近寄らないで
アンリとアンリにしがみついているヒースは、カルの先導でゆっくりと崖の頂上へと近付いていく。
崖の中腹は切れ込みの様になっているので、ここからは殆ど見えなかった。ヒースが目を凝らして何かの形跡がないか見てみたが、ただの赤い岩がごつごつしているだけだ。
一体何があったのだろうか。気にはなったが、それも頂上にいる筈のニアに聞けば分かるだろうか。だから待てと自分に言い聞かせても、焦燥感はヒースから消えてはくれなかった。
カルが飛び出して来たということは、カルの主人のハンも一緒に違いない。崖の中腹部からは人間の足ではどう頑張っても登ってはいけない傾斜だったから、飛べるニアとハン、後はもしかしたらクリフもいるかもしれない。
ヒースが頂上の大きな岩陰の人影を目を凝らして見ていると。
「ええと、……ヒースだったよね?」
「あ、うん」
「とりあえず、落ち着いて」
「え?」
アンリはヒースを力強く抱えたまま、朝のヒースを追いかけていた時とは打って変わって非常に落ち着いた声色で言った。
「俺はよく状況が掴めてないけど、さっきの君のざっくりした説明でまあなんとなくは分かったつもりだよ。だから、君の大切な人があそこにいて、何かあったんじゃないかって心配しているのも分かっているつもりだ」
どちらかというと、見た目はなよなよしく正直頼るには心許ない印象のアンリだったが、さすがは大人というべきか。ひとりで妖精界を出、本来であれば敵対している筈の獣人族の集落の片隅で何やら怪しげな研究をしているだけあって、その辺の人よりかは肝が座っているのかもしれない。
「君がそわそわすると、俺の心が落ち着かないんだ」
「何でだよ」
「君の属性じゃないかな、多分」
「え? なにそれ」
段々と、大岩が近付いてくる。小さな影が、ひとつ。ぴょんぴょん跳ねながら、こちらに向かって手を振っている。あれはクリフだ。そのクリフを追いかけるように影から出て来たのは、優しい色の服を着た――ニアだ。
二人とも、怪我はなさそうだ。ヒースは驚く程その事実にほっとし、手がずる、とアンリの首からずり落ちそうになる。
「ちょっと、しっかり掴んで」
アンリが文句を言った。
「あ、ごめん! 安心しちゃって」
岩陰に、投げ出した足が見えた。男の足の様だ。ジオではなさそうだ。ジオだったら、もう少しごつい。やはりハンだろうか。でもそうしたら、何故あんな風に足を投げ出しているんだろう?
「……ほっとするのはいいけどね、やっぱり君、面白そうなんだけど、なんで細かいところが分かんないんだろう……」
至近距離で囁くように言われ、ヒースはぞわりとしてしまった。鳥肌が立つ直前の、あのちくちくした感じが腕にする。
「アンリが何を言ってるのか分からないよ」
アンリの声は少し高めで中性的に聞こえる。発音の仕方が柔らかいので、相手に警戒心を与え辛そうな声色だとは思ったが、今ヒースはぞくぞくと恐怖を覚えつつあった。
「ふふ……今は俺のこと、怖いと思ってるよね……」
どうして分かるんだ、この人は。ヒースは内心非常に驚いていた。
これまでは、ヒースの無表情のお陰で、ヒースの心の内は殆ど相手にそのまま伝わることはなかったと思う。それでも何となくヒースの感じていることを察してくれたのは、ハンとザハリだった。そして、今目の前にいるアンリもその様に思える。
カルが先に下降し、足を投げ出している男の元へと直行した。男は腕を出すと、カルがそこに止まる。ということは、あれはきっとハンだ。
今はもう日の光の下にクリフと並んでこちらを見上げているニアは、表情まではまだ見えなかったが、はしゃいでいる様には見えなかった。
「なんかおかしいんだよねえ……。捻じ曲げられているような……でも一体誰がそんなことを……?」
アンリはまだひとりでぶつぶつ言っている。やっぱりちょっと不気味な人だ。
ヒースは自分の考えに戻ることにした。ハンとザハリ、そしてアンリ。三人の共通点はなにかあるだろうか。全員男だけど、それはジオだって一緒だ。でもジオは、ヒースの考えなど気付きもしないことが多々ある。毎回色々勘違いもしていたし。だから要因は男ではない。
ニアも、あまり気付かない。ヒースがちょっと触れると、すぐに「ひっ」と言うのが可愛いけど、あれは叫び声の一歩手前なのか、それともヒースのヒなのか。
ふと、ニアの手首にいつもはまっている太い腕輪の存在を思い出した。魔力の制御の腕輪だ。――そう、ニアは常日頃は魔力の放出を抑える為、あの腕輪を付けている。本人の魔力は強そうだが、あれの所為で胸が大きくならないに違いないから、かなり効果がある物なのだろう。
アンリも、下降体勢に入った。ヒースは胃に力を入れる。もう吐きたくはなかった。
「アンリって、魔力は強い方?」
「んー、まあそうかもね」
ハンにもザハリにも、魔力が多い種族であるエルフの血が入っている。つまり、普通の人間よりも魔力量が多いのでは。そして、アンリは自分でも魔力量が多いと認めている。
導き出される答えは。
「魔力が強い人は、俺から何か感じ取ってる……?」
「というか、魔力が強い程他の者の持つ魔力の影響は受けやすい」
アンリがさらりと教えてくれた。どうやらアンリはそんなこととっくに知っていたらしい。
「そうなんだ」
「そうだよ」
アンリの顔から、笑みが消える。
「それが俺が妖精界から出てきた最大の理由だから」
「……え?」
ヒースが更に聞こうとした時、アンリがふわりと地面に足を着けた。
ヒースも足を着けると、少しふらついてはいたがアンリから手を離した。固いゴツゴツの地面が、変な感じだ。
羽根を引っ込めたアンリが、ニアに声を掛ける。
「ニア、腕輪してる?」
どういう意味だろう? ヒースがニアとアンリを交互に見ていると、ニアはこくこく頷いたが、それでも近づいては来ない。知り合いじゃなかったのか?
ニアが、クリフを抱き上げながら離れた場所から声を張り上げる。
「アンリ様はつけてますか?」
「あ、ついてるよー見て見て」
アンリはそう言うと、幅の広いズボンの裾を両方捲り上げた。その両足にはまるのは、ニアの物と似たような、だが更に太い金属の輪っかだ。細かい模様が彫られた薄い金色のそれは所々黒ずんではいたが、それでも美しい物だった。
そして、腕の中のクリフを見て驚いた顔をする。
「ニア、その子もしや」
「ち、違います! この子はヒースの……!」
ニアが真っ赤になって答えると、アンリが今度はヒースを見て聞いた。
「あれ? でも君ニアが好きなんだよね? 子供……ニア……あ! まさか二人の!」
嬉しそうに両手を胸の前で合わせたりしているが、残念ながらそうではない。
「ニアの子でも俺の子でもないよ。クリフは鹿」
「鹿? へええ……」
妖精界の食べ物で変身してしまった位だ、そこについてはアンリはあまり驚かなかった。さすがは妖精族だ。
「アンリ様、近付かないでくださーい!」
ニアが、離れた場所から更に声を張り上げて言っている。
ヒースはその言葉に不安になり、思わずニアに聞いた。
「ニア、俺は⁉︎」
すると、一瞬キョトンとしたニアが苦笑しながら頷いた。
「ヒースはいいよ!」
言われた瞬間、糸が背中にくっついて引っ張られていたのではないか、それがチョキンと切られたんじゃないかと思う位、ヒースは勢いよく駆け出した。
「ニア……!」
クリフごと、ニアを抱き締める。
腕の中のニアの頬には、涙の跡があった。抱き締めたままニアの顔を覗き込む。
「……ニア、何があったんだ?」
ヒースの問いに、ニアは大きな紺色の瞳でヒースをじっと見つめた。
次話は月曜投稿を目指しますが、火曜日になるかもしれません。すみません!




