昏倒後
カリカリ、と何かを削っている音が耳に不快で、ヒースは重い瞼をゆっくりと開ける。だが、半分も開いた気がしない。頭も重く、ついでに身体も地面にのめり込む様に重かった。身体中の力という力が失われ、起き上がれない。正にそんな状態だ。
何かを削る音は、暖炉の前に胡座をかいて座り込んでいる大きな背中の向こうから聞こえてきていた。パチパチと爆ぜる音と共に、赤い暖かな色が、黒っぽい耳を透かす様にユラユラと照らしている。
「何……してるんだ……?」
その背中に声を掛ける。ヒースの口から出た声は、自分で思っていた以上に弱々しいものだった。
「……全く、あの女には驚かされたぞ」
人が声を掛けた途端、いつもの様に苦虫を噛み潰した様な顔をしたヴォルグが、手に持っていた木の枝と小刀を床に置いて文句を言い始めた。
その形状を見る限り、どうも矢を削っていた様だ。手で掻き集めた木片を暖炉に投げ入れると、パッと火の粉が舞う。
「……あの、女?」
ヴォルグはそのまま這ってヒースの元までやって来ると、枕元で愚痴を言い始めた。
「あの女だ。お前の恋人とかいう赤髪の女」
「ああ、ニア? ニアが一体どうしたんだよ」
「どうもこうも……」
そういえばここはどこだろうと思ったら、どうもヒースはアンリの家に持ち込んだベッドの上に寝かされているらしい。
これまた重い頭を動かすと、反対側には通っている間に見慣れたアンリのベッドに薄っぺらいアンリが寝そべっていた。こちらはまだ起きていないらしく、毛布がゆっくりと上下に動いている。
アンリの上に見える窓の外はとっぷりと暮れており、ああ、接点に魔力を吸い尽くされ倒れたのか、とようやく理解した。
アンリが制御の足輪を外した状態でヒースと共にぶっ倒れてしまった為、力のあるヴォルグが呼ばれて二人をここまで運び入れたのだろう。
「ヴォルグ、あれから何時間経った?」
「お前は馬鹿か」
「なに」
いきなり馬鹿と言われては、勿論面白くない。ヒースがむっとすると、ヴォルグがベッドの縁に顎を乗せて恨めしそうにヒースを見た。
「お前はな、もう丸二日も寝てたんだ」
「え?」
身体の匂いを嗅ぐ。確かに、若干汗臭いかもしれない。そんなヒースの様子を、同じ様に鼻をスンスン揺らしながらヴォルグがしかめっ面で言った。
「お前は寝てたから分からないだろうが、あの後大変だったんだぞ」
若干口を尖らせ気味のヴォルグが説明したところによると。
無事シオンをこちらの世界に連れて来たジオだったが、実は結構ギリギリだったらしく、シオンが履いていた靴のつま先が削り取られたらしい。幸い身体はどこも問題はなかった様だが、その場にいた皆はひやりとしたそうだ。
そして、普段はゆっくりと閉じていく接点が今回だけ急に空間を剣で切るかの様な速度で切れたのには、ちゃんとした原因があった。
そもそも、この接点は弱い。
接点自体は頑丈な蒼鉱石で出来ており、反対側も同じ蒼鉱石の円盤だそうだが、蒼鉱石自体が元々魔力をあまり多量に蓄積出来る種類の鉱石ではない為、満月が上空にあり照らしている時でも、全ての時間接点を開いておけない仕様なのだそうだ。
これはカイネは知らされておらず、族長と次期族長となる者だけが知っている事実なのだという。道理で聞いていない筈だ。
アンリとヒースの魔力が尽きてその場に倒れ込むと、二人の魔力によって開かれていた接点は即座に閉じた。本当にぎりぎりだったらしい。
すると、ニアはその場にいた魔力の強い者からいきなり魔力を奪い始めた。
「さすがニア」
「さすがじゃない。皆戦々恐々としていたらしいぞ」
さもありなんである。
あの場にいた魔力が強い人物は、ザハリとシオンである。シオンはニアをよく知っているのですぐさまジオを連れ空に逃げようとしたが、ニアはそんなジオの足首を掴んで大してない魔力を強引に奪っていった。
それでもシオンが何とかジオと共に逃げると、ニアは次はザハリに狙いを定め、ザハリが炎魔法で防御するまで魔力を吸い続けた。
「何というか、ニアだなあ」
「おかしい。お前の恋人はおかし過ぎる」
「猪突猛進なんだよ」
ヴォルグの溜息は、深かった。
だが、まだヒースは目を覚さない。ニアは、更に訳が分からずぽやっとしていたカイネを捕まえて魔力を奪い始めたのだが。
「その瞬間、昏倒したそうだ」
「――え!?」
ヒースが血相を変えて起き上がろうとすると、腕に力が入らずそのままベッドの下に落ちそうになった。
「ヒース!」
「ぶ……っ」
咄嗟にヴォルグが受け止めてくれたからいいものの、そうでなければ顔面から床に突っ込んでいたところだ。
だが、今大事なのはそこじゃない。
「ニアが倒れたってどういうことだよ!?」
必死でヴォルグにしがみつきつつ問う。
「どうしてニアが!」
「落ち着けヒース」
「落ち着いていられるか!」
そもそもヴォルグに落ち着けと言われること自体に違和感があった。ヴォルグはちょっと気を抜くとすぐにヒースのことを掴んだり絞め上げたり荷物の様に運んだりと散々した癖に、人のこととなるとこうだ。
だが、ふとリオを守った時のことを思い出した。そうだ、あの時ヴォルグは、暴れたかっただろうに必死で堪えていた。大事なカイネのことなのに、カイネの気持ちを優先して。
ふ、と身体の力が抜けた。
「……そうだ、焦ったところで何も変わらん」
「……うん」
ヴォルグは、元は喧嘩っ早い性格なのかもしれない。だが、次期族長としての自覚を持つよう常に言われている。ヒース自身はそんな立場になることはまあないだろうが、ただ、物事を冷静に見極めないといけないという立場に段々と追いやられている認識はあった。
ニアのことは心配だ。だけど、ヴォルグがこうして落ち着いて皮肉を言っているということは、ニアは無事なのだ。焦っても、何ひとつ得はない。
「――ふん、お前のそういうところは悪くない」
ヴォルグが、ニヤリと笑った。滅多に見ることのできないヴォルグの笑みだが、回数を追う毎に自然になってきている様にも見える。
「……聞かせてくれ。それで、ニアは?」
ヒースがヴォルグに支えられつつ姿勢を直すと、ヴォルグが説明を続けた。
「お前とお前の恋人がぶっ倒れたことで、あの鹿が騒いでな」
あの鹿。勿論、クリフのことだ。
「カイネには随分と懐いている様なのでカイネに面倒を見させていたら、カイネを連れて狩りに行ってしまった」
「クリフが? だってクリフは鹿だぞ?」
ヒースが驚いて聞き返すと、ヴォルグが重々しく頷いた。
「そうだ。鹿であるあいつが、自分の身を守る以外の目的の為に他の生き物の命を奪うことを選んだ。なんでも、お前とあの鹿には絆があるらしいな」
ヴォルグの癖に、随分と詳しい。クリフは初めて会ったカイネにも最初から懐いていたので、もしかしたら獣人は人間よりも遥かに近しい馴染みやすい存在なのだろうか。
「ああ。俺の背中にできた傷は、どうもクリフと繋がっているみたいだよ」
ヒースが答えると、ヴォルグが唸った。
「俺には魔法だの絆だのはよく分からんが、あの鹿はお前が倒れてすぐに騒ぎ出した。一緒にいた俺が不安に思うほどにな。それもその傷の絆とやらの所為かもしれんな」
ということは、クリフはヒースの魔力が空になった時、危険を察知したのだ。肺を刺されて死にかけた時は特に騒がなかった様なので、そう考えるとヒースとクリフは何らかの魔力の絆で繋がっているということにならないか。
ヒースの魔力が尽きかけたことで、その繋がりが絶たれようとした。それでクリフは不安になって、それで狩りに出たのか。
ヒースは、ゆっくりと重い頭を上げる。横に寝ているアンリよりも先に起きられたのは、ニアが回復させようとしてくれたお陰もあるだろう。だが、倒れてから二日も経っているということは、クリフが何かの命を吸い取ってヒースに流してくれたからではないか。
「クリフとニアに会いたい」
ヒースがしっかりと告げると、ヴォルグはこくんと少し嬉しそうに口角を上げたのだった。
次回は、……頑張ります!




