第37曲:落涙
「ただいま戻りました~。」
スフィールさんに送ってもらって、彼女と別れようやく宿屋に帰還。
実はもう眠い。
1日24時間周期じゃなくて、まだ慣れていないといのはあるけれど、それだけじゃない。
この盲目という演技に疲れた。
「アンタかい、おかえり。」
「ただいまっス、女将さん。」
俺を出迎えてくれたのは、宿屋の女将さんだけだった。
1階の営業はもう終わったらしい。
「向こうで何か食べてきたいかい?軽いもんなら作れるよ。」
カウンターの向こうで、にこにこと愛想良く笑う女将さん。
「あぁ、お願いするっス。あ、ウチの連れは?」
「戻ってるよ。ちゃんと伝言もしておいたさ。」
「それはどうもっス。あ、これ約束のお金っス。」
「ん?あぁ、アンタも律儀だねぇ。」
苦笑しつつも、カウンターから出て俺の金を受け取る。
律儀というわけでは別になくて、お世話になってるんだ、たとえそれが商売であってもきちんと礼はしたい。
俺にとって、この世界でイリアさん達エルフの次に世話になった人だから。
「こんなにかい?!こりゃあ、アンタ達の食べ物はもっと豪華にしなきゃねぇ。」
俺の渡した金額に驚きつつも、そういうサービスを上乗せする事で余剰分を埋めようとしてくれるトコなんか、商売人というより人間の温かみを感じる。
まぁ、単に金づるを見つけたという説もあるが、それはあんまり感じられない。
「あれ、女将さん、この匂い・・・・・・お酒?」
女将さんからデトビアさんの所で嗅いだ葡萄酒の匂い・・・その匂いと同じ、全く同じような匂い。
同じなんだ、俺が感じた違和感までも。
「あぁ、アンタが客寄せになってくれたからさ、ちょっと仕込みの量を多くしたのさ。それでさっきまで作業しててね。」
ここで感じた葡萄酒の匂いだったのか・・・。
「ちなみに仕込みは何を?」
「あぁ、葡萄酒の樽を一つ多めに入れて、あと"肉"だよ。"豚"を丸々1頭仕入れて解体してたのさ。」
豚?
豚・・・そういえば、エルフ達とやったな解体・・・解体?!
ゾクリと背筋を何かが這うような感覚。
なにかが、なにかが拒否反応を起こしている・・・心か、身体か、或いはその両方か・・・。
「女将さん、悪いけどちょっと疲れたんで、料理は部屋で食べてもいいっスか?」
鼻でゆっくりと腹式呼吸。
「構わないよ。出来たら持って行ってやるからね。」
「ども・・・。」
ゆっくり・・・ゆっくりだ。
そう自分に言い聞かせながら、一歩一歩階段を上がる。
逸るな、逸るな・・・。
「・・・って、我慢出きるかぁっ。」
止められなかった・・・階段を途中から駆け上がる。
目がちゃんと見えて、脳内でその映像を処理してるはずなのに、転びそうになりながら。
いや、冷静だ。
冷静だけど・・・。
「アルムぅ、ぐっ・・・げぼっ・・・。」
扉に体当たりで、叩き壊す勢いのまま、部屋に転がり込むように・・・いや、転がり込んだ。
無酸素運動のまま、急に大声でアルムの名を呼んだせいで、危うく吐きそうになった。
吐いたとしても、今は夕食前で出てくるもは胃液くらいだけど。
「なんだイクミだけか。」
腰にある剣の柄に手をあてたまま、すぐさま抜ける体勢でアンソニーは俺を迎え入れる。
どうやら、俺が誰かに追われて飛び込んで来たと思ったようだ。
「大丈夫かイクミ?」
転がり込んで来た俺の背を擦るアルム。
本当は今すぐにでも喋り出したいんだが、身体は正直だ。
「ちきしょ・・・。」
貧弱だなぁ、俺。
"自分でそう望んだ"クセに・・・。
「人間て・・・愚か・・・。」
「ん?」
「だな・・・。」
四つんばいの状態で、俺はようやくそれだけを呟く。
「だから、一人一人が精一杯、悔いの無いように生きるんだよ。オレもイクミも、アンソニーもその途中なんだ。」
アルムが微笑む。
アルムがそう思えるまで、一体何があったのだろう?
俺は未だ何も解らない。
「はぁ・・・。」
もう起き上がるのを放棄して、そのままゴロリと大の字に転がる。
「アンソニー・・・・・・。」
「今すぐにでも調べて欲しい。」
俺達は旅人で、異邦人で、部外者で・・・でも、彼女達と出会った。
「エルフの・・・壁の向こう・・・女性と子供の数を。」
認められないものは認められなくて、理解し難い事は理解し難い。
だから、今でも民族紛争ってのはなくならないんだけどさぁ。
「数?」
「デトビアの城へ行った人数でもいい。」
「何か掴んだのかい?」
アルムの声に頷く。
「だから頼む。」
俺はアンソニーの目をしっかりと見つめる。
「解った。」
「アルムにも頼みたい事がある。」
「解ったよ。」
「二人とも・・・理由は聞かんの?」
「イクミが言った事が、今は一番大事なんだろう?」
なんだかな・・・。
ずりずりと俺は自分のバッグへと這って行き、中身をごそごそと漁る。
「アンソニーも一緒に見て覚えてくれ。」
俺の雰囲気を察して無言で頷くアンソニーを横目に、紙を取り出しペンのキャップを外す。
「お客さん、夕食持ってきたよ。」
「自分が受け取ろう。」
アンソニーが女将さんから、俺の夕食を受け取ったのを確認すると、一気に紙にペンを走らせた。
もう止まれない・・・明日で全てを決める。




