う。
「そ、そうです。先日のガーベラの様子を見た限り、精神的にかなりやられていました。これ以上は、彼女の心が保たないかもしれません」
「……アリシアさんは本当にお優しい。あんな目に遭っても、妹さんを心配している」
ウィルさんがわずかな笑みを浮かべる中、私は言葉を続ける。
「できることなら、あの子にも不幸にはなってほしくありません。同じ妹がいるウィルさんなら、わかるでしょう?」
言いながら、私は体を起こす。
月は雲に隠れていたものの、光を放つ虫が周囲を飛び交っていて、ほんのりと明るい。私と同じように、ウィルさんも体を起こしているのが見えた。
「もちろんです。そこで、提案があります」
私をなだめるようにウィルさんは言い、静かに距離を詰めてくる。
「妹さんとガラモンド宝石工房の話が破談になった場合、ブランドを立ち上げる話はうちで引き継いではいかがでしょうか。もちろん、アリシアさんがよければ、ですが」
「……いいのですか?」
全く予想していなかったウィルさんの言葉に、私は声を失う。
「あくまで仮の話ですが。場合によっては破談にならないかもしれませんし、ガーベラさんが拒否するかもしれない。それでも、こんな道もあるということだけは示しておきたい。だからアリシアさんも、一人で全部背負い込まないでください」
ウィルさんは私の肩に手を置いて、安心させるように言葉を紡ぐ。
その自信に満ちた表情を見ていると、ずっと一人で抱え込んでいたことが馬鹿らしく思えた。
「本当に、ありがとうございます」
なんとかお礼の言葉を絞り出すも、ずっと胸の中にあった不安が消えた安心感で、思わず涙がこぼれる。
慌ててそれを拭っていると、彼は私を抱きしめてくれた。
私は至って自然に、彼の胸に顔をうずめる。
その時、ウィルさんの首からエメラルドのペンダントが下げられていることに気づいた。
……私はこれに、見覚えがある。
『これはこれは、アリシアお嬢様。お久しぶりでございます』
その直後、エメラルドからどこか懐かしい声が聞こえた。
「……あの、ウィルさん、このペンダントは?」
「え? ああ……これはエレナから渡されたお守りです。身分不相応ですし、普段は身につけていないのですが」
「……これを身に着けて、ライゼンバッハのお屋敷を訪れたことは?」
「子どもの頃に、何度か。それがどうかしましたか?」
「あぁ……そんな。あなただったんですね」
何度も確認するようにペンダントを見たあと、私は視線を上げる。困惑した表情のウィルさんが、目の前にいた。
「どういう……ことですか? 事情が飲み込めないのですが」
「……私、小さい頃から何度も見る夢があるんです。その夢には、首からエメラルドのベンダントを下げた男の子が出てきます」
私の話を聞くうちに、ウィルさんは何かを悟ったように目を見開いていく。
「その子は、夢の中で――」
「……一緒に遊ぼう、そう言いませんでしたか」
ウィルさんの口から出た言葉に、私は息を呑む。
「僕のこと、覚えていてくれたのですね。てっきり、忘れ去られたものだと」
「忘れたりするものですか。あの頃の私にとって、唯一のお友達だったのですから」
嬉しさと懐かしさと、様々な感情が一気に押し寄せてきて、視界がにじむ。
「……あの日、雨の中を歩くあなたを見つけた時は、目を疑いました」
「それは驚きますよ。きっと、宝石たちが私たちを結びつけてくれたんですね」
私は彼の胸元にあるエメラルドに視線を落とす。その緑玉は、今はただ静かに煌めきを放つだけだった。
「アリシアさん。僕はあの頃から変わらず、あなたのことを……愛しています」
目の前のウィルさんの顔は真っ赤で、相当な勇気を出しているのがわかった。
「……私もです」
声が震えるのを必死に抑え、思いを伝える。
それから、どちらからともなく、唇を重ねた。




