どうやっても諦められない想い
夜の涼しい風が吹く赤い岩壁の上で、あのヴォルグが、声を出して笑っている。
それを見て聞いて、ヒースはほらやっぱりな、と思った。この人は、カイネへの想いが止められずちょっととち狂っているだけで、他は普通の人なのだ。ちょっと力が強いだけで。
ヴォルグがひと通り笑って落ち着くと、目の端の涙を腕で拭った。ヒースを見ると、またぷっと笑う。どうやらツボに入ってしまったらしい。またしばらくクツクツと笑ってから、再び顔を上げた。
「変な奴だな。警戒心が強いカイネが懐いてるから変だと思ったが、理由が分かった」
「警戒心が強い? カイネが?」
嘘だろう。ヒースが驚いて聞き返すと、ヴォルグの眉間にまた皺が寄ってしまった。
「この集落の獣人は、誰一人あいつの友人になれてはいないのはお前は聞いていないか?」
「……何となくは、聞いてるけど」
でも、それは多分ヴォルグがカイネの周りにずっといるからだと思うのだが、違うのだろうか。でも、さすがにそんなのは本人には聞きづらい。ミスラとザハリの縁についても純粋に喜んでいたあたり、多分カイネに他の獣人が近づかないのも自分の所為だとは思っていない可能性が高かった。
「カイネは、どうも他の奴らと仲良くなるのが出来ないらしくてな」
ヴォルグが、何かを語り出した。
「……そうなんだ」
とりあえず、そう答えることにしておいた。嫉妬して風呂場に乗り込んできたのを、忘れたとは言わせたくはなかったが。
「カイネはどうも、獣化出来ないことに劣等感を抱いているらしいんだ」
「それはそうみたいだね」
「だが、獣化などせずともあいつには出来ることがある。お前も見ただろう? 縫合はかなり細かい作業なんだが、獣人の男共は大抵不器用でああいったことが苦手でな」
これまでのむすっとした態度から一変、ヴォルグがいきなり雄弁になった。これはまさか、ずっと誰かに喋りたかったが話す相手がいなかった……とかなのだろうか?
確かに、ヴォルグのカイネに対する想いはどうも誰一人気が付いていない様だから、そういう意味では、カイネについてあれこれ話す相手がこれまでいなかった、というのは理解し得る。だが、ついさっき人の喉を掴んだりした相手に対し、何故ここまでいきなり態度を変えたのか。
ヒースは心底謎に思い、首を傾げたくて仕方なかったが、まあそれもおいおい分かるだろう、ととりあえず横に置いておくことにした。
「女の人は出来るってこと?」
「女性は刺繍をしたり布を織ったりと器用だが、一族の決まりでな、そもそも荒事に関わらせないことになっている」
「怪我の治療も駄目なの?」
ヒースの質問に、ヴォルグは首を横に振る。
「いや、傷口を洗ったり薬を塗ったりは誰だってやる。だが、伴侶がいる女性を他の男性に過度に触れさせることは禁忌とされている」
「あー、そういうのがあるんだ」
そういえば、ミスラもカイネの傷に薬を塗っていた。それ位ならいい、ということなのだろう。それとも、あれもミスラが特定の相手がいないからだったのだろうか。
傷口の縫合となると、場所が場所なら際どい部分だって見せることも触ることもあるだろう。そういう意味では、未婚女性にもさせる訳にはいかないのかもしれない。
獣人族は、なかなか色々と面倒くさい決まりがあるようだ。炊事場にも入るなと言っていたし、男性が強い分、その庇護下にあって所有されているという認識が人間よりも強いのかもしれない。
「だから、手先が器用な男というのは、こういう時に非常に役立つ」
「だからカイネを探してたってことか」
「そういうことだな」
ようやく得心がいった。カイネは、獣化出来ない代わりに、人間の血を引いている分細かい作業に向いているのだろう。ヴォルグは、そこを誇れとカイネに言いたいらしいが、肝心のカイネが頑なに獣化に憧れを抱いている、そういうことか。
「自信を持て、と言いたいんだが、あいつも俺にはやたらと反発してくるから、俺もついキツイ言い方になってしまってな」
多分、それが原因じゃない。原因は、ヴォルグがカイネに対して所有権の様な愛情表現を見せまくっているからだ。
だが、それを言ったらまた首を絞められるかも。ヒースは、念の為抱えている足の中に首を出来るだけ埋めた。どうか掴まれませんように。
そして、言った。
「ヴォルグの許嫁は、アイネでしょ?」
「……そうだが?」
そうだが、じゃない。ヴォルグは、何を言っているんだとでも言いたげな表情だ。
「ええと、カイネはアイネのお兄さんなんだから、ヴォルグの結婚相手じゃないでしょ?」
「そうだが?」
「カイネのこと……好きなんだよね?」
「ブホッ!」
ヴォルグが吹き、そっぽを向いた。眉間に物凄い皺が寄っているが、月明かりの下でも顔が赤くなっているのが丸わかりだ。
「……もしかして、竜人族の所に行くのも、その辺りに関係がある?」
「だから! どうしてお前はそう見たかの様なことを言うんだ!」
またカイネと同じ様なことを言った。ヴォルグの思い切り不貞腐れた横顔を見ると、何とも言えない気分になった。
ヒースがじっとヴォルグを見つめていると、ヴォルグが時折ちら、ちら、とヒースを見、やがて諦めた様に長い深い溜息をついた。
「……カイネにいいところを見せたら、今度こそ俺のことを尊敬して頼りに思ってくれるんじゃないか、と思って」
なんてこった。ヒースの口が、パカッと開いた。膝で隠れて見えなくてよかった。これは開けるのは阻止出来なかった。
「アイネを連れ去った竜人族をやっつけたら、アイネは戻ってくるし、俺はカイネに頼りになる強い奴だということを証明してみせることが出来る。俺は、俺は……」
ヴォルグの背中が、丸く縮こまった。
「俺は、カイネに好かれたいんだ。どうしても、どうやっても諦められないんだ」
ヴォルグの困った様な顔は、照れているのだろう。と同時に、本当に困っているのかもしれなかった。何をしてもどうしてもカイネに目が行ってしまうのだろう。ニアという女性を好きになったヒースには、そのどうしようもない気持ちは理解出来た。
「……アイネが戻ってきたら、アイネと結婚するんでしょ?」
ヒースが尋ねると、ヴォルグは頷いた。
「そう、決められているからな」
愛していなくとも、許嫁である以上は結婚する意思がある、ということだ。族長が決めたことならばこれが当たり前のことなのか、それとも特殊なことなのか、ヒースにはそれを判断する材料が欠けていた。
「カイネにもし好きな人が出来たら、ヴォルグはどうするの?」
今度こそ、ヴォルグは本当に困ってしまったのだろう。情けなく眉を垂らし、俯いてしまった。ヴォルグも、頭では分かっているのだ。ヴォルグひとりが騒いでいても、どうもならないことを。それでもどう頑張っても好きなことをやめられないことを。
「……相手が女なら、許す」
意外な答えが返ってきた。
「それをティアンが受け入れるなら、俺は従うしかないだろうしな」
「そっか……」
「だが」
恐ろしい形相で、ヴォルグがヒースを睨む。
「相手が男なら、俺は容赦しない。捕まえて、四肢を引き千切って食ってやる」
その言葉で、何故ヒースが急に警戒を解かれたのかが分かった。ヒースに好きな女性がいると言ったからだ。だからだ。
ヒースが何と答えようかと戸惑っていると、下の方からザワザワと賑やかな話し声が聞こえ始めた。どうやら、レイスの治療が終わったらしい。
ヴォルグが、途端にいつもの表情に戻った。
「――他言無用だ。分かっているな」
「……言えないよ」
「ふん」
ヴォルグは鼻で笑うと、また何も言わずにヒースをひょい、と肩に抱えたのだった。
次話は連休明け火曜日に投稿予定です。




