魔鳥
使い魔、という言葉は聞いたことがなかった。それ以前に魔物が人に慣れる可能性があることすら、ヒースは知らなかった。そもそも実際にこの目で魔物を見たのは、クリフの母親が襲われた時のみである。
敵を見る様な目で魔鳥を睨みつけているクリフを落ち着かせる為に背中をトントンしてみるが、クリフのプニョプニョした二の腕が総毛立っているのが分かった。
「クリフ、大丈夫だって。落ち着いて」
クリフにとって魔物は親の敵だ。許せる筈などないのだろうが、目の前の魔鳥はクリフの母親を殺した魔物でもなければ安易に人を襲うものでもない様だ。人間が魔族全体を敵と認識するのと同様、野生動物にとって魔物は天敵なのかもしれないが。
そこまで考え、ヒースはふと思った。攫われた人間の女の内、どれ位の女が魔族を天敵だと思っているのだろうか、と。夫や子供を殺されたり奴隷にされてしまった女はなかなか許すことが出来ないだろう。だがしかし、元々未婚で更にもし伴侶となった魔族が人間と同じ様に自分を優しく大切にする者だったら?
そもそも彼らは、次世代の子供を作り自らの種を絶滅させない為に人間の女を攫っている。わざわざ戦争を起こしてまで攫ってきた戦利品の貴重な女を、果たして魔族の男達は雑に扱うのだろうか?
魔鳥の艷やかな青に目を奪われつつ、ヒースは今までそんなことを考えもしなかったことに思い至った。ヒース自身は魔族の国の中までは行ったことが恐らくはない。あったとしても奴隷の身だ、閉じ込められた建物や敷地の外へは出ることが出来なかったので街があったとしてもその様子までは知らなかった。
だが、もし覗いたことがあったとして、そこに仲睦まじく歩く魔族と人間の夫婦とその混血の子供がいたら? 産んだ子はきちんと育てねば育たない。不必要に女に冷たく当たり、子育てを放棄させるとも思えない。だからむしろその可能性の方が高いのではないか。
ヒースの想像の中の街で魔族の男と連れ立って歩く、子供と手を繋ぎ幸せそうに微笑む人間の女。
その顔ははっきりとしない。だが、それは自分の母親に違いない、そう思ってしまった。彼女の見つめるその先には魔族の男。
「――ヒース! おいっしっかりしろ!」
肩が乱暴に揺すられ、ドッドッと自分の心臓の音が頭に響き始めた。ヒースは自分の肩を揺さぶり続ける者を見上げた。ジオだ。いつの間にかここに来ていたのだ。ちっとも気付かなかった。
ヒースと目が合い、ジオがほっとした表情になった。
「……どうした?」
なんと答えたらいいだろうか。今この場には全く関係のないことを考え、それに囚われていたと素直に言ったところでジオが心配するだけだろうし。
「……何でもない」
「お前なあ、何でもない風じゃなかったぞ。いくら呼んでも反応しなくてよ」
ジオが頭をぼりぼり掻いている。どうしようか本当に困った時の癖だ。ポカリとやる訳にもいかず、どうしようもなくなった時にする仕草だった。
すると、クロが言った。
「ヒース、お前はどうも今こいつ――カルっつうんだが、カルににちょいと視せられてたのかもな」
「視せられた? 何を?」
気が付くと、腕の中のクリフが心配そうにヒースを見上げていた。家の中の壁に寄りかかっていたニアを振り返る。ニアは分からない、といった風に首を横に振った。
「カルはな、餌を捕まえる時に相手の不安や恐怖に対する想像力を掻き立てるらしい。そういった種類の魔鳥だそうだ」
「餌って……人間は襲わないんじゃないのかよ」
何故ヒースが餌にされねばならないのか。ヒースが顔をしかめると、ニアがポン! と手を叩いた。もうすっかり機嫌は直っているらしい。やはりあれはヒースとクロの勘違いだったのだろうか? 至って何事もなかったかの様な態度だ。
「分かったわヒース! クリフを狙ったんじゃないのかしら!」
「クリフを?」
ヒースがクリフを覗き込むと、クロが言った。
「おいおい、子供だって人間だぞ。ご主人様のハンの言うことは絶対に守るんだ、そりゃあないだろう」
「クリフは、人間じゃない」
「あん?」
クロが「何言ってんだこいつ」という顔をしたので、ヒースはクリフを床に降ろしてクリフに頷いてみせる。すると、クリフが一瞬で牡鹿の姿をとった。
「うおっ! し、鹿だ!」
途端、カルが狙いを定めた様に真っ直ぐなくちばしをガバッと開ける。中には鋭い牙がびっしりと並んでいた。やはり普通の鳥ではないのだ。
「クリフ、戻れ」
「うん」
クリフはすぐに人間の姿に戻ると、ヒースに抱きかかえられた。するとカルがくちばしを閉じた。やはり狙いはクリフだったのだ。そして分かった。ヒースが抱いて庇っている内はカルは手を出さない。ハンの命令で人間には手を出せないから、人間のヒースの物と認識されている間はぎりぎり襲わないのだろう。
「やっぱりね」
うんうん、と腕組みをしながらニアが偉そうに頷いてみせた。ニアのこれも大分見慣れてきた。
「狙ったのはクリフだったのがこれで証明されたわ」
「じゃあ何で俺が」
「何言ってるの、ヒースとクリフは繋がってるじゃないの」
そうだった。
「え? でもじゃあニアは今は何ともなかったのか?」
何故ヒースだけ。するとニアが呆れた様に肩をすくめて言った。こういうニアの態度はむかつく。
「弓で何かした訳じゃないでしょ」
「あー。てなると、俺だけやけにあれこれ影響受ける感じじゃね?」
クリフを狙ったものは皆ヒースに流れてくるということか? クリフは可愛いし守ってあげたいが、それはいくらなんでも勘弁して欲しかった。
「私からはヒースを通してクリフにも流れるけど、逆はないってことがこれで証明されたわね」
「何でだろう?」
「絆が大して強くないからじゃない?」
「……」
ニアの目をじっと見ると、ふん、と目を逸らされた。先程のヒースの行ないに対する仕返しの様だった。やっぱり怒っていたらしい。まあ、あの言い方はいくらなんでもなかったとは思う。でもニアの態度にも問題はあるから、ここは一つニアとじっくり話をすべきなのだろう。
その前に、少しだけ逆襲したくなった。
「じゃあ俺がニアに噛み付いてやろうか」
「ひっっ」
ニアが落ち着け、というポーズをして壁に背中をべったりと付けた。それは嫌らしい。ちょっと悲しくなった。これがジオならいいよと言ったのだろうか? なので、つい口調がいじけ口調になった。
「自分は俺にした癖に」
「あ、あれは実験的な意味合いで、深い意味は」
「深い意味もなく血が出るまで噛み付いたのかよ」
「も、もうやらないからっ」
たじたじのニアと不貞腐れ顔のヒースを見比べて、クロが首を傾げた。
「……お前らもよく分かんねえ関係みたいだな」
するとジオがクロに尋ねた。
「お前らもってどういうことだ?」
「お前にゃ関係ねえよ」
「何だよそりゃ」
ジオには意味が分からないのだろう。そりゃそうだ、実際にあの場のニアを見てはいないのだから。クロがこの話題はもうやめようと思ったのだろう、両手をパン! と叩くと家の奥に歩き始めた。
「家の中を案内する。皆ついてこい。隣の家と繋いであるから、広いぞ」
街に誰もいないのをいいことに、拡張してしまったらしい。ハン達の仲間もここに寄る時は利用しているのだろう、一本の長い廊下に沿ってドアがずらっと並んでおり、その一つ一つが小部屋になっている様だった。
「部屋を割り振るから」
「済まねえな」
「気にするな」
クロがにっこりと笑った。
次話は明日投稿します!




