もうひとつの世界
ヒースは、まだ目を覚ましたばかりで弱り切っている。二日間もぶっ通しで寝続けていたのだ。当然といえば当然だった。
「鹿と女に会わせる前に、目を覚ましたら、まずは連れてこいと言われている」
誰に、とか、どこへ、とかいう説明がないまま、ヴォルグは毛布でぐるぐる巻きにしたヒースを肩にヒョイと抱える。ヴォルグに抱えられて移動するのも、これでもう何回目だろうか。
これまで獣人族とここまで深く付き合ったことがなかったので、獣人族が思っていたよりも心優しい種族であったことに、正直驚きが隠せない。全体的に、表現が真っ直ぐ過ぎて逆に分かりにくくなっている気がしないでもないが。
頭ではなく、心で行動する傾向が強い。それが、これまで僅かの間とはいえ濃く関わってきた獣人族の印象だった。
そして、その筆頭が今ヒースを抱えて森の中を歩いているヴォルグだ。
「腹が減ったか?」
ぶっきらぼうな口調で尋ねるが、ぶっきらぼうで無愛想なのは元々だ。会ったら即襲いかかるのがヴォルグの印象だっただけに、この変わりようは凄まじい。だが、恐らくは獣人族の中には二種類しかないのではないか、とヒースは薄々思っていた。敵か、味方か。そして味方だったら、懐に入れてしまう。懐に入れてしまえば、とことん大切にする。
「うーん……微妙」
「そうか、ではミスラにスープでも用意させよう」
「うん、ありがと」
群れを作る野生動物みたいだなあと思わないこともなかったが、あながち間違いではないかもしれない。ヒースの横でぴょこぴょこ揺れている黒っぽい獣の耳は、ヴォルグの中に獣の血が流れていることを証明しているのだから。
そういえば、ずっと気になっていたことがあった。いい機会なので、聞いてみることにする。
「なあヴォルグ」
「なんだ」
相変わらず素っ気ないが、別にこれは拒否をしている訳でも興味がない訳でもない。その証拠に、耳はヒースの方に向けられている。あまり魔力のないヴォルグからでも、これだけ密着していればヴォルグがヒースに対しまあまあの好意を抱いていることも、何となく分かった。
「前に、魔族ってここの世界じゃない別の世界から来たって聞いたことがあるんだけど、それって本当?」
「ここではない世界から? 俺はそういった話は……いや、待て」
ヴォルグが、ふむ、と考え出す。赤い瞳は、地面をじっと見つめている。その間、ヒースはたゆたう思考に身を委ねた。
接点のことでも思ったのだが、獣人族にとって一族の長、族長は絶対だ。族長は一族を守る為に尽力し、力を一元化している。その一元化の結果、重要な情報を持っているのが族長だけになっているのではないか。ヴォルグは時期族長だからティアンからあれこれ聞いているらしいが、庇護の対象とされていたカイネは、族長の実の息子であるというのに情報を知らされていなかった。
でも、ヴォルグの許嫁のアイネだったらどうだろう。族長となり伴侶となるべきヴォルグに万が一のことがあった場合、伝承を語れる者がいなくなってしまうことは避けねばならない。そうなると、アイネはいざという時の保険として様々な事柄を聞いているのではないか。
そう考えると、あの族長の家の中で何も教えてもらえなかったのは、カイネただひとりということにならないか。
最初にカイネと語り合った、崖の上でのことを思い出す。相手にされていない、自分は弱いと泣いていたカイネ。若干の誤解はあったが、カイネが除け者扱いされていたと考えてしまうだけの環境がそこにはあったのではないか。
族長の息子は自分なのに。人間の混血だというのに、妹は知らされて自分はただ守られている存在にしかなっていない。その事実は、元々負けん気の強いカイネには相当きつかっただろう。認められたい、だけど人間の血の所為で認められない。どうしようもない理由だ。だけどその所為で足掻いても足掻いても事態は好転せず、さぞやもどかしかったに違いない。
ぼそりと、ヴォルグが呟く。
「荒れ果てた遥か彼方の故郷を懐かしみ、という子守唄がある」
「……それ、滅茶苦茶それっぽくない?」
ヒースが真剣な顔になると、ヴォルグも眉間に皺を寄せながら頷く。これは怒っている訳ではない。考えているだけだということも、もうヒースは知っていた。
「我ら一族は本国からも離れた土地に住んでいるからな、本国の話だとばかり思っていたが、かつて別の世界から来たという意味に取れなくもない」
「続きとかないの?」
「続き……」
あまり熱心に聴いてこなかったのかもしれない。ヴォルグは首を傾げると、やがて諦めた様に首を横に振った。
「記憶にない。ミスラに聞いたら答えが返ってくると思う。なんせあいつは、俺の祖母と共にカイネとアイネの面倒をずっとみていたからな」
「そっか……」
妖精界があるのならば、魔界もあって当然なのではないか。この話は確かジオから聞いた話だったと思うが、ではジオは誰から聞いたのか。
アシュリーは言っていた。諜報活動の為、人間界に妖精を送り出していると。ということは、妖精族は人間よりも遥かに魔族について詳しいのではないか。そう考えると、もしかしたらシオンがジオにぽろりと漏らした可能性もある。シオンは、人間界の乗っ取りを計画している妖精王の后じゃないか。情報をかなり持っていたと考えれば、シオンの魔力だけでなく、そのことがジオ経由で外に伝わり、更に人間界にいる魔族に伝わったら拙いと考えてもおかしくはない。
知り過ぎた仲間が敵に回ったら。――当然、危険過ぎる。シーゼルだって、味方だからいいが、あれが敵に回ったらと思うとおちおち寝ることも出来ないだろう。
「……うん、ありがとヴォルグ」
とりあえず、この話はここだけに留めておいた方がよさそうだ。
ジオは、シオンと結婚したらどうするつもりなんだろうか。あの深い森の中へと帰っていくのだろうか、それとも。
正直、あの森の家で二人きりは危険ではないだろうか。シオンが人間界に行ってしまったことがどれくらいの期間誤魔化せるのかはアシュリーの手腕ひとつに掛かっているが、そう何ヶ月も誤魔化せるものでもないだろう。なんせ王妃だし、しかも妖精王が寵愛していたもうひとりの王妃はとっくに人間界に逃げてしまっている。
尽く妻に逃げられたと知ったら、妖精王の為人は知らないが、まあ激高するんじゃないか。
アシュリーには、強力な婚約者がいるとかも言っていた記憶がある。あの時は魔力をがんがん吸い取られていて正直話半分にしか聞けなかったが、それももしかしたら父親である妖精王と戦うつもりでの人選なのではないか。
アシュリーが守ってくれている間は、シオンはきっと無事でいられる。だが、万が一アシュリーが破れたら。
その時は、妖精王の刺客がシオンを狙うのではないか。そしてあの森で魔法により襲われたら、きっと人間のジオはひとたまりもない。もし標的がシオンひとりだけだったとしても、あの森でシオンを失ったら、ジオは――。
「なあヴォルグ」
「なんだ」
この優しい獣人たちを、巻き込みたくはない。だけど同時に、ヒースの命を救ってくれた、あの不器用で優しい師匠の心が壊れていくところは見たくなかった。
「ジオとシオンを集落に住ませることって出来るか?」
「――ん?」
ヴォルグが不審そうな表情になったので、ジオが如何に鍛冶屋の腕がいいかの説明を始めたヒースだった。
次話は、書け次第投稿します。遅くても月曜日には……!




