好き
「……という訳で、困ってるんだ」
何とかうまい言い訳を考えろとヴォルグとシーゼルに丸投げされてしまったヒースだったが、そうはいってもいい言い訳などそうすぐに出てくるものでもない。
ということで、意外な意見ならやはりこの人だろう、と相談した相手が、何故か急に怒り出した。
「ヒース! 前に言ったこと、もう忘れてるでしょう!」
「前って、どれ?」
赤髪の愛しい恋人は、夜空の様な深い紺色の瞳に苛立ちを浮かべ、それを隠そうともしていない。
ニアのこういう真っ直ぐなところが、好きで堪らなかった。
今、ヒースとニアがいるのは、月の花が咲き乱れる妖精界との接点の手前の階段だ。ここは滅多に人が立ち入らないので、二人きりになりたいのならここが絶対いいよ、とリオに教わり、それを早速実行したのだ。
確かに誰も来ないし、月の花が淡く発光していて雰囲気もある。だが、残念ながら、ニアは雰囲気よりもヒースの話の内容の方に気を取られているらしく、雰囲気も何もあったものではなかった。
ニアが病み上がりということもあり、そもそも自分もまだふらふらな状態だ。出来たらあれやこれやしてみたいところだが、果たしてその機会はあるのだろうか。
だが、そこでめげてはならない。ヒースは、怒っているニアの肩に手を置くと、顔を近付けて聞いてみることにした。
「ニア……可愛いから、キスしていい?」
「ひっ」
出た。例の「ひっ」だ。顔が真っ赤になっているので、多分これは怒っているのではなく許容範囲を超えてしまった感じではないだろうか。
押せばいける、とヒースは踏んだ。
「ニアの怒り方は、優しいから好きだ」
「やっ優しいって……!」
照れ過ぎて視線を合わせるのが辛くなったのか、ニアが目を伏せてしまう。
「ニア、俺を見て」
何としてでも、俺の為を思って怒ってくれるこの可愛い恋人の目を見ながら、キスをしたい。出来れば、本人の許可もある状態で。
暫く目を伏せていたニアが、一向に折れないヒースの粘りに負けたらしい。頬を真っ赤に染めながら、上目遣いでヒースをチラチラと見た。
「キスしていい?」
ニアは、余計なことを言うと話がどんどん逸れて行ってしまうのはもう理解している。だから、返事をするまでとにかく同じ質問を繰り返す。これが一番有効的だと、ヒースは悟っていた。
「……ちょ、ちょっとなら……」
返事を聞いた瞬間、ヒースはニアのうなじに手を当て、自分に引き寄せる。ニアが驚いた顔をしているのは分かったが、ニアと何か恋人らしいことをしたいなら、必要なのは咄嗟の判断と瞬発力、これに限るのだ。
ふに、と柔らかい感触が自分の唇に触れた。そーっと閉じていた瞼を薄く開くと、ニアは大きく目を見開いたままだ。どうも、固まってしまっているらしい。
一旦僅かだけ顔を離し、今度は軽くチュッと音を立ててキスをすると、それが合図立ったかの様に、ニアがワタワタとし始めた。
「ヒヒヒヒヒースッ」
「もっとしていい?」
折角なら、この機会を逃したくない。この先魔族の国に行ったら、多分そこそこ長い間ニアとは会えなくなるのだ。当然、今みたいにキスをすることも出来ない。
出来たら旅立ちの前に、ニアの禁断の果実を一度この手に収めてみたいと思ったが、まだそこを許される段階には達していないというのが正直なところだろう。
「今はそんな話じゃないでしょう!」
もう少し恋人気分を味わっていたいというヒースの願いは、ニアの一喝で儚く潰えた。
ニアはガッとヒースの肩を掴むと、事もあろうか思い切り睨みつけてきたのだ。
キスをした直後に睨みつけて怒る恋人。やはりニアは読めなくて、そこも可愛い。
「私を置いていかないでよ! 勝手にヒースひとりで決めないでよ……!」
そして急に、大きな瞳からぼろぼろと涙が溢れたじゃないか。
前に言ったこととは、これのことだったのか。ヒースだってジオに置いていかれて悔しくて怒った。ヒースはヒースで、ニアとクリフが心配で置いていこうかと考えた。
あの時のニアの激しい怒りは、忘れてはいない。
だけど、今回は違う。そりゃまあ心配は心配だから魔族の国に行かせる気は全くなかったが、これはそもそもそういう話ではないのだ。
「ニア、ちょっと待って、今回のは俺が決めた訳じゃなくてね」
自分でも笑ってしまいそうになるほど、声が上ずっていた。あまり感情を面に出さない筈の自分が、ニアが怒るとこんなにも動揺するのだ。
「私が一緒じゃないと、ヒースが怪我した時に治せるか分からないじゃないの!」
「今度はシーゼルもヴォルグもカイネもいるし……」
「あの時だっていたでしょ!」
ニアの燃える様な赤髪が揺れると、そこに熱い熱が籠っている錯覚に陥る。
真っ直ぐにヒースを見上げる瞳から、目を逸らすことが出来なかった。
「後で怪我をしたって聞いた時、私がどんな気持ちだったか分かる!?」
「ニア……」
ニアはあの場にいなかった。血塗れのヒースを連れて帰ったのはヴォルグだったが、その後のニアの行動は、いかにもニアらしいものだった。
王族だろうがアンリを連れてきて、そこにいる他の者を追い出して。ニアでなければ、そんなこと出来なかっただろうと思う。
だけど、ニアの行動の元となった感情まで、ヒースは考えていなかったかもしれない。
「私がヒースの知らないところで怪我をしてたら、ヒースはどう思うの!」
これには即答する。
「心配で嫌で苦しくなるよ! 傍にいたら守ってやれたのかもしれないのにって!」
「私も同じ気持ちなのを、どうして分かってくれないの!」
「あ……」
言われて初めて、ニアがヒースが怪我を負った時、治してやろう、以外に泣きそうで苦しい想いを抱えていたことに気付かされた。
「ヒースが死んじゃったらどうしようって思ったら、怖かった……! 何で一緒に行かなかったんだって、凄く後悔したのに、また置いていくの!?」
何も、言えなくなってしまった。
胸が感動で詰まって。
「ニア……俺のこと、そんなに心配してくれてたのか?」
「当たり前でしょう!」
ニアが叫ぶ。
だって、母はヒースを気味悪がっていた。転んで怪我をしても、助けには来なかった。
あんな子は自分の子供じゃないと、死ねばいいと。
「わ……っ私だって、ヒースが好きなんだから! 好きな人が怪我するなんて、考えただけでおかしくなりそうなんだからー!」
「え……っ」
好き? 恋人になった時だって、好きがよく分からないと言っていたのに、……好き?
「なっ何でヒースが泣いてるのっ!? まだどこか痛むの!?」
「ニア……本当? 本当に、俺のことが好きなのか?」
ヒースが尋ねると、ニアは頬に涙の跡をくっきりと残したまま、むっとして答えた。
「そっそうよ! 二回目に倒れられて、気が狂いそうな気持ちになって、これが好きな気持ちなんだってシオン様に言われて、ようやく理解したの!」
「……シオンとそんな話してたの?」
あの後ニアが取った行動は、確かに大分皆を驚かせるというよりは怖がらせるものだっただろう。
それを「好き」という感情だとニアに諭したシオンは、なかなか凄いと思った。
「なんせシオン様は嘘を見抜くお人ですからね! これはシオン様のお墨付きよ!」
そして何故か踏ん反り返っているニアが、とてつもなく愛しいと思った。
愛されなくてもいいと思っていた。だけど、愛している人に好きだと言われることがこんなにも嬉しいことだったなんて。
「ニア……っ」
耐え切れず、ニアに抱きついた。ニアはまだ少し熱があるのか、身体が熱い。
きゅ、とヒースの背中にニアの手が回される。
いいのかな、本当にニアの愛情をもらえていいのかな。
不安と期待がないまぜになり、どうしていいか分からずそのままニアに縋り付いた。
すると、トン、トン、と優しく背中を叩き始めたニアが、耳元で凛とした声で言う。
「ヒース、私に任せてちょうだい。ヨハンの説得は、私が引き受けるから」
頼もしい言葉が出てきて、それが何なのか尋ねようと思ったが、感動で身体が震え、何も言葉が出てこなかった。
次話こそ、なるべく早めに…!




