第36曲:慟哭の痕
「あぁ・・・いいわぁ~。」
おしぼりを身体の上にあて、身体を蒸すようにしながら揉み拭くという最後の仕上げをしているところ。
「スフィール。」
「はい。」
呼ばれたスフィールさんが、静々とグラスが乗ったトレイをデトビアに差し出す。
「葡萄酒ですか?」
「あら、鼻がいいのね。」
「目が不自由な分だけっス。」
相当、"美"というモノに気を遣っているみたいだな。
なんだっけ始皇帝だっけ?
ああいうのみたいに、権力者ってつまるところ不老不死ってもんにいきつくのかねぇ・・・サクや。
そんなもんを手入れて楽しいかね。
「身体にいいとは聞くっスね。」
「しかも美味。」
口の中で転がすようにして飲んでいく様が、無駄にフェロモン出てるなぁ。
デトビアさんが、俺に葡萄酒臭い息を吐く。
ん?葡萄酒ってこんな匂いだったか?
人の体温に触れたから?
確か、空気に触れた途端に酸化し始める?
あーっ、こんな事なら、サクのトリビア的な話とか、料理の話とか聞いときゃよかったよ!
何に役立つかわかんないよなぁ。
この美容マッサージとかもさぁ・・・。
「あなた、この後はどうするの?旅をしていると聞いたのだけれど?」
「あ、はい。お金がある程度貯まったら、また旅にでかけようかと・・・。その間ならこちらに出張出来るっスよ?えぇと・・・公務があるなら、また夜にでも。」
取り入るのは悪いテじゃない。
長期的なプランになるので、あくまで情報収集の範囲内で。
「いいのかしら?」
「いいもなにも、お客様っスから。それに昼間の仕事の後にってのは、その方がこっちも儲かるっス。」
と、お金でなんとでもなる男風に。
「あなた、なかなか商売上手ね。」
宿の女将さんの方が、商売上手です。
ここで契約(?)出来れば、ここまでの通行は比較的に自由になる。
そうすれば、必然的にこの先も楽になる。
残された時間は少ない。
出来る事があるなら、どんどんいかないと。
「あ、でも一つお願いがあるっス。」
忘れるところだった。
この設定。
「言ってごらんなさい。」
「送り迎えにスフィールさんをつけてもらえないっスか?何分、この目なんで・・・あ、いや、ダメなら、誰か他の方でも、こちらで頼むでもいいんっスけど。」
アルムかアンソニーを連れて来る方が、いいだろうか?
いや、しかし、ここに人員を集中させるってのも・・・。
あ゛ぁ゛~、もう、こういう頭使うのイヤ。
「まぁ、そうねぇ。いいわ。スフィール、彼に今日のお代を。じゃあ、私はこれで。」
「おやすみなさいませ。」
俺とスフィールさんは、部屋を去る彼女に一礼をして、扉が閉ざされるのを待つ。
「・・・。」
「・・・。」
「・・・・・・もういいっスか?頭上げても。」
「あぁ、そうですね。見えないですね。どうぞ。」
察して下さい、本当に。
「ではでは、私は片付けをするっス。」
「お手伝いはいりますか?」
「いえ、あの、終わったらお呼びするっス。」
「・・・。」
「なんスか?」
何か言いたそうな・・・でも無表情。
「いえ、では部屋の外でお待ちしています。」
間が相変わらず怖い。
まぁ、いっか、俺はさっさかと片づけを敢行。
今日使った原材料は格安なので、瓶さえ割らなきゃどうでもいい。
どんどん元々入れていた袋に放り込むだけ。
それより気になる事がある。
その為にスフィールさんを部屋の外へと促す様な雰囲気を出しておいた。
まぁ、彼女が部屋を出る時に片付けるかどうかは賭けだったけど。
「う~ん・・・。」
サイドテーブルに置いてあるグラス。
そこに鼻を突っ込む。
別に変態行為をしようというワケじゃない。
ただ気になっただけ。
この匂い。
「・・・何処だろう。」
グラスを手に取り微かに残る匂いを嗅ぎ取る。
確かにどっかで嗅いだんだよ。
匂いってのは、嗅覚から脳に直結しているから、一番鮮明に覚えて作用するもんで・・・。
だから、思い違いって事はないと思う・・・多分。
最近、多分っての多いなぁ・・・。
こっちの世界に来てから、価値観やらなんやら、今までの自分の経験が揺らぐような事が多かったのが原因か。
自身喪失してんのかしら。
「スフィールさん、帰り支度が済んだっス。」
どのみち解らんものは解らんから仕方ないが、仕方ないなりに脳ミソをフル回転させないとね。
あぁ、糖分欲しい。
「では、ご案内しまっ?!」
部屋に入って、行きと同じように俺の手を取ろうとしたスフィールさんが、俺に向かってコケてくる。
「っと?」
思わず反射的に、彼女を受け止めようと手を出して、慌てて止める。
そうだった俺、目が見えないんだった・・・と、いう事で。
「あでッ!」
あ~れ~っと、一緒に倒れるしかないと。
慣性の法則ってヤツですね~、あれ?万有引力だっけ?
まぁ、いいや。
俺に覆いかぶさるようにして、倒れ込んで来るスフィールさん。
「大丈夫っスか、スフィールさん。て、倒れてきたのスフィールさんっスよね?」
華奢な身体。
触れた彼女の身体は華奢っていうレベルじゃねぇゾ、コレ。
ゆったりとしたスカートのドレスを着ていたから、全く気づかなかったけれど、彼女の線の細さは異常だ。
それに・・・乱れたスカートの裾から覗く太股。
見たわけじゃないぞ?見えてしまったんだ。
いわば不可抗力、男ってそんな生き物なんだよ!条件反射なの!
と、それは置いといて、彼女の太股・・・"切り傷"が見える。
L字型の傷跡。
「?!す、すみません。」
そそくさとスフィールさんが乱れた裾を慌てて直す。
う~ん、眼福眼福。
「なにがっスか?」
「・・・・・・そうですね、見えていないんでしたね。」
えぇ、ばっちりと脳内メモリーに焼付けさせて頂きました。
にしても、あの傷は・・・最近のだな。
「大丈夫っスか?」
「私は大丈夫です。あなたは?」
ゆっくりと俺の上からどき、俺の手を掴んで起き上がらせるように促して、二人とも起き上がる。
「ちょっとお尻を打ったくらいっス。この程度なら、なんとも。」
元々、怪我の治りだって早い方だしな。
「良かった。」
まただ。
スフィールさんの表情に一瞬だけ感情が・・・。
この人は、決して常日頃無表情じゃないんだ。
「では、これがお約束の代金です。一応明日から私が迎えに行きますが、念の為の通行許可証です。」




