預けられた大事な物
怪我をしたレイスという若い獣人の男の叫び声がまだ響く中、ヒースとミスラが炊事場から戻ると、シーゼルがにこにこしてヒースを出迎えてくれた。
「おかえりヒース。顔色がよくなったね」
そんなシーゼルの横では、ザハリがぐったりとした顔をしていた。とりあえずは何とかなったらしい。詳細を聞くべきかとは思ったが、話が長くなりそうだったので、ヒースは後回しにすることに決めた。
「遅い!」
苛立ちを隠そうともせず、ヴォルグが重そうな身体に似合わず音も立てずにヒースの目の前まで跳躍してくると、ヒースの襟をむんずと掴んでずるずると引っ張っていった。服で首が思い切り絞まる。
「ヴォ、ヴォルグ苦しい!」
「ではきびきびと歩け!」
「いきなりだもんなあ……ぐほっ」
ヒースが思わずぽろりとこぼすと、ヴォルグがぎろりと睨んだ。全く、この人も勝手な人だ。ヒースはこれ以上首が絞まらない様、とりあえず引っ張るヴォルグの腕にしがみついて難を逃れた。
そしてレイスを囲む獣人達の前に連れてくると、カイネの傍らに置いてあるひと粒の酔木を指差す。
「やれ」
「さっき教えたじゃないか」
「完成形が分からん。失敗は許されないからな」
「俺だって、細かいところまでは見てないよ」
「レイスに万が一のことがあったら、お前の所為だ」
ヒースは絶句した。なんという強引さだろうか。ヒースは全力で半ば獣化しながらレイスを押さえつけている獣人達と、縫合の為だろう、針を用意しているが暴れられて傷だらけになってしまっているカイネの腕を見た。その時、レイスが負ったという傷口も見た。
止血の為だろう、腕の上の方は紐状の布でぎゅっと縛られているが、辺りは血だらけだ。寝かされた台の上の敷物も血まみれになり、肘に近い部分の皮膚が裂け、赤い血と共に抉れた肉と、骨まで見えた。
あれは痛い。ヒースは思わずごくりと唾を呑み込むと、ヴォルグに向かって言った。
「ナイフと、火種と、あと燃えにくい紙か葉っぱをすぐに用意して」
「火なら俺が点けてやるぞー」
遠くからザハリが挙手した。ヴォルグがザハリをちらりと見ると、自分の脇に差していた短剣をヒースにむき身のまま渡す。刺される、なんて思わないんだろう。ヴォルグにとって、ヒースはか弱い人間に過ぎないのだから。ヒースは短剣の柄を素直に掴んだ。
「たばこを吸ったりとかは?」
「我々獣人はたばこは吸わん。嗅覚が鈍るからな」
ヴォルグが眉間に皺を寄せたままそう言うと、ミスラがポンと手を叩いた。
「あ! 前に竜人が来た時に置いていった物があるよ!」
「竜人が置いていったもの……?」
ヴォルグが不審げに問うと、ミスラがぱっと炊事場へと走って行く。すぐに戻ってきたかと思うと、手に透明のガラスで出来たパイプを持ってきた。どう見ても、たばこ用にしか見えない。えらく凝った作りの様で、金色の蔦模様が表面に描かれている。物凄く上等そうな一品だ。
そういえば、作業現場でも竜人はたばこを吸っていたかもしれない。でも、こんな高級そうなやつじゃなくて、紙をくるくる巻いたやつだった様な。ヒースは曖昧な記憶を頑張って引っ張り出そうとしたが、恐らく興味がそれほどなかったのだろう、それ以上は思い出せなかった。
ミスラが、興奮した顔で言った。
「次に来るまで、大事に取っておいて欲しいって渡されたんだよ! まあ使うなとは言われなかったから、使っちゃっていいんじゃないかい!?」
ミスラがそう言ってそれをザハリに渡すと、ザハリの表情が思い切り歪んだ。
「ミスラ、大事に取っておいて欲しいって、その竜人はお前に言ったのか……?」
「え? うん、そうだよ。割れ物だからじゃないかな? そんなに大事なものだったら、国に置いておけばいいのにねえ」
あはは、とミスラは笑うが、ザハリの表情はどんどん恐ろしげなものへと変わっていってしまった。元が怖い顔だから、余計に怖い。
「それは一体どこのどいつだ、俺が会った瞬間燃やしてやる……!」
嫉妬にまみれたザハリの態度にも、ミスラは全く気が付かない。この辺はさすが獣人である。ヒースはとりあえず置いてあった酔木の玉を手に取ると、ナイフを使って細かく削り始めた。レイスの苦しげな声は枯れてしまっていて、聞いているだけで焦燥感に襲われる。少しでも早く、楽にしてあげたかった。
なのに、あっちは呑気に嫉妬をしている。ヒースは溜息をついた。
「本国の王都にいるとか言ってたかなあ? ラムダンっていう奴で……」
「ラムダンだな。分かった。ラムダンという名前の竜人に会い次第、殺す」
「殺す? 一体どうしたんだい、ザハリってば」
「ミスラは本当ミスラだよなあ……」
はあ、とザハリも溜息をついた。とりあえず今なら声を掛けても大丈夫そうだと判断したヒースは、ザハリを呼んだ。
「ザハリ! 来て!」
「へいへい! 行くよ!」
まだ腹立たしそうな表情を浮かべたまま、ザハリがヒースの元に来た。
「寄せて」
「はいよ」
パイプの先端にあるたばこを入れる部分に、出来るだけ細かく削った酔木をパラパラと入れる。
「ザハリ、火を点けて」
「おうよ」
パイプを持つヒースの手の上に手を重ね、ザハリが酔木をじっと見つめる。きれいな黄緑と黄銅色の間の瞳が瞬きもせず一点を見つめ続け、そして。
ぽ、と小さな火が点いた。
「……小せえのはやりにくいんだよ」
ぼそりと呟くザハリ。火は徐々に木くずに燃え移り、段々とその炎が大きくなっていく。もういいだろう。ヒースは頷くと、ふーっと息を吐いて火を消した。
「確かにちょっといい匂いはするなあ」
ザハリはそう言うと、ミスラの元に戻っていった。ヒースはカイネの元に急ぐと、パイプをカイネに渡す。
「これを吸わせて。多分、少量でいいと思う」
「分かった。ありがとうヒース」
カイネがパイプを受け取ると、ヒースは邪魔にならぬよう一歩下がった。カイネはパイプの吸口をレイスの口元に持っていくが、レイスは全く焦点が合っておらず、息も荒くとてもじゃないがパイプから吸うなど出来そうにない。襲った魔物に毒でもあったのか、かなり錯乱している様だ。
すると、カイネがヒースを振り返った。
「ヒース、これは獣人は酔うんだな?」
「うん。カイネは半分だから酔いにくいとは思うけど、吸い込まない様に気を付けた方が……」
「では僕が適任だな! 身体の中に入れないよう気を付ける。分かった、ありがとう!」
「へ?」
カイネは興奮気味にそう言った途端、なんとぱくりとパイプを口に咥えてしまったではないか。
「ちょ! ちょっとカイネ様、何を!?」
「カイネ様、何を血迷ったんです!」
手足を押さえていた男達が、驚愕の表情で次々にカイネに向かって言う。カイネはそれを手だけで制すと、口の中に煙を吸い込んで頬を膨らませ、レイスの顎を掴んで固定した。
あ、何をするのか分かった。ヒースは、そうっと隣で見ていたヴォルグを盗み見た。多分、まだヴォルグは気付いていないのだろう。だから、何をするのか、といった不思議そうな表情を浮かべているだけだ。
ヒースは一歩分、距離を取った。とばっちりを喰らいたくはない。
ヒースがヴォルグから離れた瞬間、カイネがレイスの口をぱかっと口で覆い、中に煙を押し込み始めた。バタバタしていたレイスの動きが、段々と治まってくる。効いているのだろう。
「カ……カイネ……?」
横から、ヴォルグの唖然とした声が聞こえた。もう一歩分、離れた方がよさそうだ。
ヒースがそっと更に離れようとしたその瞬間、ヒースの襟首を伸びてきたヴォルグの手が掴んだ。
次回は明日、書けたら投稿します!




