師弟
少し遠くで、男たちの話し声がする。低い落ち着いたその声色は、数ヶ月毎日聞き続けたあの人のものだった。
パチ、と目を開けると、少し離れた場所にハンと話しているのは、案の定ヒースの師匠のジオだ。
「……ジオ」
ヒースが声を掛けると、ジオがパッと顔を上げ、一瞬怒った表情になると、今度はハッとして俯く。やがてゆっくりと顔を再度ヒースに向けると、ガニ股で歩いてきた。横になっているヒースの隣にどかっと音を立てて胡座で座り込む。ふん、と鼻息も荒く、自分の弟子を見下ろした。
「……馬鹿者」
唸るように言われた。眉間に寄る皺が、何だかとても懐かしい。
「うん、ごめん」
「一体何考えてやがるんだ。自分から剣に突っ込むなんで、馬鹿のやることだぞ」
話はハンから聞かされたのか。本当はぽかりと叩きたいのだろうが、さっきまで死にかけていたヒースを叩くのはさすがに出来ないと思ったのだろう。自分の拳を手のひらで包みながら、ジオはヒースの顔を覗き込んでいた。
「うん、考えなかった。ごめんねジオ」
ジオは口が悪い。すこぶる悪い。だが、とても心が温かい人だ。それが分かっていたのに、ここにヒースを連れてくる原因となったジオが、ヒースが怪我をして何と思うかまで考えなかったヒースに落ち度がある。
「でも、生きてるよ。だから大丈夫」
「――お前は!」
ぐわっと拳を振り上げ、そしてそれをゆっくりと自分に寄せた。
「もう二度とこんなことするな」
「うん」
ジオの愛情は分かりやすい。顔に出ないだけで、言葉にも態度にも物凄く出る。
「何笑ってんだ」
「いや、別に」
やっぱりこいつ一発殴ってやろうか、なんてブツブツ口の中で言っているが、ジオがほっとしたのは見て分かった。自分には心配してくれる人がこんなにもいる、その事実が単純に嬉しかった。
「それで、ティアンは見つかったの?」
奥で師弟の二人を微笑ましげに眺めていたハンに尋ねると、ハンがくすりと笑いながら教えてくれた。
「何でもな、ザハリと採掘に行っていたらしいぞ」
「採掘? 何でこんな時に」
「採掘は採掘でも、蒼鉱石じゃないやつでな」
「?」
ザハリで思い出した。ザハリに借りた蒼鉱石の剣を、先程着替える時にどこかに置いた筈だ。キョロキョロと辺りを見回すと、あった。血だらけの服の横に置きっ放しにしていた。
慌てて剣を手に取ると、不思議と力が湧き起こってくる。正直まだふらついていたが、これを身に付けていれば何とかなりそうだ。ヒースは腰紐の間に剣を鞘ごと差し込むと、立ち上がった。ふらつかない。さすがは蒼鉱石の剣だった。
「ま、詳細はザハリから聞いてくれ。多分言いたくてウズウズしてるからな」
「? 分かった」
よいしょ、とハンも立ち上がる。
「ヒースがよく寝てたから、上で皆待っててくれている」
「え!? 早く言ってよ!」
ティアンが我慢強い獣人なのかどうかまでは分からないが、族長を待たせていい訳がないだろう。ヒースが焦ると、ハンがまあまあ、とヒースを落ち着かせる。
「いやな、よく事情が分からないんだが、先にカイネの父さんと、えーと、ヴォルグだっけ? あの人が話し合うことになってな。だからまあ、急がなくていい」
一体何を話したのだろう。何事もなく話し合いは終わったのだろうか。抑えの利かない二人が話し合うなど、不安しかなかった。
それにティアンには、ヒースが勘違いをして「ヴォルグはカイネが好き」だと喋ってしまっている。ヴォルグのカイネに対する感情がそもそも本人も何かよく分かっていなかったことに一番の問題があるだろうが、それにしてもあれは余計だったと思う。真っ先にそこのところはティアンに話した方がいいのではないか、そう考えていると。
「ヒース、起きたか」
階段と部屋の境にある布をまくる大きな手があった。ヴォルグだ。そしてその肩が、大きく破かれている。よく見ると頬には青痣、口の端は切れて血が出ていた。こんなことがヴォルグに出来るのは、勿論ティアンしかいない。どうやら遅かったらしい。
「あ――……なんかごめん、ティアン」
「ごめんということは、ティアンに誤解させたのはお前か」
「うん、正直に謝る。ごめんね」
「全く……」
はあー、と深い溜息をつかれ、ヒースは何と言っていいか分からなくなった。
「始めはティアンが何を言っているのか分からなくて苦労した」
「……ちなみに何て言われたの?」
「お前はカイネとアイネのどちらを娶りたいのか、と」
ブッと思わず吹くと、じと、とヴォルグに睨まれる。カイネだってずっと勘違いしていたのだ、ここはカイネとヒース両方の所為ということにしてもらおう。でないと怖すぎる。
「まあ、お前が道筋を正してくれたお陰で、俺も自分の気持ちがそういった好意でないことが理解出来た。だから答えたぞ。俺はアイネを娶るつもりだと」
それでどうしてそういった傷を負うことになったのか、経緯を知りたい様な知りたくない様なとヒースは微妙な笑みを返す。すると、ヴォルグはずい、とヒースの前にやってくると、やはりいつもの様にヒースをひょいと肩に担ぎ上げ、廊下の階段へと向かい始めた。やる前に説明はしない。それがヴォルグだ。
「上まで連れて行ってやる。後の計画は、俺ではうまく説明が出来ん。カイネは分かってないし、全てを把握しているのが部外者のお前だけなのは一体どういうことだ」
「それだけ集落の皆の会話が足りてないってことでしょ」
「お前は……!」
担ぎ上げられたヒースを見て、ジオとハンがぎょっとした顔になっている。ヒースがヴォルグの肩の上から二人ににこりと笑いかけると、ようやく安心した様にヴォルグの後をついて来た。
何故人間の中でも一番ひよっこのヒースが獣人族の内情に詳しくなってしまったのか。自分でも不思議だったが、こればかりはめぐり合わせとしか言いようがない。
「とにかくこれまでのことと、今後のことを集まった全員に説明してくれ」
「分かったよ。早くアイネを迎えに行ってやらないと、今度こそ愛想を尽かされちゃうかもだしね」
嫌味のひとつでも言ってやろうとヒースがそう言うと、ヴォルグの耳がシュンと項垂れてしまった。
「……俺は馬鹿だな。自分の気持ちもよく分かっていなくて、許嫁のアイネを怒らせて」
「取り返しがつかなくなる前でよかったと思いなよ」
「お前は馬鹿なのか楽観的なのか、分からん」
皆、揃ってヒースのことを馬鹿馬鹿言う。失礼にも程があるが、確かに楽観的と言われればそうなのかも知れない。
ヒースは、これまで先のことなど何も考えずに生きてきた。何も見えない未来、どうなるか分からない明日。
だが、そんな日常の中にも嬉しいことや楽しいことはあった。ジェフとの馬鹿話に、奴隷仲間の楽しい話。悲観して生きているより、瞬間を楽しく生きていこうと思えたのは、きっとあの竜神族の封印のお陰だ。
母のあの記憶がヒースの中に残ったままだったら、きっと幼いヒースは拠り所をなくし、ジェフの好意も真っ直ぐに受け取れずに早死していたかもしれない。
だが、あの封印があったから、ヒースは過去を振り返らずに済んだ。その時その時を精一杯生きることが当たり前だと思えた。
いつか、あの竜人に会える日が来るだろうか。彼は一体どういうつもりでヒースに慈悲を掛けたのかと、尋ねる機会は訪れるだろうか。
「ヴォルグ、俺は馬鹿だよ」
「とうとう認めたか」
くす、とヒースは笑う。
「馬鹿だよ。だって、こんなことがあってもまだ、魔族とも妖精族ともうまくやっていきたいなって思ってるから」
「……ふん」
ヴォルグのそれには、ほんの少しだけ優しい笑いが含まれている様に聞こえた。
次話は来週月曜日投稿予定です。




