会いたかった人
シーゼルの許可が降りたところで、ヒースはカイネの背中におぶさった。
「カイネ、宜しく!」
「ああ、任せろ」
ヒースのドキドキは治まらなかった。ニアと離れてまだ数日だというのに、もうこんなに寂しい。同じ気持ちをニアが持っていてくれたら嬉しいが、果たしてどうだろうか。
ニアにサッとキスを残していったけど、あの時は好きだという自分の気持ちがはっきりしていなくて、何も言わないまま離れてしまった。ニアは混乱しなかっただろうか。ヒースのことを嫌だと思わなかっただろうか、と急に不安に襲われた。
カイネがヒースの足を持つ手に力を込めると、少し助走を付けてから、ダン! と地面を蹴った。ふわ、と身体が持ち上がったかと思うと、壁をひと蹴りして今度は反対側の岩壁に触れ、衝撃を足で吸収し、また反対側の岩壁に向かってどんどん上へ上へと飛んでいく。跳ね返る瞬間、どうしても胃がひっくり返りそうになるが、前よりは少し慣れたのか、吐き気までは移行しない。
トン、とカイネが岩壁の上へと着陸した。前にカイネと二人で語り合った場所と雰囲気はよく似ている。ボコボコの岩の地面が、ここはまるで生き物が住む場所ではないと言っている様だ。
カイネは今度は少し前傾姿勢になると、一気に駆け出した。相変わらず早いし、それに軽い。この身体能力の高さは心底羨ましかったが、欲しがったところで絶対に手に入れることは出来ない種族の差がそこにはある。ないものねだりをしていても仕方がないから、ヒースはヒースにしか出来ないことを模索していくしかないのだろう。
カイネは猛スピードで岩場の上を走り抜けていく。段々と上に傾斜していくが、それすら全く何の問題もなさげに軽やかに進む。
「あの天辺が、前にヒースと話した場所だ!」
大分離れた先にある崖の上を視線で教えてくれたカイネは、再び跳躍を始めた。前方上方向に、低く長く。
その動きはちょっと胃にくるやつだったが、ヒースは腹筋に思い切り力を入れることでそれをやり過ごすことにした。
風が耳に冷たいが、ニアに近付いていると思うと気持ちが逸り、ヒースの身体に熱を溜めていく。
少しずつカイネが上へ上へと飛んで行くと、段々と目的の場所が近付いてきた。そしてどんどん空が赤みを増していく。ヒースは、気持ち悪くなる胃から意識を他所に向けるべく、空を大きく見上げた。赤の色の中に、ニアの瞳の様な紺色の一角があった。ニアの髪の毛の様な橙色の空が、段々とニアの瞳の色に染まっていく。空の色も世界も全て、もしかしたらニアで説明出来るんじゃないか、と思うと、空すら愛おしく思えてきた。
「もうすぐだから、吐くなよ!」
「う、うん、頑張る……!」
カイネに励まされ、ヒースは耐えた。これってどうやったら鍛えられるんだろうか。ヒースには分からなかった。
頂上まで辿り着くと、カイネがヒースをそっと降ろしてくれた。ヒースは思わず膝を抱えてしゃがみ込んだ。
「ま、待ち合わせの場所は……?」
それを聞いたカイネが、苦笑いを見せた。
「もう少し先だけど、ヒースの具合が悪そうだから降ろしたんだ。後は人間の足でも歩いていける程度だからな」
「そ、そうなんだ……ごめん」
随分と気を遣わせてしまったらしい。ヒースがそう言うと、カイネがあはは、と笑った。声を聞いている分だけには、どこをどう取っても男である。
「落ち着くまではそうしていた方がいい」
「うん……」
ヒースは、しゃがみながら深呼吸を繰り返した。真っ白い酔った顔でハンに会ったら、まあ確実に心配される。ハンとは昨日の早朝に別れたばかりだというのに、もう大分昔のことの様に思えてきた。
ニアと離れてからは、凝縮された様な目まぐるしい日々がひたすら続いた。でもまだ続く。ヴォルグとも話して、蒼鉱石の剣だって折角の学ぶ機会だから完成させたいし、もうすぐ満月だからそれまでにジオをあの場所まで何とか連れて行かないといけない。それから、今度はシオンを連れ出さないとならないし、やることは山積みだ。休んでいる暇はない。
だからせめて、少しの間だけでもニアの気配を感じていたかった。
ヒースは、ふ、と目線を上げた。
「――ニア?」
空を見上げると、ニアの髪の色の様な燃える炎の様な色。その空から、華奢な一人の人の姿が浮き出てきた。
ヒースは、ふら、と立ち上がった。
「ヒース、どうした?」
カイネがヒースの視線を追い、空を見上げてハッと息を飲んだ。
「あれは……妖精族?」
少し離れた上空をふわりと飛んでいるのは、ニアだった。今ここまで上がってきたばかりなのだろうか、その下辺りにハンが羽根をしまっている姿も見えた。
ヒースは駆け出した。ただひたすらニアを見つめながら。
「ニア……ニア、ニア!!」
ヒースの声が聞こえたのだろう、ニアが宙に浮いたまま振り返った。大きな瞳が、ヒースを捉えた。ヒースは時折飛び出ている岩に足を取られながらも、必死でニアの元へと走る。転んで手をついて、また立ち上がってとにかく走った。
ニアはどんどん下に降りてきて、互いの顔がはっきり見える距離に来た時、あの大きな花の様な笑顔に変わった。
「ヒース! 来たよ!」
ニアの足が、地面に着く。もう、あとちょっと。ヒースは半ば転びながら、ニアに駆け寄り。
「ひっ」
ガバッとニアをきつく抱き締めた。ニアの羽根がふわふわと風に揺れ、ニアの背中と頭に回されたヒースの腕にさわさわと触れて、少しくすぐったい。
「ひ、ヒース! 私、暫くお風呂入ってな……」
「ニア、会いたかった……!」
腕の中に、会いたかったニアがいた。細くて折れてしまいそうな小さな肩。でも柔らかくて、まるで光の塊の様な、ヒースの太陽。
「淋しかった、会いたかった……!」
「ヒース……泣いてるの?」
ヒースの声は、泣き声に変わっていた。涙は殆ど出ていないが、喉がきゅっとしまって鼻がツンとして、どうしたらいいか分からなくなった。だから、ヒースは無言でうんうんと頭を上下に動かした。
「ええと……よしよし」
ニアが笑う気配がしたかと思うと、ニアの両手がヒースの背中に回されて、規則的にトントンと軽く叩かれる。すると、こわばっていた身体の力が徐々に抜けていくのが分かった。ああ、これだ。この人だけが、ヒースを一瞬で安心させることが出来る。
「大変だったね」
「……うん、淋しかった」
「怪我、しなかった?」
「うん、大丈夫。ニアは?」
「私は大丈夫だよ」
互いに、暫し無言になる。ヒースはニアを更にきつく抱き締めた。
「ヒース、私臭うよ。頭も痒いし」
「関係ないよ」
つい昨日までは、ヒースだって同じ状態だった。それにニアの匂いは全然悪くない。
「ニア、俺に会いたかった?」
「それはそうよ。ずっと心配してたんだから。それなのに着いたらヒースはいないし」
「俺、ニアが来たのが分かったよ。今朝着いたでしょ?」
ヒースがそう言うと、ニアが「えっ」と言って埋めていた顔を離し、ヒースを驚いた顔をして見た。
「凄い! 分かったの!? えっじゃあやっぱり私の属性ではなくヒースの属性が何かしら関係が」
「ニア」
「私のことが分かったっていうことは、やはり髪の毛を交換すると感度が」
「ニアってば!」
「あっはい! なに!?」
ニアはちっとも変わらない。研究大好き、考察大好きな可愛い人のままで、数日しか経っていないというのにヒースは懐かしく思って、また涙が滲んできた。
「ヒース、泣かないで……」
ニアが困った顔をしたので、ヒースは少し期待しつつ聞いてみることにした。
「ニア、おまじないして」
ヒースがそう言うと、ニアの顔がみるみる内に赤くなってしまった。
次回は月曜日投稿予定です!




