恋人
アンリに何とか食事を取らせると、腹がくちくなり眠くなったのだろう。子供みたいに丸まると、スウスウ寝息を立てて寝てしまった。
「ヒース、アンリ様はどうなった?」
家の外から顔だけ中に突っ込んでニアが尋ねてきたので、急いで食器をまとめる。アンリに布団を掛け、「また来るから」と声を掛けてニアの元へと走った。
「大丈夫。ご飯は全部食べたよ」
「本当!? よかった! 昨日までちっとも食べてくれなくて困ってたの」
「次もまた俺が来るから、ニアは食事の支度が出来たら俺を呼びにきてくれるか?」
間違っても、ニアがアンリにあーんをする事態など避けなければならない。アンリの魔力が回復するにつれ、その効果も強力になっていくのだから。
いくら制御魔具を身に付けているからといって、さきほどのアンリの話だと、ニアとアンリの属性は真逆だから互いに影響を及ぼし易い。
もしかしたら、アンリが極限まで魔力を吸い尽くされた理由のひとつに、そのことも関係しているかもしれなかった。
「ヒースは忙しいのに」
配膳のみだと、城仕えが身に染み付いているニアだ。不服なのだろう。だが、ここだけはどうしても譲れなかった。
「駄目」
「何でよ」
ニアは、どうも緩いのだ。口では強気なことばかり言って猪突猛進で突き進むが、あまり深く考えている様には思えなかった。元が楽観主義なのかもしれない。
「アンリが治ってきたらアンリに惚れちゃうだろ」
「ええ? 制御腕輪があるから大丈夫よ」
「駄目」
奴隷時代は物事を深く考えることなどしてこなかったヒースではあるが、奴隷生活から解放され、ジオやハンから様々な話を聞くにつれ、段々と物事を深掘りして考えることが出来る様になりつつあった。
その大部分は、恐らくは無意識に使っていた魔力で相手の感情を読み取り、知らない間に情報を補填していたのだと今は思う。だから、相手の感情に沿った意見をヒースも持っている気がしていた。
特にハンから受けた影響は大きい。元々ヒースに魔族を憎むという気持ちがそこまでなかった所為もあるだろうが、皆と手を取っていけないかという考えは、魔力が他の人間よりも強いハンの影響を色濃く受け継いでいるからの可能性があった。
ハンはいい。ハンの考えは、冷静に考えてもヒースも賛成だからだ。ここの集落の人たちは皆優しいし、アイリーンのお陰は多分にあるだろうが、この戦時下だというのに人間への偏見が少ない様に見える。
元々この場所が人間と魔族の国の境界線に位置していることで、魔族の国に住む魔族よりも人間を知っているのだろう。未知は怖いが、知れば怖くないものは沢山ある。ヴォルグだって、知ったら最初ほど怖くはなくなった。時折力任せになんとかしようとするのだけは相変わらず慣れなかったが。
ニアの吸収の効果をヒースが存分に扱えているのも、属性が相反する所為なのかもしれないなとふと思った。
「ヒースは心配性ね」
そう言って、くすっと笑う。笑っている場合ではない。
ニアは鈍感なのだ。ここまで言っても分かっていない。
帰り道の森の中。辺りには誰もいない。ここのところ、あまりにもばたついていてニアは忘れてしまっているんじゃないかと不安になった。
今なら、誰にも邪魔されずに言える。行きは不安で伝える気はなかったが、アンリに惚れる危険性を鑑みると行動は早めの方がいい。
ヒースは、再度伝えることにした。
「ニア」
「うん?」
「ニアは、俺がニアのことが好きだって言ったこと、忘れてない?」
ニアの身体が、明らかに動揺した風にびくっと反応する。これはきっと、今この状況でそれを言われるとは全く予想していなかったに違いない。制御腕輪の所為だろう、相変わらずニアの感情は一切伝わってこないが、顔を見ればワタワタしているのは分かった。
「わっわっわわわ忘れてないよっ」
「なかったことにしようとしてない?」
「しっしてないしてないっ」
前にきちんとニアのことが好きだと伝えてから、ヨハン隊の中で反乱は起こるし怪我人は続出するし、色恋沙汰に注力する余力がニアになかったことは理解出来る。ヒースははっきりとニアへの好意を認識しているからあわよくばキスしたり抱き締めようと虎視眈々とその機会を狙っているが、ニアはそうではない。逃げもしないところを見ると、やはりどうもそこまで意識されていないのか。
年下の辛いところは、こういうところかもしれなかった。年齢差だけはどうしようもない。後はヒースの精神年齢がニアを超すしかないのだろうか。
ボソボソと、ニアが言いにくそうに真っ赤な顔をしてチラチラとこちらを見る。
「そ、そうじゃないんだけど……正直恋愛をしたことがないから、好きとかよく分からないし……」
「今まで、ひとりも?」
「……だって、仕事だけで精一杯だったし」
なるほど。以前ジオに恋心を抱いているんじゃないかと勘ぐった時はあれはどうも父親像を重ねていた様だったし、妖精界は相当男性の数が少ない様だから、そもそも恋愛対象となる若い男が近くにいなかった可能性もある。恋愛対象がいなければ、恋なんてしようがない。正にヒースの奴隷時代がそのいい例だったので、気持ちはよく分かった。
「……だから、ヒースは可愛いけど、その感情がそういうものなのか分からないっていうか……」
「え? 可愛い?」
まさかその単語が出てくるとは思わなかった。ヒースは身体はそれなりにがっしりしてきているし、ニアのことだって頑張って守ってきた筈だ。それが、――可愛い?
ニアが、照れくさそうに続ける。
「だ、だって、何でも一所懸命だし、全部に必死だし」
「え、俺必死感出てた?」
「うん」
そこは即答だった。そんなに必死だったか。でもそうかもしれない。手抜きをする場所なんてどこにもなかったし、でもそれはこの厳しい世界で生きている人間には共通することだと思うが。
それはつまり、ヒースがニアの中では全く余裕のない男認定をされているということだろうか。ということは、子供っぽい。子供っぽいから可愛い。……可愛いは好きになり得るのだろうか。
ニアの感情は、ニアにしか分からない。分からなければ、尋ねるのが一番だ。
「可愛いものは好きなのか?」
「可愛いもの? そりゃあ好きよ」
「じゃあニアは俺のことが好きなんだよ」
「へ?」
言い切ってみた。この際、可愛いと思われていようがいい。好意に近いものであれば、それがどんな種類のものでも構わない。
ニアは一瞬何を言われているのか分からなくなったのか、照れた風もなくキョトンとしている。これは分かってないな、そう思い、ヒースはもう一度伝えることにした。
「ニアは、俺が可愛いと思っている。可愛いのは好き。だったら俺のことも好きなんだ」
「――ひっ!?」
ここまで言われ、ようやく理解したのだろう。面白いくらいに顔が真っ赤になったと思うと、紺色の夜空の様な瞳が右へ左へ下へ上へと泳ぎまくり、やがてゆっくりとヒースの方を向いた。
「そう……なの?」
「そうだと思うよ」
いや、正直なところ確証は一切ない。ないが、そうかもしれないと思わせて触れている時間が増えれば、恋愛的な意味で好きになってくれるのではないかと思ったのだ。ヒースだって、始めはただニアの禁断の果実に触れたいと思っていただけだったのに、気が付けば心に触れてこんなにも好きになってしまったのだから。
「だからニア」
「ひゃ、ひゃいっ」
ニアの言動がおかしいのは始めからだ。おかしいけど、それが可愛い。綺麗で愛でているだけの存在など、ヒースにとっては何の価値もない。
一緒に笑って怒って喧嘩して仲直りして、もっと互いをよく知ってもっと好きになっていく。相手の嫌のこともこっちの嫌なことも分かった上で、それでも隣にいることを選んでもらいたい。
ヒースの魔力の影響は、ヒースだって怖い。だけど、鈍感なニアならあんまりそれも分からないんじゃないかと思えた。
察し過ぎるヒースに、あまり察しないニア。
ああ、だからニアが好きになったのかな。ニアの隣にいると、考え過ぎなくていい。自然な自分でいることが出来る。だからニアの隣がいいのかな。
そう思った。
「ニア、俺の恋人になって。始めは少しずつでいいから」
「す、少しずつ? 何がっ!?」
「なあ、恋人になってくれる?」
歩を止め、ニアの肩を抱く。ニアの大きな瞳が、焦った様にヒースを見上げていた。
「ゆっくりでいいから」
「……よく、分かってないよ?」
ああ、とじんわりと心が温かくなってくる。これは肯定だ。嫌だと思われていない証拠だ。
ヒースは、心からの笑顔を浮かべて頷く。
「うん、俺もよく分かってないから、一緒にゆっくり恋人になっていこうよ」
「ヒース……」
ニアが、こそばゆそうに笑った。嬉しくて嬉しくて、ヒースは思わずニアにぎゅっとしがみつく様に抱き締める。すると、身体を強張らせていたニアがゆっくりとヒースの背中に腕を回し、恐る恐るといった体で抱き締め返してくれた。
「……うん」
やった、やった、とうとう了承をもらうことが出来た。ヒースはあまりにも嬉しくて飛び上がりそうだったが、ゆっくり恋人になっていくとこの口で言ったばかりだ。焦らず、ニアが追いついてくれるのをこれからじっくりと隣で待とう。
――シーゼルに恋愛のあれこれを聞かないとだな。
口端を小さく上げ、ヒースは手に入れたばかりの腕の中の可愛い恋人の存在を噛み締めたのだった。
次話は来週月曜日には……!




