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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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574/576

574.コミカライズ1巻発売記念SS 開拓と植林

時系列は一年目の秋になる少し前くらいです。

「メルフィーナ様、失礼します」


 換気のために少し開けてある執務室のドアの向こうからマリーが声を掛け、入室してくる。その両手には重たそうな羊皮紙の書類が抱えられていて、傍に控えていたセドリックが歩み寄り、書類の束を受け取った。


「お疲れ様、マリー。荷物の受け渡しの立ち合いを頼んでしまって、ごめんなさいね」

「いえ、お役に立ててよかったです」


 夏の盛りは陰りはじめてきたけれど、エンカー地方は二度目のトウモロコシの収穫のさなかでまだまだ忙しい日々が続いていた。


 采配することが増えたため領主であるメルフィーナの仕事も山積みで、手の回らないところは秘書であるマリーが補ってくれている状態だ。


 ――こんなに忙しくなるなんて、マリーがいてくれなければ、破綻していたかもしれないわね。


「苗木の状態はどうかしら?」

「三年目の樫や楢を中心に、十分な状態であるとのことですが……」

「どうしたの? なにかあった?」


 やや歯切れが悪そうなマリーに尋ねると、いつも表情をあまり変えることのない彼女が思わしげな視線をメルフィーナに向ける。


「森の開墾を行っている農奴には、なぜ折角切り拓いた森に再び木を植えるのかという声もあります。木を切り倒し、整地を行った土地は、通常だと畑として利用し共同体の財産となるものですので」

「領主の決定だというのに、他に理由が必要なのか」


 後ろに控えていたセドリックの声が低くなったことに、苦笑を漏らし、窓に視線を向ける。

 執務室の窓の向こうは、北部の夏らしい青い空が広がっていた。柔らかく高い空は雲一つ浮いておらず、時々ひばりの鳴く声が、遠くに聞こえてくる。


 周囲より少し小高い土地に建てられている領主邸からはぽつぽつと家が点在しているエンカー村と、その向こうにはフランチェスカ王国の北端からさらに北に向かって鬱蒼と広がるモルトルの森があり、今なお人の手が入ることを拒んでいるように木々が生い茂っている。


 メルフィーナが割譲された土地はモルトルの森とそこにあるモルトル湖を含む一帯で、この森は更にその先にあるルクセン王国との国境も兼ねている。


 領主権を行使できるのは領主が十全に治めている土地に限られるので、モルトルの森を切り拓いた土地はそのままメルフィーナの領地として認められる。


 現在開発の盛りであるエンカー地方は、木材の需要が非常に高い。今は建築材と鍛冶と陶器の工房がメインだが、冬になれば暖を取るために炭を焼き、いずれはガラス工房も誘致するつもりだ。


 すぐそばに広大な森があるので木材の伐り出しには困らないが、森は資源であり、際限なく伐採していいものではない。


 そこにある時は無尽蔵の資源に見えても、気が付けば枯渇は目の前というのは、歴史上何度も繰り返してきたことである。


「いいわ、それは私が直接足を運んで説明します。昼食を食べたら出かけましょうか」

「メルフィーナ様はお忙しいのに」

 マリーが難色を示すのに笑って、立ち上がる。

「机に座りっぱなしだと体にも悪いわ。それに、私は計画を立てることはできるけれど実際に働いてくれるのは現場の人たちだもの」

 それに、と続ける。

「なぜそれが必要なのか、今している仕事にどういう意味があるのか、理解しているのとしていないのとでは、やる気も変わってくるものよ」



     * * *



「あ、メルフィーナ様!」

「メル様ー!」


 馬車で農奴の村に入ると、子供たちが取り囲むようにわっと走り寄ってくる。危ないから動いている馬車にあまり近づいてはダメよと声を掛けても、子供たちはあまり頓着した様子を見せない。


 メルフィーナがエンカー地方にやってきてようやく半年になるかというところだけれど、その頃に比べると子供たちの頬はふっくらとして、髪もふわふわと風が吹くたびに空気を含んで豊かになびいている。


 農奴の村は、住人がトウモロコシの収穫を行っているのと並行して冬に向けて新しい家屋の建築の真っ最中である。村のあちこちから槌を打つ音や職人たちが掛け合う声が響いている。村のまとめ役のニドの家に到着し、主に木の伐採に従事している者を集めてもらう。


「お仕事の手を止めてしまってごめんなさいね。苗は生き物だから、早めにみんなと話をしておきたくて」


 伐採を行っている者は、村の中でも体格が良く力のある若い男性が多い。いつもより後ろにいるセドリックがピリピリとしているのが伝わってくる。


「開墾して整地した森に、新たに木を植えていくことに疑問を抱いている人も多いと思うわ。それについて、少しお話をしておきたくてね」

「メルフィーナ様のすることですので、みんな信頼しています。いえ、ですが……何故という気持ちも、確かに無いわけではありません」


 農奴の一人が気まずげに言い、ちらりとセドリックを見て目を逸らす。かなり体格が良く、腕の筋肉など瘤のように盛り上がっているというのに、完全に委縮している様子だった。


「これまで、開墾した土地は畑にしていたのだものね。豊かな黒い土が採れる森を、なぜ畑にしないのかという疑問は当たり前よ」

「は……」


 ニドの妻であるエリが淹れてくれたトウモロコシ茶に口をつけ、唇を湿らせる。


「エンカー地方はこれから、どんどん発展していくわ。私はそうするつもりだし、皆が飢えず、凍えず、豊かに暮らせるようにしていきたいと思っているの。そのために木材は不可欠だし、今もみんなに木を切り倒してもらっているわ」


 マリーに目配せをすると、根を土ごと布で覆った苗を差し出してくれる。

 非力なメルフィーナでも持つことのできる、まだ数十センチに満たない、頼りない樫の苗だ。


「この苗が今切り倒している大木に成長するまで、何年くらいかかるか、知っているかしら?」


 農奴たちは視線を交わし合い、僅かに首を傾げる。


 農奴は色々な土地から集められるけれど、その土地に根付いた農奴の一族も少なくない。彼らにとっては物心ついた時から森は傍にあって、切り倒しては根を引き抜く重労働を課す忌々しくもそこにあって当たり前のものだったはずだ。


「今モルトルの森に生えている大きさになるまで、最低でも百年はかかるわ」

「ひゃく……」


 誰かがメルフィーナの言葉を反芻しかけ、多くは言葉が出てこないという様子だった。


 この世界の――開拓民はとりわけ、寿命が決して長いとは言い難い。半数は赤ん坊のうちに神の国に渡り、成人以後も四十代まで健康に生きることさえ中々難しい。


 前世では薬で散らすことができた虫垂炎ですら、こちらで発症すればほとんど助からない病気なのだ。


 百年という年月は、おそらくピンとこないものだろう。


「これからエンカー地方にどんどん新しい建物ができて、冬を越すための炭を焼いて、人口も増えていけばパンを焼くために、船を造るために、木材を消費していくことになるの。けれど、一度切り倒した木が大きくなるまで、それだけの年月がかかってしまう。木の根は土地を支え、水を蓄えて、その落葉は朽ちて豊かな土を作り、多くの動物や植物を養っているわ。それらは、一度失われてしまったら取り戻すことはできないものよ」


 実際、前世の世界では多くの文明が水と森の傍に生まれ、森を失うことで文明もまた失われるのは決して珍しいものではなかった。


「エンカー地方は森だけでなく、豊かな水源にも恵まれているわ。モルトルの森周辺の木を全て切り倒した後は、湖に土地が削られて土が流れ込んで水が悪くなったり、アオコ……水面を覆う植物のようなものが増えて、魚が息ができなくなって死んだりする可能性が高いの。そうなったら私たちの子孫の飲み水としても使えなくなってしまうはずよ」


 固唾を呑んで耳を傾けてくれている農奴たちにも理解できるよう、できるだけ平易な言葉を選び、ゆっくりと告げる。


「土地が水を貯える力がなくなれば、川に流れる水の量が減り、干上がる井戸も出てくると思うわ。私たちの暮らしを豊かにするために木材は必要だけれど、伐ったら伐りっぱなしにしてはいけない理由がそれなの。折角豊かになって、子供たちが心配なく大きくなることができるようになっても、その子供の、そのまた子供の時代に、水が濁って土地が干上がって、麦も育てられない土地にさせるわけには、いかないわ」


 メルフィーナは微笑んで、今はまだ細く頼りない苗を、優しく撫でる。


「この苗が成長し、大きな木になるのを、私も皆も見ることはできないと思う。けれど確かに、この苗は未来において、私たちの子孫を支えてくれるはずよ」


「だから、木を植えるのは大切なんですね」


 メルフィーナはうなずき、農奴たちもお互いの顔を見合わせて、静かにうなずき合った。



     * * *



「あれで分かってもらえたかしら」


 メルフィーナが心配そうに言うのに、マリーは大丈夫ですよ、と答える。


 話が終わると、農奴たちは仕事の続きに戻っていった。彼らには彼らの生業があるのでそれを浪費させるわけにはいかず、早々に馬車は領主邸に向かって進むけれど、メルフィーナはまだ少し心配そうな表情だった。


 領主という領地の絶対権力者であるにも拘らず、メルフィーナはいつもそこで暮らす人々の気持ちを大切にしようとしている。


 今も、もう少し時間をかけて納得してもらったほうが良かったのではないかと思っているのだろう。


「みんな、いい顔をしていましたから」

「そう? そうだといいけれど」

「はい。苗を扱う手付きも、メルフィーナ様のお話の前より丁寧でした。――そこに木があって、伐り倒すのが当たり前の時には、なかったものだと思います」


 マリーは、忙しい時は執務室に籠り切りのメルフィーナより、現場に出て彼らと接する機会も多い。


 だからこそ、分かることもある。


「それに、嬉しかったんだと思います」

「嬉しいって、なにが?」


 きょとんとした顔をするメルフィーナに、うっすらと微笑む。


 ――私たちの子孫を支えてくれるはず。


 その言葉は、メルフィーナがずっとエンカー地方を治め続けるのだと言っているのも同じだ。


 領主なのだから当たり前ではあるのだけれど、メルフィーナはある日ふらりとやってきた新しい領主で、その手腕であらゆることを変化させていった。


 だから、同じようにある日ふらりといなくなってしまうのではないか。そうしてメルフィーナがいなくなれば、与えられた輝かしい全てが指の間からこぼれ落ちてしまいはしないだろうか。


 時々、そんな不安を感じさせることがある。

 人は、一度手に入れた幸福を手放すことを、ずっと不幸でい続けるよりも恐ろしく感じるものなのだろう。


 だから、メルフィーナのさり気ない言葉に気持ちを浮き立たせ、力を得る日もある。


「なあに、マリー。続きは?」

「いえ」


 それを言葉にしても、メルフィーナはきっとなぜそんな不安を抱くのか分からず、戸惑ってしまうだろう。


 ――この方は、ただそこにいるだけで輝かしい人だから。


「メルフィーナ様がこの土地のことを考えてくれているのが、彼らには嬉しいんだと思います」


 だから、少しだけ言葉を変えて。

 長い時間をかけて、彼らが手に入れた豊かさを心から信じる日がくるまで、自分はメルフィーナの傍で見守ろう。


「いやね、領主なんだから、そんなことは当たり前なのに」


 細く頼りない苗木が、いつか大樹になるように。

 時間をかけて、ゆっくりと。


 夏の盛りを過ぎた風が、すうっと二人の間を駆けていく。


 その時間こそが自分の幸せであると、下ろした金の髪が揺れるのを眺めながら、マリーは思うのだった。


本日柑奈まち先生による捨てられ公爵夫人は~のコミカライズ1巻の発売ですので、その記念SSです。

配信された本編のほか、まち先生による書き下ろしの短編と、私もメルフィーナの前世についてSSを書かせていただきました。

各書店様に特典のイラストカードの配布もしていただいています。


挿絵(By みてみん)


また、新刊を記念して、ピッコマ様で7/17からコミックスの続きになる6話を先行配信予定です。

コロナEX様(下のリンクから飛べます)の掲載は7/24を予定しております。


それと、別作品になりますが、新作の投稿を始めました。

転生付与術師オーレリアの難儀な婚約 https://book1.adouzi.eu.org/n6189kt/

こちらもお付き合いいただけるととても嬉しいです。

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書籍版

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コミカライズ

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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです@COMIC【連載中】

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