リオの動機
ヴォルグが、余裕のない表情のカイネに低い声で問いかける。
「カイネ、落ち着け。ここ以外では、どこを当たった? 最後にリオを見た者は」
カイネはヴォルグを見上げると、目を潤ませてブルブルと首を横に振った。カイネは落ち着きがある方では決してないが、それにしてもこの慌てぶりはおかしい。
「直前まで、僕といたんだ……! アンリが血まみれの人間の男……ええと、ハンを連れてきたから、だから僕は縫合に気を取られて、いつの間にかリオが横にいないことに気付かなかったんだ! 僕は、僕は……!」
ヴォルグはヒースの腕を食い込まんばかりに掴んでいるカイネの指を一本一本指で摘んで取ると、カイネの肩を掴み自分の方に向かせる。その様子を、シーゼルは一歩引き、辺りに警戒しながら横目で観察するが如く眺めていた。少し口の端が歪んでいるのは、ヴォルグの対応がカイネに対してだけ優しいことに気付いて、おかしく感じているのかもしれない。
「落ち着け、誰もお前を責めたりはしない。勿論俺もだ」
「え……?」
カイネは、大きな赤い目に大粒の涙を浮かばせながら、信じられないものを見るような目つきでヴォルグを見つめた。真上から照りつける太陽の光が、カイネの目の下に長いまつ毛の影を作っている。
「ヴォ、ヴォルグ? お前一体どうしたんだ……?」
随分な言い方だとは思ったが、これまでのヴォルグのカイネを守るべく取っていた高圧的とも取れる態度からすれば、確かにあり得ない程真っ直ぐで丁寧な言葉だ。思わずヴォルグの正気を疑ってしまったカイネは、別に間違ってはいない。むしろ正しい反応といえよう。
「どうしたもこうしたもない。リオがいなくなったのがカイネの所為だなど、誰も思わない。ただその事実を述べたまでだ」
「え……」
カイネにしてみれば、これまで散々他の獣人には出来ることが出来ないが為に悔しい思いをしてきたのだろう。そこに追い打ちをかける様なヴォルグの言葉と態度の数々に、少しでも失敗するとまた頭ごなしに否定されるのでは、という考えが占めてしまっていたとしても仕方ない。
だが、今大事なのはカイネの気持ちよりも、リオが一体どこへ消えてしまったのかについてだ。
「カイネ、ハンが来るまでリオとは何を話してたの?」
少しでも行方を探す助けになれば、とヒースが声を掛けると、カイネはハッとしてヒースを振り返った。
「お、お前の話をしていたんだ……」
「俺の?」
ヒースが聞き返すと、カイネはこくこくと頷きながら答える。
「お前がアンリと共に集落を出ていってから、リオはお前のことをずっと心配していた。ヒースは大丈夫だろうか、何しに行ったんだろう、怪我したりしてないかなって」
「俺は子供じゃないんだけど……」
リオの心配の仕方は、まるで年下の子供か可愛がっていた子犬でも心配するものに近い様に思えた。どう考えても、庇護対象に対する考え方だ。だが、確かに始めに会った時から、ご飯を与えようとしたり甲斐甲斐しく世話をしようとしていたので、……もしかしたら本当にその認識でいるのか。
すると、優しい、だが絶対離す気がない手付きでカイネの肩を掴み続けているヴォルグが、鼻で笑った。
「お前の強さからすれば、獣人族の子供以下だ。リオからしてみれば当然のことだな」
「ヴォルグもさらっとそういうこと言うから、それで誤解されるんじゃないの」
嫌味なつもりで事実だと思うことをぶつくさ言うと、ヴォルグにギロリと睨まれた。すぐこれだ。
「そんなことより、重要なのは集落を全て当たったかだ。カイネ、それは分かるか?」
ヴォルグの言葉に、カイネがこくこくと頷く。少し落ち着いてきた様だ。大の苦手な筈のヴォルグに肩を掴まれ顔を覗き込まれていても反応が薄いところを見ると、まだ元通りではないのだろうが。
「近くにいた男達にも言って、手分けして探してもらった。だけどどこにもいなくて、そうしたらリオとよくいるハンナが、リオに口止めされたけどって教えてくれたんだ」
カイネはひと息つくと、続けた。
「ちょっと谷の方を見てくるから、大人には言うなって」
「え! でも、俺達見かけてないぞ!? 森の中で迷ったなんてことは?」
ヴォルグとカイネが、同時に首を横に振る。
「日頃人間も他の魔族の気配もない時は、あそこは子供達の遊び場になっている。あの中で迷うことなど、あり得ん」
「そうなんだ。じゃあ、カイネみたいに崖の上に行ったとか?」
すると、これにも二人同時に首を横に振った。
「子供の脚では、上まで跳躍できん」
「あ、獣化出来る前」
「そういうことだな」
これにはカイネが頷いた。獣化出来る様になる前の子供は、恐らくは筋力も何もかもが弱いのだろう。獣化出来る様になって初めて、カイネの様な脚力を得ることが出来るのだろう。
そこまで考えて、あれ、でもカイネは獣化出来ていないじゃないか、という疑問が湧いた。
「でもカイネは獣化してないのに」
すると、カイネが真面目に答える。
「一応大人だからな。ただ、やはり純血とは明らかに違う」
そういうものなのか。ちょっと納得いかなかったが、とりあえずカイネは大分冷静さを取り戻した様に見えるからよしとしておこう。
カイネは、ヒースに向き直ろうとして、がっちりヴォルグに掴まえられているのにようやく気付いたらしい。身体を捻って解こうとしたが、無駄だった。
「ヴォルグ、離してくれ。もう大丈夫だ、落ち着いたから」
「本当か?」
じ、とカイネを見つめる目には、ヴォルグだというのにちょっと心配の色が見て取れる。眉間の皺も、やけに少ない。
「ヴォ、ヴォルグ? お前本当にどうしたんだ……」
「何がだ」
ヴォルグも分かっているだろうに、しれっと誤魔化す辺りがちょっと可愛いと思ってしまった。あれだけヒースに駄目出しをされ、ようやく態度を軟化することにしたらしいが、カイネに思い切り怪しまれているじゃないか。どうも真っ直ぐというか極端なのは、獣人ゆえか。
「と、すると、俺達が谷底まで降りてくる前に、奥に行った……?」
「お前達が会っていないなら、恐らくはそうだろうな」
カイネが、再び泣きそうな顔になってしまった。
「大丈夫だ、今すぐ谷の奥へ共に向かおう」
ヴォルグはそう言うと、カイネをそっと抱き寄せ頭を撫でた。あ、カイネが完全に固まっているじゃないか。目が大きく見開かれ、今一体何が起きているのかという表情になっている。
「あー、ヴォルグ?」
若干幸せそうに目を閉じていたヴォルグが、ヒースが声を掛けた途端に眉間に深い深い溝を刻んだ。
「……なんだ」
「カイネ、びっくりしてるから。離してあげてよ」
「……」
実に嫌そうに、ヴォルグが口を真横にぎゅっと閉じる。どう見ても、カイネの背中は緊張で岩の様に固まっているじゃないか。
仕方ない、ヒースは声を出さずに口の動きだけで伝えることにした。
(き・ら・わ・れ・る・よ!)
ヴォルグがムキッと牙を剥いたが、諦めたらしい。名残惜しそうにゆっくりと拘束を解くと、カイネに笑いかけた。すると、カイネが後退って目玉が落ちるのではという位目を見開き、悲鳴に近い声を上げる。
「ヴォ、ヴォルグ!? お前一体どうしたんだ!? 何か変な物でも食ったのか!」
「……食っとらん」
ヴォルグは、頭をぐしゃぐしゃと掻きながら、カイネの背中側にいるヒースをまたギロリと睨んだ。ちょっと待て、こんな時に笑うなんて想定していない。それで怒られても、ヒースだって困る。
「ほら、遊んでないで、早く奥に行こうよ」
もういい加減この状況にも飽きたのだろう。警戒をしつつ、シーゼルがそう声を掛けた。
「そ、そうだよ! ほら、リオを見つけよう!」
渡りに船とはこのことだ。ヒースは急ぎシーゼルの横まで駆け寄ると、背中に感じる恨めしいヴォルグの視線に気付かないふりをしつつ、谷の奥へと再び進み始めたのだった。
次回は来週の月曜日か火曜日目指します!




