ニアと二人
会合が終わった後、カイネの助言に従いアンリに会おうかと思っていたのだが、叶わなかった。
思ったよりも魔力の回復には時間がかかるのか、アンリはヴォルグに家に連れて行かれてそのまま寝込んでしまったらしい。暫くは足輪も外した状態でないと駄目だろうということで、制御腕輪を持っているニアが食べ物だけをさっと置いていく役目を仰せつかった。
「俺も一緒に行く」
ニアはまだこの集落には慣れていない。ヒースとて数日しか滞在していなかったが、若干先輩ではある。それに、こうでもしないとニアと過ごす時間を確保することが難しくなっていた。
「ヒースは何で大丈夫なのかな?」
「分かんないけど、アンリと居ても別に何も感じないな」
「何か魔力の属性に関する秘密がありそうね……」
ぶつくさと足許を見ながらひとりの世界に入っていったニアを、幸せな想いで見下ろす。ニアの燃える様な赤い髪もずっと恋しかったし、ニアの夜空の様な濃紺の様な瞳もずっとずっと見つめたくて飢えていた。ニアはどうなのかな、そう考え、まだ返事は急がなくていいと言ってしまった自分をちょっと恨む。ニアはあれからも態度は大して変わらず、嬉しい素振りも嫌な素振りも見せない。もしかして、ヒースが年下だから可愛い弟を見守る姉な気分でいるんじゃないか。どうもそんな気がしてならなかったが、ここは焦りは禁物だと自分にひたすら言い聞かせた。
「ニア、ミスラの所はどう? 快適?」
「ん? ああ、凄くよくしてもらってる」
「そっか」
ニアは、カイラと共にミスラの家に寝泊まりさせてもらうことになった。同じカイネの家でいいじゃないかとカイネに文句を言ったところ、男女一緒の家に寝泊まり出来るのは親族だけだと叱られたのだ。あの家にはヴォルグもいるじゃないかと更に文句を言ったところ、ヴォルグは許嫁のアイネの部屋に泊まることになったらしい。以前のカイネから考えたらあり得ない内容だったが、「ま、まあ、僕にそういうあれじゃなかったのが分かったから、まあいいんだ」とちょっと顔を赤らめて言っていたのでそれ以上は何も言うまいと黙ることにした。
思わせぶりなヴォルグの態度も問題だったが、それを自分への恋心だと勘違いしていたカイネにも反省点はあるのだろう。問題はヴォルグの許嫁であるアイネですらそう思い込んでしまっていることだが。
それにしても、獣人族の家で獣人と妖精族と人間がひとつ屋根の下に暮らしているなど、考えたらとんでもない状況だ。だが、そこは女同士だからなのか、それともミスラもニアも元々あまりそういうことは気にしない質の様でカイラは孫が混血のカイネとアイネだからか、女同士和気あいあいと楽しくやっているらしい。「これが俺の理想の縮図なんだよなあ」と、別れの挨拶をしに皆の所に顔を見せに行っていたハンが、感慨深げに呟いていた。
いつの世も覇権を望むのは男ばかりなのかもしれないな、と何だか小難しいことを言いながら、ハンはにこやかにナスコ班の人間を連れて谷の外へと戻って行った。魔鳥のカルも一緒に出ていったので、クリフはようやく落ち着いて昼寝を決め込んでいる。やはり野生動物と魔物は反りが合わないらしい。
「ニアは体調は全く問題ないのか?」
「うん、ちっとも」
「じゃあよかった」
ニアを介してアンリからヒースに大量の魔力が流れ込んで行った為、何かしらの影響があるかもと思ったが、ヒースがそれを更に表へと流したからか、ニアは「何か流れていった」という認識しかなく、あっけらかんとしたものだった。
そして、自国の王子様について、こんなことを言う。
「アンリ様はねえ、昔から自分にあまり興味がないというか、食事をきちんと取ろうとか身体を鍛えようとかがない人なの」
「頬もこけてるもんな」
「他に興味があることを見つけると、それにまっしぐらになっちゃうのよね。お父さんもそこはいつも注意してたんだけど、根っからの研究者って感じかな」
どちらかと言わなくても変態研究者に思えたが、一応ニアに気を遣って触れるのはやめておいた。
集落の子供たちが、ヒースたちの横を駆け抜けていく。穏やかな集落の光景は、十年前のヒースが住んでいた町を思い起こさせた。記憶から抜けてていた細かな記憶は、少しずつであったがヒースの中に戻ってき始めていたが、その詳細はまだ誰にも語ってはいない。
ヒースの魔力が顕著になってきたのは、ヒースが段々と自分というものを認識出来る様になってきた頃からだったかと思う。勿論誰にもこれが魔力の所為だなどという認識はなかった筈だが、思えば母が自分の顔を見て変な顔をし始めたのは、魔族の襲撃の一年、いや二年前ほどからだっただろうか。
ヒースはそのおっとりとした性格からか、喋り始めが遅かったと父が言っていた記憶がある。三歳を過ぎようやくゆったりと話し始めたそうで、それまで散々心配をしていた母はそれからというもの、いつもヒースとのお喋りを楽しんでいたという。
泣き止むまで母がとんとんしてくれた優しい記憶も、その頃のものだろう。段々と抱っこするのも重くなってきた頃に、ヒースが泣いていると抱き寄せてくれた。だが、もうその頃は母の態度はそれまでのものと違っていたと思う。思い出すのは、母の笑顔とは裏腹な怒り、恐怖の感情だ。流れてくる母の感情に気持ちを添わせると、始めの頃は母はただ不思議そうな顔をしていただけだった。だが、それが度重なる内に、段々とヒースを突き放す様になった。
子供に、訳が分かる筈がない。だから、ヒースはまた母に好かれようと必死で母に寄り添おうとした。それが逆効果だとも思わずに。「近寄らないで」そう言われたのは、いくつの時だっただろうか。何度か傍に行って甘えようとし、それが叶わず、――出来なくなった。
その頃から、父と母の喧嘩が増えた。近寄らないでと言われても、同じ家に住んでいるのだ、近付く機会は山の様にある。そして近付き過ぎると、母の感情に呑まれた。母はきっと、魔力が強い方だったのだろう。だが、父はそうではなかった。だから父は、ヒースの行動が母の愛情に飢えている所為だと認識し始めた。
全てが悪循環だった。母の魔力が少なければ、ヒースはずっと母に愛されたままあの時を迎えたのだろう。そうしたら、竜人族はヒースに封印を施すことなく、恐らくはその魔力の強さからヒースは命を落としていたことだろう。
どちらがよかったのか、分からない。でももしそうだったなら、ヒースは今ここにいる誰とも出会ってはいなかっただろう。
「ニア」
「うん?」
「手、繋いでいいか?」
「ひっ」
また例の「ひ」が出た。この気持ちは一体何だろうか。欠けていた記憶と共にヒースに蘇ってきたのは、様々な感情の記憶の断片だった。追い縋っても化け物を見る様な目で見られることの悲しみと混乱。一番強い感情はどれだっただろうか。
「――ヒース? どうしたの」
「何でもないよ」
何も考えずに生きている奴隷時代は、少なくとも感じなかった。でも、今はその正体を知っている。
――寂しい、だ。
「ヒース、何でもなくない」
ニアはそう言うと、ヒースの手をぎゅっと握ってきた。急にどうしたんだろうとヒースが驚いてニアを見ると、ニアが泣きそうな顔になっているじゃないか。
「ニア?」
「何でもなくない顔して、何でもないなんて言わないで」
自分は一体どんな顔をしていたのだろうか。分からないながらも、殆ど何も伝わってこないニアの手からは、少なくとも優しさと温かさが伝わってきていた。
次話は目指せ来週月曜日です。




