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ヨハンの心

 ヨハンは、重い足を無理矢理前に押し出しながら、かつての仲間を追いかけていた。


 何故こうなってしまったのか。この始まりの地点がどこだったのか、考えても考えても、答えは出なかった。



 夜飯が始まった頃、崖の向こうからひょっこりとシーゼルが戻ってきた。


 ざわつく隊員達を見下ろす目は、いつも通りの氷の眼差しだった。だが、洞穴に一番近い焚き火をナスコと囲むヨハンの前に辿り着いたシーゼルの自分を見る眼差しだけは、違ったと思う。


「ただいま戻りました、隊長」


 無表情にも見紛う端正な顔。それが緩むのは、自分の前だけだった。ついこの間までは。


「――よく戻った」


 ヨハンが褒めれば、シーゼルは心の底から喜ぶ。ナスコの手前、恋人同士の甘い囁きは与えることは出来なかったが、それでもきっと喜んでくれる。


 そう思い発した言葉だったのに、思いもよらぬ言葉が返ってきた。


「ありがとうございます! ヒースが頑張ってくれたんです!」

「あ、ヒースが? そ、そうか……」


 何故、あの金髪の無表情の、少年に毛の生えた程度のケツの青い若造の話が真っ先に出てくるのか。ヨハンがよく戻ったと声をかけたのは、シーゼルに対してだ。決して、決してここにいないあのよく読めないクソ生意気な餓鬼に向かって言った言葉ではない。


「あの子ってば、気難しい獣人まで懐かせちゃったんです。本当凄いですよ!」

「あ、うん、そうかそうか……」


 ナスコは、ヨハンとシーゼルの関係に気付いているのかいないのか、薄らと微笑み、佇む大岩の様にこちらを見守っている。身体がむず痒くなった。


「わ、悪いナスコ。詳しい報告を受けるので、席を外す」

「おう! 後でヒースの武勇伝を教えてくれよ!」


 髪の毛一本生えていない、綺麗に禿げ上がった頭部に揺らめく炎の影は、笑ってしまう程に艶やかで綺麗だった。


「シーゼル、中で話そう」


 ヨハンとしては、これ以上嫉妬で苛々する前に、シーゼルに自分だけを見てもらいたかった。


 だが、それすらもシーゼルには伝わらなかったらしい。


「――その方がよさそうですね」


 涼やかな目で、離れた場所で焚き火を囲む隊員達を一瞥する。ヨハンがシーゼルの視線を追うと、サイラス達が目を逸らした。


「……懲りないねえ」


 シーゼルが、ボソリと呟く。あいつらがいまいち信用ならないのは同意以外の何ものでもないが、魔族に侵略された国土で生きる以上、人間は群れるしか生き延びる確率が上がる方法はない。


 中には、滅びた街にひとり住むハンの弟のクロや、深い森の中にひとり住まう鍛冶屋のジオの様な存在もいることはいるが、件数としては稀だ。確保できる衣食住、また時折突発的に出会い頭に殺し合いになる魔族との戦闘においても、人数は多い方が生き延びる可能性は格段に高くなる。


 嫌な考え方ではあるが、最悪ひとりが犠牲になっている間に、他の者は生き延びることが出来るからだ。


 純粋な人間族の数が目減りしている事実がある以上、味方はひとりでも多い方がいい。でなければ、圧倒的強者である魔族の前に、人間族は滅びの一途を辿るしかなくなる。


 かつては大国西ダルタン連立王国の王国軍に所属していた自分にとって、仲間となる人間がいなければ、自身の立場は成り立たない。だが、シーゼルが男娼として暮らしていた、首都に程近い地方都市に駐屯していた時、一夜にして部下も何もかもが焼き尽くされた。


 ヨハンにとって、軍属とは誇りであり、軍の行動理論が全ての基準である。


 それが、塵となって消えた。


 偶然一緒に隠れることになったシーゼルは、出会った時は、血塗れで力尽きた太った男の下から這い出ようとしているところだった。状況から見るに、この華奢な女の子と見紛う美しい子が殺したのだ。


 だが、酷いとは思わなかった。むしろ、こんな状況になっても上に乗り続けた今は屍人となった男の方にこそ、嫌悪を感じた。


 その時は、まだ気持ちに少しの余裕があった。外にはまだ部下がいて、民間人の救助に当たっている筈だ。ヨハンはヨハンで、この子を助けてあげよう。


 そう思い、泣いている美しい男の子にヨハンの上着をかけ、手を引いた。まずは外に出よう、そう思い娼館から出ると、遠くに竜が空を舞っているのが目に入り、咄嗟に近くの比較的大きめの民家に飛び込んだ。


 大きな家なら、大抵は備えている避難壕。それが目的だった。


 遠目に、部下のものであろう、鎧に火事の明かりが反射するのが見えた。


 思った通り、民家には避難壕が存在した。少年を先に地下に下ろさせ、ヨハンは台所にあった水瓶と乾燥豆を両脇に抱えてから、避難壕に降りた。


 天井の金属の板を被せると、中は真っ暗闇になった。ヨハンは、光の属性を持つ短剣を床に置いた。ヨハン自身は大した魔力は持っていないが、微量なら短剣を仄かに光らせる程度は可能だ。


 少年は、うすらぼんやりと発光する短剣を、実に興味深そうに見つめていた。


 大して、時間は経っていなかったと思う。


 一瞬で押し寄せた爆音が、何もかもを焼き払っていくのが分かった。地震の様な地響きに加え、あり得ない程の熱量が天井からもれ伝わる。か弱そうな少年を腕の中に庇い、今にも飛び出して状況確認を行ないたい気持ちを抑えつつ、全てが通り過ぎるのを待った。


 外にいる部下は無事だろうか。軍属ではあったものの、竜人族の攻撃を直に体験するのは初めてで、被害の程度が分からなかった。


 振動が止み、何ひとつ音が聞こえなくなってから、祈る様な気持ちで天井の蓋を開けた。


 目に飛び込んできた光景は、何ひとつ残っていない焼け野原だった。見渡す限り、真っ黒だ。


 ヨハンの様に、避難壕に逃げた者がいるのではないか。それに期待し、隠れていた避難壕を拠点に付近を探し回った。


 ヨハンの全てであった軍が、跡形もなく消し去られたことを理解したのは、三日が経ってからだった。


 その時、ヨハンは初めて泣いた。焼け野原に膝をつき、慟哭した。その様子を静かに観察する様に見ていたシーゼルが、突然ヨハンに抱きついてきた。恩人であるヨハンの嘆きを見て、唯一知っている方法を用いて慰めるつもりだったらしい。


 こんなことをしてはならないと、ヨハンはシーゼルを諭した。皮肉にも、シーゼルのその行動により、ヨハンは立ち直った。この子をこのままにしておく訳にもいかない。助けてやれるのはヨハンだけだ。


 以降、一時期離れたこともあったが、シーゼルはいつも隣にいた。


 洞穴に入り、燻った焚き火の前に座ると、シーゼルがすぐ隣に膝をついた。期待に満ちた、上気した顔。シーゼルの襟元を掴んで引っ張ると、嬉しそうに唇を重ねてきた。


挿絵(By みてみん)


 外に隊員がいると思うとそれ以上は出来ない。すると、シーゼルは水の魔法で火を消してしまった。


 ヨハンとて、その気がない訳ではない。それ故に、ようやく覚悟を決めた。


 この自分に、ここまで慕われる要素があるだろうか。時折疑問に思いつつも、今更この美しい獣を他者の手に譲ることなど、考えられなかった。


 彼なりの基準に基づき行動するシーゼルは、他者の理解を得難い。彼もそれを説明しないから、余計だ。


 だが、ヨハンは知っていた。


 シーゼルの正義は、自分にあることを。シーゼルにとって、自分と共にあることが全てなのだと。


 シーゼルとこういうことになる前だったら、正直迷ったかもしれない。同じ人間で、仲間として過ごした隊員を斬ることなど、自身の手足を切り落とす行為と同等だ。


 だけど――、と、白ばみ始めた空を見ながら、謀反した隊員達の姿を探す。


 シーゼルは、ヨハンの一部だ。ヨハンがここで躊躇えば、シーゼルは自分を盾にしてでもヨハンを守ろうとするだろう。だが、シーゼルを失ってこの先生きていくなど、もう無意味にしか思えない。ならば、確実に生きてシーゼルの元へ戻らなければならなかった。


 昨夜の幸せそうなシーゼルの顔を思い浮かべると、ヨハンの中の迷いは晴れていく。


 何もしていない奴の助命はかけ合いたい。だが、シーゼルに害をなすなら、自分の手足と呼べる彼らを斬るのは自分の役目だ。


 ヨハンは唇を噛み締めると、再び足に力を込めた。

 

次話は月曜日に投稿します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] シ、シーゼル…良かったね ヨハンの気持ちはかなりシーゼルにあるよ… ( ;∀;) 頼むから死ぬなよヨハン!!
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