34.収穫祭と酒造の計画
振る舞いが一段落した頃、遅れた農夫や工夫たちも次々と参加し始めた広場は賑わいを増していた。
自然と誰かが樽を叩いてリズムを付け始め、それに合わせて口笛や歌が鳴り響き、踊りの喧騒がそこかしこで広がっている。
「あっ、メルフィーナ様だ!」
元農奴の集落からも子供たちが到着していて、見つかった途端、わらわらと囲まれてしまう。
「ちょっと、ロド、レナ、ひっぱらないでちょうだい」
「メルさま、はやく、はやく」
「みんなメルフィーナ様のこと待ってたんだぜ!」
子供たちが急かすのが微笑ましいのだろう、広場に椅子の代わりに置かれた丸太に腰を下ろしてエールを飲んでいる人々も、リズムに合わせてダンスをしているカップルも、みんな笑顔だ。
「メルさま! 私と踊って!」
「俺が先だろ! メルフィーナ様!」
「順番に踊るから! もう、助けてマリー!」
「メルフィーナ様との間を邪魔したら、私が恨まれてしまいますよ」
マリーも笑いながら、村の少年にダンスに誘われ、スカートをつまんで一礼をする。
その優雅な仕草は思わずメルフィーナも見とれてしまうようなものだった。
「レナ、お腹いっぱい食べた?」
「うん! お腹ぱんぱんだよ」
「ロドはどう?」
「でっかい平焼きパンのサンドイッチ四つも食べた!」
さすがは食べ盛りだ。春の始まる頃、初めて会った時より背も伸びて、体つきもがっしりしてきたようだった。
「父ちゃんも母ちゃんも、こんなに腹いっぱい食べられることをメルフィーナ様に感謝しろって言ってた」
「みんなで働いてみんなで収穫した食べ物だもの。感謝はお日様と大地と、みんなにすればいいわよ!」
リズミカルな音楽に合わせて三人で踊る。形式もなくリズムに乗ってステップを踏んでいるだけだけれど、それが不思議なほどに楽しいものだった。
メルフィーナの人生で、こんな風に多くの人に感謝され、笑い合い、共に食事を摂る時間はなかった。
空っぽだったメルフィーナの心に、温かいものが注がれているのを感じる。
「メルフィーナ様! 次私と!」
「じゃあ次オレ!」
「待って、休ませて」
それから数人の子供たちと思い思いにダンスをして、へとへとになったところでようやく輪から抜けることが出来た。
マリーはルッツやニドといった各村や集落の責任者たちと何やら話をしている。秋に入ってからメルフィーナに代わって彼らと様々な折衝を受け持ってくれていたので、すっかり親しくなった様子だった。
「メルフィーナ様、お疲れ様です」
「お疲れ様。子供たちの体力は底なしね」
子供たちは今日も朝は農作業の手伝いをしたはずなのに、楽し気に踊り続けている。
「それもあるでしょうが、単純に、こんな風にみんなで遊べることはありませんから、特別な雰囲気に高揚しているのでしょう」
セドリックにどうぞ、と木製のカップを手渡される。白い湯気が立つカップから、ふんわりとトウモロコシのいい匂いがした。
近くの民家がお茶を入れて振る舞っているらしく、見れば皆同じように飲み物を手にしていた。
「麦茶も美味しいものでしたけど、このトウモロコシ茶というのもいいですね。香りがいいし、体が温まりますし」
「麦茶やトウモロコシ茶を飲むようになってから、腹を壊す者も少なくなった気がします」
ニドとルッツが口々に言うのに、メルフィーナは頷く。
それは一度水を煮沸しているおかげもあるだろう。
近くに清水の流れる川があり、村での生活用水は井戸とその川を利用しているけれど、何かの拍子に汚染される可能性はゼロではないし、汲み置きの水は悪くなっているか、中々分からないものだ。
火を通すというのはこの世界では最も手っ取り早い安全策なのである。
「お祭りとは楽しいものですなあ。これで酒があれば言う事なしですが」
「領主邸のエール、あっという間になくなりましたねえ。我々も朝一番に来るべきでした」
二杯は呑めたというニドは、それでも名残惜しそうな様子で呟く。
「そうですね。もし来年、余裕があったらお酒造りに挑戦してみましょうか」
「メルフィーナ様、葡萄が収穫できるのは、まだ年数がかかりそうですが」
「ワインはすごく簡単ですけど、葡萄以外からでもお酒って造れるんですよ」
ワインは、それこそ葡萄を潰してジュースにしたものを樽に入れて放置するだけでも出来るので、大陸中で造られているとてもメジャーなアルコール飲料である。ただ果物である葡萄がそれなりの高級品なので、庶民の口にはめったに入らない。
あとは蜂蜜酒もあるけれど、蜂蜜もやはり採取に手間がかかる高級品だ。大麦と水があれば出来るエールが、庶民でも手が届くお酒だった。
「それこそトウモロコシからでもお酒は造れますよ」
「トウモロコシからお酒が造れるんですか!?」
「そんなこと、聞いたことありません」
前世で最も有名なウイスキーのひとつであるバーボンは、トウモロコシを原料にした酒だった。
砕いたトウモロコシとライ麦を合わせて煮沸したものに大麦を投入することで麦芽糖を作り、糖化させたものをアルコール発酵させ、さらにそれを蒸留したものを内側を焼いた樽に詰め、熟成させたものを言う。
最低限発芽させた大麦と水さえあれば造ることが出来るエールと比べればかかる手間は段違いに多いけれど、蒸留酒の最大のメリットは、その度数の高さにある。
ワインやエールは、度数が足りないため酢になったり腐敗したりと、簡単に出来るものの日持ちはしないのだ。地産地消が基本であり、遠方の有名な醸造所のワインやエールを飲むために別荘を造る貴族すらいるほどだ。
その点ウイスキーは造ってさえしまえば、上手くすれば数十年という時間を保存することが出来る。長時間の輸送に耐えうる酒というのは、この世界では一種の革命になるだろう。
――ゲーム内でも、マリアが酒造りに挑戦するエピソードあったなあ。
粗悪な醸造酒で治安が悪くなってしまったので、より美味しいお酒を造ろう! という流れだった。攻略サイトや考察ブログでは、酒で酒を洗うエピソードと面白おかしく書かれていたものだ。
「ただ、トウモロコシのお酒は完成までに少し時間がかかるんですよね。最低でも二年以上は寝かさなければならないので、この冬から造るとしても、飲めるのは三年後ですね」
「それでしたら葡萄が収穫できるまでと変わらないので、むしろ早く造れるのではないでしょうか」
「酒造り、ロマンがあります!」
「トウモロコシの酒ですか……実現すれば、村の名物になるかもしれませんな」
それぞれ反応は微妙に違うものの、マリー、ニド、ルッツは全員身を乗り出してきそうな様子だ。その勢いに、やや気圧される。
「お酒、そんなに好きですか?」
「いやあ、これまでは自家製のエールが当たり前でしたが、領主様の造られたエールを飲んでしまうと……明日からいつものエールを飲むのが辛く感じるでしょうなあ」
「あのエール、本当に美味しかったです」
「神殿や修道院がある村は、みんなああいう酒を飲んでいるのですか?」
「そんなわけはないだろう。あんな酒が飲めるのは、大陸中でもこの村だけだ」
セドリックが鹿爪らしい顔と口調で言いきると、村民たちはおお……と感嘆したような声を上げた。
お酒やチーズ、お菓子といった贅沢品は、そのほとんどが各地にある神殿や修道院で作られているものだ。
これらを賄うには、代金の他に神殿への寄付や心づけが必要になるので、自然と割高な高級品になりがちだった。
――民間が造るお酒は、挑戦してみる価値はあるかもしれない。
公爵家との取引で、再来年まで最低限トウモロコシの利益は入ってくるけれど、その先も何か外貨を稼げる名物があるに越したことはない。
「……やってみましょうか、酒造」
「やりましょう!」
「そうでなくっちゃですよ!」
お茶で乾杯しながら、すでに酔っぱらっているテンションである。わいわいと盛り上がっているのを眺めながらトウモロコシ茶を傾けていると、向かいの木箱にどかっ、と新たに腰を下ろす者があった。
「なにやら面白いお話をされていますな、メルフィーナ様」
ずんぐりむっくりという表現が的確に似合う禿頭の壮年の男は、近隣の街から派遣された建築ギルドの親方、リカルドだった。
「リカルド、お疲れ様です。お仕事の進捗はどうですか?」
「木枯らしが吹くようになる前には完了できそうですな。とはいえ、もうこのくらいの時間になると大分冷えるようになりましたが」
「エンカー地方は国の一番北ですもんね。真冬にはモルトル湖も凍り付くと聞きました」
「まさに強い酒精でカッと熱くなりたいところです。ところで、エンカー地方での酒造りというのは、本気ですか?」
「そうですね。上手くいくかはわかりませんが、挑戦してみようかなとは思っています。希望があるのは、よいことですし」
「ええ、おそらく今、エンカー村はこの国で最も希望にあふれている場所だと思いますよ」
リカルドの言葉に自然と笑みが漏れる。
そうであったらいいと、メルフィーナは心から思った。




