枷
目が覚めた後は暫くは身動きが取れなかったが、それも暫くすると段々と動ける様になってきた。
アンリの魔力はどの程度経てば回復するのかは分からなかったが、そう簡単に回復するものではないのだろう。ヒースが起き上がれる様になっても、アンリは横で寝転んだままだった。
「アンリ様、ここで寝てたら風邪引きますよ」
ニアがそう言ったが、そういう問題じゃない気がした。だが、さすがはニア、優しい心遣いだ。
「きつい……」
アンリはそう言うと、目元を腕で隠してしまった。どうやらここで体力が回復するまで休むつもりらしい。すると、ボソリとニアに言った。
「ニア、頼むから早く腕輪付けてくれないか……? 僕、さっきから魔力を吸われ続けているんだけど」
「あ!」
アンリの言葉に、ニアは今ようやく気付いたとばかりに慌てて床に転がる腕輪を拾う。ぱっとその細い腕にはめると、アンリがほっとした様に溜息をついた。
「にしても、何故この場にいる僕だけがニアから魔力を吸われるんだろう……?」
そして、ブツブツと独り言を始める。やはりこの妖精族の王子様は、謎を解明するのが好きらしい。考え込んでしまったアンリは、そのまま考えさせておいても問題ないだろう。ヒースは、ニアに尋ねた。
「ニア、皆はどこにいるんだ? なんで俺達以外、誰もいないんだ?」
ヒースを誰が運び込んだかは分からないが、恐らく体力的に考えてヴォルグ辺りだろうと検討を付けていた。怪我をしていたカイネもシーゼルもここにはいないが、先程届いた感覚はあった。だから、比較的近くにいるに違いない。
「近くにいたら、私が皆吸い取っちゃうでしょ」
ニアは、ちょっと照れくさそうにそう言った。なるほど。早い話が、家主も皆、追い出してしまったらしい。
「皆はどっちに?」
「ヨハンがシーゼルを連れて、大きな獣人がカイネって人を連れてそれぞれ外に出て行ったわよ」
「外……」
大きな獣人というのは、ヴォルグのことだろう。ヨハンがシーゼルを抱えていったということは、ヨハンはヴォルグに斬られなかったのだ。カッとなりヒースとシーゼルを意図せず串刺しにしてしまったヴォルグだが、落ち込んではいないだろうか。どうもヴォルグもシーゼルも売り言葉に買い言葉ですぐに喧嘩になるので、あの喧嘩っ早さは是非とも今後は努力して直してもらいたいところだ。
ゆっくりと立ち上がってみると、少しくらりと目眩がしたが、立ち上がれない程ではない。
「ヒース、大丈夫!? あれだけ血が出てたのに!」
慌ててニアが駆け寄る。自分が寝ていた場所を振り返ると、敷かれた固い敷物がぐっしょりと血で黒く染まっていた。確かに物凄い血の量だ。これが全て自分の中から出ていったと考えると、ニアがアンリを捕まえてきてヒースを回復させてくれなければ、きっと今頃ヒースはあっさりとジェフの元へと行っていたに違いない。よく生き延びたものだ。
そうだ、まだお礼をニアに言ってなかった。ヒースの横で心配そうに見上げるニアを見下ろす。
「ニア、助けてくれてありがとう」
顎に触れると、ザラッとした。血がこびりついているのだろう。どうしよう、いくら固まったとはいえ、ニアは血に触れるのを嫌がらないだろうか。不安になったので、ひとまず腕でゴシゴシと拭いてみる。
「あ! 濡れた手ぬぐいがあるから待って!」
ヒースが血を不快に感じていると思ったのか、ニアはヒースの返事も待たずに炊事場へと駆けて行ってしまった。ニアはどうも慌てん坊なところがあるから、いざという時はやはり周囲の逃げ場を塞いだ上で掴まえた状態でないと厳しいかもしれない。ヒースはニアの後をトコトコと追うと、炊事場の中へ入って行った。ミスラの手伝いで入ったことがあるので、なんてことはない。
「ニア?」
「あ! 待って、今すぐ!」
ニアの姿を探すと、ニアは桶で手ぬぐいの水を絞っているところだった。ぱっと振り返ると、ヒースの顔に手ぬぐいを当てる。ひやっとして気持ちよく感じ、ヒースは目を閉じた。なかなか落ちないのか、ゴシゴシされるとちょっと痛いが、ヒースの頬を支えているのがニアの手だと思えばその痛みすら心地良く感じられた。
ニアは一度手ぬぐいを洗いに行くと、また戻ってきて今度はヒースの唇に手ぬぐいを当てる。言うなら今かな、そう思い、ヒースは目を開けた。
「ニア」
「ちょっと待って、まだ動かさないで」
「ニア、もう一回。助けてくれてありがとう」
「え? そんなの当たり前でしょ! ありがとうなんて言う必要ないから!」
強気なことを言いながらも、耳が少し赤くなっている。照れくさいのだろうと思うと、そんなニアが愛しくて仕方がなかった。
「ニア、俺さ、ニアがいなかったらもう死んでたと思うんだ」
唇を拭こうとしていたニアの手が、ぴたりと止まる。
「……そうよ、なんであんな無茶したのよ……!」
思っていなかった反応が返ってきて、ヒースは思わず笑ってしまった。
「わ、笑い事じゃないんだから! ヒースが大きな獣人に抱えられてきた時、心臓が止まるかと思ったんだから!」
ニアの言葉は、ヒースをただ喜ばせる。ヒースの為だけに泣いて、ヒースの為だけに怒ってくれる。何故こんなにも嬉しいのか、あの時のことを思い出してようやく腑に落ちた。ヒースは、母の愛情に飢えていた。抱き締めてもらいたくて、甘やかしてもらいたかった。ずっと、ずっと。
ニアといると、大きく空いたまま空いていることすら忘れざるを得なかったその穴が、少しずつ埋められていった。勿論、ジェフやジオ、ハンもシーゼルも、皆ヒースには優しい。ヒースの為を思ってくれているのは分かる。だが、彼らの優しさは、どちらかというと父性に近かった。ヒースがずっと欲しいのに忘れていたもの、それは今ニアがしてくれている様な、子供の面倒を見ている様な甘さだったのだ。
ニアには沢山妹がいると言っていた。ニアが長女だから、余計面倒見がいいのかもしれない。普通だったら子供扱いだと反発するのかもしれないが、これが何よりもヒースが求めていたものだったのだ。
勿論、ニアは母ではない。ヒースがニアに求めているものは、母親ではなく、甘えさせてくれる恋人だ。
そこまで思い、ぞくりと背筋が凍りついた。
「――ヒース? どうしたの?」
ニアは、制御腕輪を付けている。だからこれまで、解ける兆候があった封印から漏れる魔力にもほぼ反応しなかったのだろう。だが。
――母さんの様になってしまったら、どうしたらいい。
この先もニアの隣にいたいのなら、ニアへの影響は多少なりともあると考えた方がいい。竜人が掛けた封印が解けてしまった今、ヒースは非常に周りの影響を受けやすい状態になってしまっている。アンリが言っていた通り、魔力の高い人物の方がヒースへ影響を及ぼしやすいのならば、制御腕輪を付けているニアならさほど問題はないに違いない。だが、記憶の中の母は、特に強い魔力を持っている様子はなかった。なのに、あんなにもヒースはあの人の感情に左右された。
今思えば、さぞや不気味だっただろう。心の中で怒れば、ヒースも怒る。心の中で嬉しく思えば、ヒースもいつの間にか隣で笑っている。何に強い感情を持っているのかが分かっておらずとも、常に自分の感情の鏡が目の前にあり、母はそれを見ざるを得なかった。どんな感情であろうが、どんなに隠したい思いであろうが、全て。
あれは、ヒースが母と心理的距離が近かったからなのではないか。これからもっとニアと親しくなっていきたいと思うヒースにとって、これは枷以外の何ものでもなかった。
怖くなった。
「ニア……」
つう、と涙が伝う。ニアが慌てて頬を掴んだ。
「どうしたの!? どこか痛いの!?」
「ニア、おまじないして……!」
怖い。怖かった。ニアに近付いていけばいく程、母の様に壊れていく恐怖が付き纏うのか。だけど、今だけは。
「安心させてくれ……」
ぼろぼろと泣くヒースを見て、ニアは訳が分からないだろうに、覚悟を決めた様にこくりと頷いた。
次話は月曜日投稿目指して頑張ります!




