瓦解
ハンが、血だらけの右足を庇いつつ岩壁に手をついた。
「悪いが、少し寄りかからせてもらうな」
ハンの顔色の悪さは変わらずだ。アンリの魔力によってパニック状態からは脱したものの、傷が治った訳ではない。
「勿論」
アンリが頷く。ヒースはハンに駆け寄ると、ハンが岩壁にもたれかかるのを手伝った。
「ハン、この傷は誰が?」
ハンはこの反乱組織の中心人物だった筈だ。ハンに斬りつけたら、もうこの組織にはいられないこと位は分かるだろうに。
すると、ハンが悲しそうに言った。
「ヨハン隊は、言葉通り瓦解した」
「え……」
ハンの話はこうだった。
長いことあの場に留まっていたヨハン隊の鬱憤が溜まっているのは、ヨハンもハンも理解していた。毎日ヨハンと勝負することで行き場のなかった苛立ちを発散させていた訳だが、ナスコ班が合流したことでそれが一旦中止された。
それが原因のひとつ。
彼らは皆元々顔見知りである。反りは合わないが、ひとつの目的に目が向いていた為、これまで諍いは最小限に押さえられていた。だが今回は、当初獣人族の集落を急襲し鍛冶屋のザハリを取り戻す筈が、獣人族との対話へと方針を方向転換している。これにより、人数が増えたことである程度は軋轢があるだろうことは、みな想定していた。
その為、なるべくヨハン隊とナスコ班を関わらない様にさせていたのだが、争いのきっかけをサイラスという男が作ってしまった。
「サイラス……」
ヒースは記憶を辿った。殆ど話すことはなかったが、恐らくあの人物だと特定出来た。危うげな雰囲気があったふたりの内のひとりな筈だ。ヒースのことをチラチラと、だが不躾に見ていた男で、ヒースが寝る時にシーゼルが傍について離れなかったその理由となった四十代前後の男である。
ヨハン隊には手練ばかりが集められているだけあって、基本みな体格がいい。ヒースとてこれまでの奴隷時代の肉体労働と鍛冶屋になってからの作業のお陰で筋肉はついているが、戦い慣れている男に襲われては恐らくひとたまりもないだろうことは想像に難くなかった。
「俺のことをちょっと狙ってた奴だろ?」
ヒースが尋ねると、ハンが少し目を見開いた後、苦笑しつつゆっくりと頷いた。
「お前は本当にそういうのは聡いな」
「まあね、ずっと狙われやすい環境で育ったから」
感覚を研ぎ澄まさねば、まずやられる。奴隷時代は、そういった環境だった。
幼い頃のヒースは、ジェフが思わず心配して自分の庇護下に置いてしまう程度には可愛らしい子供だった様だ。他のそうでもない子供よりも狙われていたらしく、これはジェフが常に口を酸っぱくして注意していたから間違いないと思う。そこで、相手の視線、口調、態度で自分に対し邪な気持ちを持っているかいないかを察する能力は否応なく鍛えられた。
「そう、そのサイラスが、カイラに絡んだのが始まりだった」
ハンによると、シーゼルが昨夜あの場所に戻って来て、ヨハンとハン、それとナスコがいつもの洞穴で一堂に会した時にそれは起こった。
カイラは剣の師匠だ。その為、非戦闘員のニア、クリフ、ジオはカイラとここに来るまでに仲良くなったビクターと行動を共にしていた。
四人が共に囲む焚き火の近くにふらっとやって来たサイラスは、カイラに背後から抱きつく形で肩に手を回したらしい。カイラは相手にせず手を叩き落としてあっちへ行けと追いやったが、サイラスは引かなかった。
その間に、ニアはクリフを抱き抱えジオとビクターの後ろに隠れた。これは絡まれた時にそうしろ、とカイラが予め三人に指示していたことによる行動だったが、それがサイラスの癇に障ったらしい。
サイラスは、カイラに自分の相手をする様にと迫った。
カイラは年は重ねてはいるが、れっきとした女性で、剣技で鍛えられた肉体は今も若々しい。ヒースにとっては正直対象外ではあるが、ネビルから見たら十分恋愛対象になるだけの美貌も持つ。
ネビルよりも遥かに年上で、カイラとの方が年齢差がなさそうなサイラスが懸想したと考えても、何らおかしくはない。が、当の本人にこんなおばさんにお前は正気か、と言い返されてしまった。それに切れたサイラスは、持っていた短剣を抜くと、カイラを脅しにかかったという。
サイラスは手練れだが、きちんと学んだヨハンやカイラには及ばない。それを力尽くで何とかしようと思うあたり、サイラスには西ダルタン連立王国の女性崇拝の精神をきちんと正しく教えられていなかったに違いない。
サイラス対カイラの争いが勃発したその時、いつもサイラスとつるんでいるもうひとりのあまり目つきのよくない男、ニールがサイラスの味方についた。
二対一の状況にもカイラは平然とした表情を浮かべていたらしいが、いくらそうとは言っても、カイラを手篭めにしてやろうという男ふたりに対し、蒼鉱石の剣を持つとはいえ、殺しまではするつもりがないカイラだ。不利な状況で、カイラは徐々に追い詰められる。
周りはサイラスとニールを宥め、止めようと声掛けをしたが、すっかり頭に血が上ったふたりは近寄る者に遠慮なく斬りかかった。
刃物を振り回す男ふたりに壁際まで追い詰められたカイラに、取り乱したサイラスが斬りかかったその時。
カイラを庇う様にふたりの間に飛び込んだのは、丸腰のネビルだった。
肩をぐさりと刺されたネビルは、それでもサイラスの短剣を奪おうと必死に抗う。そこにナスコ班にいる穏やかな初老の男が、カイラに逃げるよう横からカイラを連れて行こうとすると、今度はニールがナスコ班の男に斬りかかったのだ。
その頃になると、騒ぎを聞きつけた洞穴にいた一同が出て来、瞬時に状況を悟る。
ナスコは自分の班の古参の男性が今正に斬りつけられようとしている場面を目撃した途端、一目散に駆けつけニールの剣を奪おうとニールと揉み合いになった。
ニールには、ナスコを殺す気まではなかったのだろう。
剣がナスコの胸に突き刺さった時、ニールは咄嗟にその手を剣の柄から離し、「わ、わざとじゃない!」と叫びながら逃げようとした。
それを背後から一刀で斬り捨てたのが、シーゼルだ。
顔色ひとつ変えず、自分の隊の仲間を斬ったシーゼルの意図は明確だった。これで矛を収めろという意味だ。恐らくはヨハンの指示もあったのだとは思うが、シーゼルの日頃の冷徹さが隊員達の恐怖心を煽ったに違いない。
自分も斬られると思ったのか、サイラスは逃げ出した。獣人族の集落の方面へと走り出したサイラスを咄嗟に追いかけたハンは、ヒースの努力を無駄にしないでくれと半ば懇願する様に叫び、道を塞いだ。
そこで、興奮したサイラスに斬られたのだ。
それでも止めようと立ちはだかるハンを見て、サイラスは踵を返し人間の街があった方面へと向かった。
自分達の班の班長、更には反乱組織の要とも言えるハンが続け様に傷付けられたことで、ナスコ班の男達は激怒した。
ここで、ナスコ班対ヨハン隊の対立が発生し、激昂したナスコ隊の男らに追い立てられ、ただ眺めるしか出来なかったヨハン隊の他の者らも、サイラスの後を追って逃げ出した。
それを追いかけるナスコ班。
ヨハン隊で残されたのは、すでに虫の息のニール、肩から血を流し悶絶するネビル、ニールを斬ったシーゼルに、そしてヨハンだった。
「ヨハンは、落とし前をつける為自分の隊員達を追いかけて行った。シーゼルに、万が一に備えあの場に残る様に言い残して」
「え……! ナスコ班の人達と一緒に!?」
ハンが、辛そうに頷いた。それは傷が痛む所為か、それとも仲間同士で争うことへの葛藤か。
「ヨハン隊は強いから、最悪こちらに戻ってくる可能性も考え、俺はクリフに乗せてもらってここへ、ニアも一緒に来てもらった」
「ネビルは? まだ下にいるのか?」
ヒースが尋ねると、ハンがこくりと頷いた。
「ネビルはヨハン隊のメンバーだから殺されることはないだろうし、傍にカイラが看病でついている。シーゼルもジオも一緒だ」
ハンが、再び顔を両手で覆った。
「どうして仲間同士で争わないといけなかったんだ……!」
ハンの嘆きに、ヒースは何も返すことが出来なかった。
次話は明日投稿します!




