ヴォルグ宅にて
どうせなら温かい物を食べていきな、というミスラの言葉に甘えることにしたヒースは、ヴォルグ宅の食卓に座って朝食を振る舞われていた。アンリ用の食事は、籠に用意してもらっている。
ヒースが食べているのは、穀物を粉にしてよく練り薄く焼いた物の上に、何かの肉と採れたての野菜が乗っている物だ。そこに甘酸っぱいぽってりとしたタレを垂らしてあり、シャクリと口に頬張った瞬間、自分が如何に空腹だったのかを知った。これならいくつだって食べられそうだ。
「ミスラのご飯は、やっぱり美味しいよ」
感動して素直な感想を述べると、ミスラは湯気の立つ汁が入った器をヒースの前に置いて笑った。
「ここまで美味しいって言ってくれるのはヒースくらいだよ。有り難いねえ」
多分、奴隷時代に散々無味無臭でカチカチの食事を食べ続けた所為だろう。あれ以外の食事が、旨くて仕方ないのだ。奴隷生活の後はジオの料理にすっかり心を奪われたが、ミスラの料理の味にはジオのものにはあまり感じられない深みがあって、非常にヒースの好みだった。
「ザハリは言わないのか? 言いそうなのに」
「あれは専ら酒だからねえ。酒のツマミは旨い旨いって褒めるけど」
肩を竦めて幸せそうな笑みを浮かべるミスラを見て、ザハリはこの人のこういうところにやられたんだろうなあと思う。
女おんなはしていない代わりに、包み込む様な穏やかな優しさを持つ女性。それがミスラだ。まだ年若い頃からカイネとアイネの面倒をみてきただけあって、細かい点にもすぐ気が付く。だからニアも安心して預けることが出来るのだ。
ザハリのあの語りっぷりだと、彼のこれまでの相手は所謂色気たっぷりの女性が主流だった様だけど、ここでザハリはようやくこの隣にいると落ち着くミスラと家庭を築く気になったのだろう。それだけのものを、ミスラが持っているということだ。
まあ、ヒースは断然ニアの方がいいのだが。ちらりと横目で恋人を見た。
ニアは、今はヒースの横に腰掛けてズズズ、と温かいお茶を飲んでいる。ヒースの視線に気付くと、もっと食べろと言わんばかりに料理を指差した。やっぱり子供扱いされている気がする。
「そういえば、ザハリに変わった様子は?」
ミスラに用意している物は、作り終わったのだろうか。なんせ昨日までひっくり返っていたので、全く状況が分からないのだ。
「なんかねえ、毎日ヒースの師匠と一緒にトンカンやってるよ。細かい作業みたいだから、苦労してるって。何を作ってるのかヒースは知ってるかい?」
「あー。仲間に配る魔具じゃないかな?」
魔石が出来たのだろうとは、その言葉から想像がついた。きっと今、急いで作業を進めているのだろう。
「じゃあ、俺も手伝わないとだね」
細かい作業は、好きではないけど苦手じゃない。ヒースひとりが作業に加わるだけでも、進みは大分違ってくるんじゃないか。
だけど、これにはニアがじとっとした目で止めに入った。
「ヒース、昨日まで倒れてたのは誰」
それはニアも同じじゃないかと思ったが、この目で見られるとどうしようもない。というか、心配されている自分の立場が嬉しくて仕方がなかった。
「無理はしないよ。どんな感じなのか、見ておきたいと思って」
「本当かな」
この疑いの目。まあこれまで心配させることをそれなりにしてきたので、疑われてもしょうがないのだろう。
「うん、大丈夫だから」
そう言ってニアの頬にチュ、と軽くキスをすると、ニアが「ひっ」と固まった。これでもう言ってこない筈だ。
最後のひと口を咀嚼して飲み込むと、玄関の近くで無言でシュッシュッと矢の先端を削っていたヴォルグに声を掛けた。
「じゃあ、ご飯をアンリのところに届けたら戻ってくるから、ヴォルグはヨハンを捕まえておいてくれるか?」
「いよいよ話をするんだな。分かった。カイネにも声を掛けておこう」
「うん」
聞けば、今日も崖に秘密の通路を作りに行ってしまうらしい。巨大な岸壁に穴を開けていく作業は大変だと思うが、ジオが持ってきた例の土魔法を付与してある武器が大いに役に立っているんだそうだ。
獣人族はそこまで魔力は多く持っていないが、代わりに筋力と体力は他の魔族よりも群を抜いて高い。その為、微量の土魔法を乗せて武器を打ち付けると、岩壁が若干柔らかくなるのでどんどん掘り進められるらしい。
ヨハン隊の隊員たちは、掘った土砂を滑車が付いた木箱に乗せて、風魔法を使って外に出す作業を行なっているとのことだ。彼らの魔力量も決して多くはないそうだが、微量の使用なら問題ないのだろう。
かつては魔族を殺しまくったヨハン隊と獣人族が協力し合って、谷の向こうへと繋がる道を切り開いている。その事実が、これまで沢山の犠牲はあったものの、ハンが望んだ様な共存が少しずつ根付いてきている証拠のような気がした。
まだまだ、道のりは長いけど。
ヴォルグが、眉間に皺を寄せたまま尋ねる。
「ヒースがここに戻ってくるなら、ここで話すことにしよう。それと、シーゼルはどうする?」
「うーん……ヨハンの前では、変なことはしないとは思うけど」
「ちっとも信用がないな」
ヴォルグが呆れた様に笑った。
魔族の国に踏み入ったことがあるのがシーゼルだけなので、シーゼルには絶対に同行してもらう必要がある。そんな重要な人員だが、残念ながらシーゼルは何をやらかすか分からない恐ろしさがあった。
知り合い、というよりもかなり愛されていた竜人族に会いに行く可能性が大なので、確かにヨハンが来たら拙いことにはなる。だけど、シーゼルが可愛がるヒースが一緒なだけで、あの魔力が殆どないヨハンはヒースのことを敵視する。
男なんて興味ないといくら言おうが、自分がかつてはそうだったから、ヨハンはヒースのそんな言葉なんて信用しないんだろう。
すると、ようやくキスの衝撃から立ち直ったニアがヒースの前で力こぶを作ってみせた。小さいけども。
「シーゼルがいたって大丈夫よ、ヒース! 説得は私にまかせて頂戴って言ってるでしょう!」
その言葉に、ヴォルグがギョッとする。ニアとヒースを交互に見て、戸惑った様に問う。
「おいヒース、どういうことだ? 何故ニアが説得をすることになっている?」
「……話してなかったの?」
「あ、忘れてた」
てへ、とニアが頭を掻いた。そのままくるりとヴォルグに向き直ると、ビシッと人差し指をヴォルグに向ける。
「ヴォルグ! 私に秘策があるの!」
「お、おお……」
ヴォルグは、ニアとはまだ打ち解けていない様だ。
「昨日ひと晩、じっくり考えたのよ! これならいける、きっといける!」
「そ、そうか……」
ちらりとヒースに助けを求める視線を送ってきたが、ニアの秘策の内容はヒースも知らされていない。肩を竦めると、ヴォルグは「はあー」と深い溜息を吐いた。
「じゃあ、ちょっとアンリのところに行ってくるから」
そう言いつつ籠を手に持つと、そういえばと思い出す。
「ニア、アンリがニアが倒れたことについて検証してみたいらしいから、ヨハンの説得が終わったら一緒に行こう」
ヒースがそう言うと、ニアが目を輝かせた。
「検証! 何か考えがあるってこと?」
「うん。よく分かんないけどぶつくさあれこれ呟いてたよ」
「あれだけの情報で……私も考えてみなきゃ……」
ニアもブツブツと言い始めてしまったので、ヒースは困った顔のヴォルグと大して気にした素振りのないミスラに一時の別れを告げ、アンリの元へと戻ることにしたのだった。
次話は目指せ月曜日で。




