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捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです  作者: カレヤタミエ


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546.南部の青年の葛藤と忠誠3

 沈黙は短かったけれど、ひどく重苦しいものだった。


 ルドルフはテーブルに肘を突き、指先で額を押さえている。


 おそらく強い緊張から眉間の辺りが痛むのだろう。悩んでいる時のルドルフの癖だった。


「――納得はしきれないが、父上がなぜ姉上に冷淡だったのかは、分かった。だが、母上は何故だ。父上が何を言おうと聞くような方ではないだろう」

「それは……」


 メルフィーナとルドルフの実母、レティーナの実家は王都に根を張る貴族であり、枢密院と呼ばれる宮廷の諮問機関を率いる家系であり、王家とのつながりは南部の大領主であるクロフォード家よりも強固で、持ちうる権力の大きさは計り知れない。


 その令嬢として育ったレティーナは非常に気位が高く、自分のしたいと思ったことは必ずやる人だ。


 一度は南部に嫁いだものの、気候や文化が合わないと言って王都のタウンハウスに戻り、そこからは頑として南部に顔を出すこともしない。大貴族の令嬢としては相当な変わり者ともいえるだろう。


 嫁ぎ先に戻ることもしない妻が、子供を育てる方針で夫に従うわけもない。そしてレティーナは、大きな屋敷とはいえ共に暮らしていたメルフィーナには見向きもしない反面、彼女なりにルドルフには愛情を注いでいた。ルドルフがレティーナの態度に疑問を覚えるのは当然のことだ。


「それは……」

「この際だ、知っていることは全部教えてくれ。――私ももう、子供ではないのだから」


 ルドルフの声は硬く、真剣なものだった。噛みしめた奥歯がギリリと音を立てるのに、エリアスは気を落ち着けるために、一度深く、音を立てないように、息を吐く。


「私も、噂でしか知りません。ですので、これが真実であるかどうかは、わからないのです」


 曖昧な情報を主に伝えるような真似はしたくない。しかもそれが、その主の出生に関わることならばなおさらだ。


「構わない。……私は、父上のことすら知らないことばかりだった。周りが遠ざけていたこともあるが、私自身が知ろうとしなかった責も大きい。どうせお前がここで言わずとも、南部に戻れば自分で調べる。それなら、お前の口から聞いておきたい」


 それは、この期に及んでエリアスならば嘘を言うことはないだろうという信頼の言葉だった。目の奥にじわり、と熱いものがこみ上げてくるのを抑えるのに、もう一度、深い呼吸が必要だった。


「……強い魔力は、人の体に様々な害を及ぼすことは、ルドルフ様もご存じだと思います」

「ああ、私自身、子供の頃はひどい目に遭うことが多かったからな。それについてはよく知っている」

「はい。南部は貴賤を問わず魔力の多い者は多くありませんし、南部に血縁を持つ王都の貴族もそうです。魔法の属性を持ってはいても、ルドルフ様のように炎を自在に操るほどの魔法使いは滅多に現れません」


 そのため、四つ星の魔物と呼ばれる南の大魔、プラーミァの対策のための魔法使いは、主に東部から雇い入れることになる。毎年の必要な予算だが、それなりに莫大な金額だ。


 そのため南部は商業に力を入れていて、隣接する商業大国であるロマーナとは緊張感のある関係である。後継ぎであるルドルフも、この辺りのことは今更説明が必要なものではない。


「魔力はそれを持つ人を時に苦しめますが、肉体は持って生まれた魔力に耐えるように成長していきます。ルドルフ様も背は高いですし、そのため魔法使いは、大柄な男性がほとんどです」


 ルドルフはもどかしげに眉を寄せる。それと母親であるレティーナの話と、どう関係するのか分からないという表情だ。


「南部では、本当に稀なことです。私も周囲でそのようなことが起きたという話は聞いたことがありませんが……身ごもった時、お腹の中の子供の魔力が強いと、母親の肉体がその魔力に耐えきれず、妊娠期間中は常に魔力中毒に晒されるのだそうです」

「な……」


 そんなことが実際にあるのかは、エリアスには分からない。ただ、そうらしいという話を聞いたことがあるだけだ。


 だが事実ならば、それは想像を絶する苦しみであっただろうと思う。実際に強い魔力を持っているルドルフもそうなのだろう、青ざめていた。


「ほんの数日でも、文字通り死ぬほど苦しいのが、魔力中毒だ。何か月もなど、耐えられるわけが……」

「はい。その結果、母親は様々な形で後遺症を得るのだそうです。その後子供が望めなくなったり、心や記憶の一部が壊れてしまったりすることも、あると聞きました」


 ルドルフもエリアスも、生まれていない、もしくは生まれ落ちた直後の話だ。それ以前がどうだったかなど知るはずもなく、物心がついた時にはレティーナはレティーナであったし、メルフィーナに対して一切の関心も――視線を向けることすらしない人だった。


「レティーナ様は、ルドルフ様が生まれた後は、メルフィーナ様の存在を忘れてしまったように振る舞われたそうです。実際に記憶していないというわけではないと思いますが、関心を向けることはせず、その場にいても気が付かなくなったと」

「それ以前は、違ったというのか」

「私には確認しようのないことです。そのような噂をしていた使用人たちは厳しく叱責した後、解雇いたしました」


 メルフィーナが生まれる前からレティーナは王都のタウンハウスで暮らしていたし、メルフィーナ自身、三歳違いのルドルフが生まれた以前のことはほとんど覚えていないだろう。


 当時の使用人たちも随分入れ替わっている。今更メルフィーナが生まれ、ルドルフを身ごもるまでの三年間、レティーナとメルフィーナがどのような母子関係だったのかなど、真実を確認するのは困難だ。


「……私は、おかしいと思っていたんだ。母上は非常に好き嫌いが激しい方だ。自らが好まないものは決して傍に置くことはしない。姉上を嫌っているならば王都にもうひとつ家を造り、そこに住まわせるか、自分が出ていく方を選ぶだろう」


 だが実際は、同じ屋敷に住み、だがその存在を空気のように扱うというレティーナらしからぬ態度を貫いていた。


 レティーナがルドルフを身ごもったことで重大な魔力中毒に陥り、かつそれで何かを失ったとしたら。


 その「何か」がすでに傍にいた娘への、愛情や関心であったとしたら。


 全て仮定の上での話だ。ルドルフにもそれは分かっているのだろう。テーブルの上で拳を握ってはいるけれど、それほど取り乱した様子はない。

 そして、ルドルフは決して愚鈍な人ではない。


 魔力の強い者が少ない南部では稀であるということは、魔力の強い北部にはよくあることだと、すぐに察したのだろう。


「嫁いで三年過ぎても姉上に子がおらず、ウィリアムが後継者となっているのも、そういうことか」


 ゆらゆらと、怒りとそれを抑える理性が何度も揺らめいていた。


「義兄上は姉上を大切になさっている。それは見ればわかることだ。姉上は美しく、聡明な方だからな。まともに接していれば守りたいと思わずにはいられなかったはずだ。――だが、父上は」


 握った拳を振り上げて、思い切りテーブルの天板に叩きつける。ドン、と重たい音が団欒室に響いた。


「父上は知っていたんだな! 魔力の強い土地に嫁いで子を生せば姉上がどうなるのか、母上を見て知らなかったはずはない!」

「ルドルフ様……」

「解っていて北部に姉上を嫁がせた! エリアス、お前もそれを知っていたんだな!」


 その声は激しく、鋭いもので。


 裏切り者が糾弾されるのに相応しい、切りつけられるような痛みを伴うものだった。


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