アンリとヒース
アンリの家に行き玄関のドアから顔を覗かせると、相変わらず中には変な匂いが立ち込めている。山積みにされた後に雪崩が起きていたであろう本は、誰かが片付けたのだろう。以前来た時よりは歩ける状態になっていた。
中は暗く、暖炉の火は点いておらず、肌寒い。曲りなりにも王子様がこんな対応でいいのかとちょっと思ってしまった。状況的に考えれば匿ってもらっている立場だから、贅沢は言えないのだろうが。
「アンリ?」
窓際にあるベッドに、黒い塊が見えた。恐らくはあれがアンリだろう。
「入るよ」
「……ああ、ヒースか」
目を凝らすと、床には制御用の足輪が投げ捨てられている。ヒースはニアに目配せするとその場に待機させ、自分だけ中へと入って行った。
アンリの魔力は何故かヒースには利かないが、ニアは制御腕輪で何とかなっているだけに過ぎない。不用心に近寄らせ、万が一アンリの魔力にあてられたら、あの時のハンの様にアンリに抱きついてしまうかもしれない。
そう考えただけで、絶対嫌だという気持ちが湧き起こった。
これまでの人生で、人が傷付き血を流すこと以外で、ここまで強烈に人の取る行動が嫌だと思ったことはなかった。
所詮、人は人、自分は自分。人が幸せになればいいとは思っても、人を嫌だと思いはしなかった。
嫌なら見なければいい。いないものとすればいい。そうすれば、ヒースの中からその人物は消えていなくなり存在は希薄となる。
逃げられない閉じられた空間で生活していくには、それが自分の心を守る術だったからだろうと今なら分かる。だからといって、今更なかなか人を嫌うことは出来ないし、アンリを嫌いたい訳でもない。
だけど、やっぱりこの人はあまりにも危険過ぎた。ヒースが大事に思い自分のものにしたいと密かに願っているニアが、本人の意思に関係なくアンリに惚れるなど、アンリがいい人だろうか絶対に嫌だ。
となれば、物理的にニアが近付かなければいいのだ。
かといって毎回ニアを捕まえてアンリの食事を代わりに運んでいてはそろそろザハリとジオに叱られそうだし、となれば手っ取り早いのはアンリが早く回復することだろう。
「ごはん、食べてる?」
「……」
塊に近付くと、ゆっくりとだるそうに息をしているのが布団の上から見てとれた。
布団の隙間から覗くアンリの金色の瞳は、弱々しい光を映している。肌は以前よりも青白く、前にニアが妖精族にとって魔力は大事なのだと言っていた意味がようやく腑に落ちた。正に生きる力を奪われると同義なのだろう。
ベッドに腰掛け、布団を少しまくりアンリの顔を上から覗いた。端正だがやせ細った顔は、薄幸の王子さまといった雰囲気が満載だが、本来この人はそんなやわな玉ではない。大して魔力を持たない獣人の、しかもあのヴォルグをメロメロにしてこの場所を確保させたその手腕は、見事という他なかった。
「食べなくちゃ駄目だよ」
「……面倒くさい」
「食べないと治らないよ」
アンリの魔力を直接吸い取ったのはニアだが、それを他の人間分も使ったのはヒースだ。その所為だろう、若干の罪悪感がどうしても拭えない。
アンリは何を考えているのか相変わらず読めない金色の瞳をヒースに向けると、薄っすらと微笑んだ。
「……なんだかこういう風に心配されたりするの、久々だなあ」
別にアンリを特別心配している訳ではなかったが、考えてみれば制御足輪を二本身につけていてもある程度周りに影響を及ぼしてしまう様だ。種族として魔力が多い妖精族の、しかもとびきり魔力が多そうな王族として妖精界で過ごしてきたアンリにとって、自身の魔力の影響を受けない人物からのねぎらいの言葉は実は非常に貴重なものだったのかもしれない。
「久々って、どれくらいなんだ?」
だが、それでも寄り添ってもらった経験はあるのだ。でなければ、こういった言葉は出てこない。
「師匠はいつも僕の心配をしてくれていたよ」
師匠。ということは、ニアのお父さんだ。そうとなれば、大分昔の話だろう。なんせニアが小さい頃に亡くなったと聞いている。そう考えると、アンリは一体いくつなのだろうか。まだ若そうに見えるが、もしかしてそこそこいっているのだろうか。
「師匠と精霊の森に入ると、僕たちは似た者同士でお互いつい夢中になってバラバラに迷子になっちゃってね」
バラバラに迷子。最悪なやつだ。
だが、それを語るアンリの口調は柔らかい。
「気付いた師匠がへたばっている僕を見つけて大慌てになるのがいつも可笑しくて」
目元も柔らかく弧を描いているのを見ると、本当に大好きな人だったのだろう。ニアの話では事故で亡くなってしまったとのことだが、一体どういった事故だったのだろうか。一緒に研究をしていたのなら、もしかしたらこの人はその時隣にいた可能性もある。だが、さすがに無遠慮に尋ねるのは憚られた。
「ヒースみたいに淡々とした人でね。ちょっと似てる」
ふふ、と弱々しく笑うアンリを見ていたら、ニアを近付けまいと張り切っていた自分がなんだか情けなく思えてきた。ヒース自体は淡々としている気は全くなかったが、どうやらアンリにはそう見えているらしい。
「とにかく食べようよ」
あまりここに長居している訳にもいかないし、さっきからニアが様子を窺う様に入口からこちらをチラチラと見ているので、いつあの猪突猛進ぶりを発揮してここに来てしまうか分かったものではない。
「うう……」
ヒースの手の中にある料理は、ミスラが作ってくれた味がしっかりとついたスープだ。その中に芋を練った物が入っており、ここのところミスラの料理にすっかり心を奪われていたヒースが代わりに食べてしまいたいくらいである。小鍋の蓋を開けると、美味しそうな香りが辺りに漂い、ヒースは思わず鼻をスンスンと鳴らした。
「美味しそうだよ」
テーブルの上に小鍋を置いて器に掬い取ると、アンリがヒースを見上げて目で何かを訴え始めた。まさか嘘だろう。男にそんなことしたくない。そう思ったが、明らかにアンリはそれを求めている様に思えた。
ふう、と溜息をつく。
「アンリ、少し起き上がれる?」
「起こして」
また溜息をつきたくなったが、アンリがこうなってしまった原因はヒースにある。布団をまくると、相変わらずボサボサに絡んだ細い金髪が出てきた。もたれかかれる様に枕を重ね、アンリの脇を持ってずるずると引きずり出す。思った以上に細くて軽くて、正直かなり驚いた。先日首にしがみついて空を飛んでいった時は気付かなかったが、ガリガリじゃないか。
「ヒースって不思議だねえ」
当の本人はそんな呑気なことを言っているが、これは俄然心配になってきた。いくらなんでも痩せすぎだ。
「ほら、食べさせてほしいんでしょ?」
器にスプーンを突っ込みスープを掬いあげると、アンリが実に嬉しそうな顔をした。
「僕のこと、言わないでも分かっちゃうもんなあ。本当面白い魔力だよね。なのに僕の魔力の影響は受けない。もしかすると、僕と同じ属性なのかもなあ」
「同じ属性?」
ふう、ふう、とスープの粗熱を冷ましてやると、アンリの口元にスプーンを運ぶ。アンリはそれを熱そうに啜ると、暫く口の中で味わう様にもぐもぐと咀嚼した後、ごくんと呑み込んだ。
「僕の魔力は光の属性なんだ。同じ属性同士は反発し合いやすいから、影響は受けにくいもんなんだよ」
「へえ」
アンリはおかわりが欲しいとばかりにこちらを見てくるので、なんでこんなことをしているんだろうかと内心訝しげに思いながらも、ヒースは次のひと口をアンリの口に放り込むのだった。
次話は書けたら投稿します!




