クリフの春
アンリの口の中に半ば無理やり食事を詰め込んでから再びヴォルグの家へと向かうと、途中で森の中から出てきた様子のカイネとクリフに出会った。
「ヒース! 元気になった!?」
鹿の姿のままのクリフが、ぴょんぴょん跳ねながらヒースの元まで駆け寄る。
「クリフ! ずっとどこに行ってたんだ!? 昨日も探したのに会えなかったんだぞ!」
すっかり大人の大きさに育ったクリフの首に抱きつきながら頬を寄せると、普段はうるさいくらいのクリフが何も答えない。
「……クリフ?」
すると、目の下に少しクマが浮いているカイネが苦笑した。そういえば、カイネもずっといなかった。クリフと一緒にいると聞いていたが、一体二人でずっと何をしていたのだろうか。
「クリフは探し人……いや、探し鹿をずっと探し回ってたんだ」
「は? 探し鹿?」
カイネの説明によると。
ヒースが二回目に倒れた後、肝心のニアまで倒れてしまったと聞いたクリフは、二人を回復させる為に森の中に入ることにした。
だけど、森の中でクリフひとりが彷徨いたらさすがに危険だ。その為、クリフに一番懐かれていたカイネが同行することになった。
クリフは、これまで生き物の命を奪ったことなどない。だが、目の前で母親を魔物に殺されたから、死というものがどういうものかは理解している。
それ故に、理不尽に動物の命を奪うことについて、小さい頭でクリフは沢山悩んだ。森に入った後も悩み続けた。
時折目の前を兎や狸が横切る。でも、どうしても殺せなかった。
すると、カイネが助け舟を出す。
「実は、川を下った所にワニが住み着いているんだ。大人の獣人なら難なく倒せるが、子供はまだ獣化出来ないから結構危険でな。時折見に行っては個体数を減らしているんだが、僕ひとりでは厳しい。だからクリフ、ワニ退治を手伝ってはくれないか?」
クリフに必要なのは、理由だ。そう思ったカイネの推測は正しかった。
これは嘘ではなく、実際にカイネだけでワニを倒すのは厳しいものがある。その為、ワニ退治にいくのは専ら成人して獣化出来る様になった獣人のみで、これまでカイネは連れて行ってもらえなかった。
自分も集落の役に立ちたいが、獣化出来ないカイネでは力が及ばない。だから助けてくれと、そうクリフに持ちかけたのだ。
二人は川を下って行った。森を通り過ぎた先にある、砂漠に沿って流れる川。森の動物も砂漠を彷徨く魔物も、ここに水を飲みに来る。森の生き物は、集落にとって貴重なタンパク源となる。砂漠に生息するオオトカゲを食べてしまう大ミミズの魔物がここを餌場にしているそうで、先日ヴォルグたちが退治に行った時もその辺りに行ったのだそうだ。
大ミミズの魔物にも狙われワニにも狙われる動物たちは大変だ。だが、大ミミズはワニで満足してくれることもある。大ミミズを退治し切れない以上、ワニには魔物の餌として役立ってもらいたい思惑もあり、全固体の駆除まではしない方針になっていた。
森に近い所にいるワニを狙おう。二人でそう決め、ワニを探した。そして目標はすぐに見つかった。
ワニは、今まさに鹿を襲わんとしているところだった。
角がない、クリフよりはひと回り身体が小さいその鹿の背中には鹿の子模様がなく、よってその鹿が子供ではなく牝鹿だというのが分かった。
その時のクリフの勢いは、とてつもないものだったそうだ。
まだ本物の角は生えていないクリフだったが、体内に宿す魔力で太陽の色に輝く角を瞬時に形成すると、襲われて転倒した牝鹿に近づくワニに突進していった。
カイネがぽかんとして見ている間に、クリフはその魔力の塊の角で切り刻み、ワニは輪切りの状態になって息絶えた。
クリフが無事を確認しようと牝鹿の身体を鼻面で突くと、牝鹿はクリフに近寄ろうという素振りを見せた。だが、近くにカイネがいることに気付くと、そのまま森の中へと逃げ帰ってしまった――という話だった。
「つまり?」
ヒースが首を傾げながら尋ねると、カイネが至極真剣な顔つきで返答する。
「つまり、クリフはその牝鹿にもう一度会いたいと思っているんだ」
「つまり……」
今度は自分の腕の中にいるクリフの目を覗き込んだ。ぱちぱち、と長いまつげが瞬きの度に揺れる。どうして何も喋らないんだろうか。
「え? まさかクリフ」
「……クリフ、あの子にまた会いたい」
つまり、クリフにやって来たのは春だった、という訳だ。納得がいったヒースは、思わず笑顔になって腕の中のクリフに尋ねる。
「おー! それで? 会えたのか?」
「……会えない。隠れちゃう」
なるほど。森の中は危険だからとカイネがついて行っているのが原因なのかもしれなかった。
かといって、鹿の姿のクリフをひとり森の中を彷徨かせ、間違って狩られても困る。
「昨晩から今朝にかけても探したんだが駄目でな」
それでカイネの目の下にクマがあるのか。ヒースはなるほどと頷いた。
「何かいい手はないものか」
カイネは腕を組むと、真剣な表情で考え始める。
「……ヒースが一緒なら、もしかして出てきてくれるんじゃないか?」
「え?」
出た。またこれだ。どうしてどいつもこいつも皆ヒースを連れて行こうとするのか。
ヒースはクリフの保護者のつもりでいるからいいが、大して何も出来ないヒースに皆なんだかんだと頼りすぎな気がする。
すると、クリフもうんうんと頷いた。
「ヒースは怖くない! ヒース、一緒に来て!」
クリフの黒い目がきらきらと輝いており、……こんなのを断れる訳がないじゃないか。
「わ、分かった。これからヴォルグの家に行ってヨハンと話をしないといけないから、それの後でいいか?」
魔具の進捗の確認もしたいのに、次から次へとやることが増えていく。溜息を吐きたくなったが、あまりにもクリフが期待に満ちた目でヒースを見ているので、それをするのも憚られた。
納得した様に頷くカイネに告げる。
「あ、そうだ。カイネもこれからヴォルグの家に来てよ」
「え?」
「魔族の国に行ったことがあるのがシーゼルだけなんだよ。だからシーゼルには来てもらいたいんだけど、ヨハンは反対するかついて行くって言うだろ? だけどヨハンに与えられる蒼鉱石の剣は余ってないし、そもそもヨハンは魔力殆どないから持ってもあんまり意味ないだろうし」
「そんな話になっていたのか」
こんなことをヒースが言ったと知ったらヨハンは怒り狂いそうだったが、事実は事実だ。どうやらカイネはずっとクリフに付き合っていた様なのでヴォルグとシーゼルの頼みを知らないかなと思ったら、案の定だ。
それにしても、ヴォルグとカイネの情報共有の少なさには問題があると思う。旅に出ている間に何とかもう少し互いに歩み寄って改善してもらおうと思ったヒースだった。
なんせ、この国境にある集落にはジオとシオンを匿ってもらわねばならない。その集落の将来の長と補佐となるであろう者の意思の疎通が出来ていないでは、危険極まりないのだ。
ジオとシオンが今どういった考えなのかもさっぱり分からないが、この集落に客人として受け入れることは可能だと、先日の説得の後ヴォルグには了承をもらっている。ああその話もしないとなと思うと、頭が痛くなった。
ブンブンと頭を振る。
「とりあえずヨハンの説得が先だ。いいなクリフ」
「うん、分かった!」
クリフはそう言うと、唐突に溶け始めた。腕の中の鹿が、どんどん人型に変わっていく。
すると。
「……え?」
ヒースの腕の中にいるのは、ついこの前までの幼い子供の姿ではなく、大人手前の少年の姿だった。
次話は月曜日投稿予定です。




