獣人とは
カイネが呆れた様に言った。
「まだミスラの周りを彷徨いているんだろう。呼んでくる」
「一緒に行くよ」
「……そうだな、皆で無理やり引き剥がそう」
自分に気のない相手によくあそこまで出来るものだとヒースは感心しつつ、カイネの後について階下へと向かう。感心はするが、真似したいとは思わない。ヒース自身は、ニアに嫌われる様なことはしたくはなかった。
先程食事をした一階の広間に行くと、そこはがらんとしていてザハリもミスラもいなかった。
「片付けが終わったらミスラはいつも帰るんだが」
カイネがそう言いながら辺りをぐるりと見回して、炊事場の入り口の方を見てぎょっとした。ヒースがカイネに続いてそちらを見ると、あらら。壁に押し付けられたミスラに覆いかぶさる様にして、ザハリがミスラにキスをしているじゃないか。
二人共目を閉じているからか、こちらには全く注意を払っていない。これは、ヒース達がいることに気付いたらミスラあたりが泣いてしまうんじゃないかとヒースは危惧した。
ヒースがカイネの袖をツンツンと引っ張り後ろに行こう、と親指をクイクイしてみせると、焦った表情のカイネが慌てた様にこくこくと頷いた。とりあえず向こうから見えない所に避難だ。幸いというか、長々とキスをしているのでまだ大丈夫そうだ。
すると、遅れてやってきたシーゼルが通路を覗いて一言、発した。
「嫌がってた様に見えたのに、あれはふりだったみたいだねえ」
そしてあはは、と笑った。
その瞬間、ミスラがとんでもない力でザハリを床に投げ捨てるのが見えた。さすが獣人。ザハリは炊事場の奥へとザザザザーッと音を立てて消えていった。
「いっ……いってええ!」
奥からそんな声が聞こえた。とりあえず無事な様である。
ミスラが口を拭いながら、真っ赤な顔をして必死で言い訳を始めた。
「こっこれは違うんだよ!」
「ミスラ……ザハリとそういう関係ならば、僕は祝福しよう」
カイネはくそ真面目な表情で、ミスラを追い詰める様なことを言った。悪気はないのだろう。こういうところは、いかにも獣人である。よし、何となく獣人がどんななんだか掴めてきた気がするぞ。ヒースは心の中で何度も頷いた。
「ち、ちがーう!」
ミスラは真っ赤な顔に涙を浮かべながら叫んだ。
カイネはそれを見て、優しく微笑みかける。
「いいんだミスラ、人間のザハリと番うのには抵抗があるのかもしれないが、二人の子は僕の様に苦労をしない様、僕がしっかりと混血の身分向上を」
カイネはやっぱり聞いちゃいない。横を見ると、問題発言をしたシーゼルが「何が起きてるの?」という表情を作って肩を竦めてみせた。この人、絶対分かってる。ヒースは大きな溜息を心の中でついた。
背中を擦ったのだろう、痛そうにさすりながら、通路の奥からザハリがヨタヨタと歩いて戻ってきた。
「ミスラ、いきなり吹っ飛ばすなよ」
ザハリが不貞腐れ顔でミスラに不服を述べると、ミスラがザハリを振り向いてビシッと人差し指で差した。
「おっ! お前が! まだキスしたことないのかとか言うから! 一度しとけば箔が付くからって言うから!」
とんでもないことをのたまった方も問題だが、それを鵜呑みにする方もかなり問題がありそうだ。
「で、素直に言われた通りにしちゃったの?」
ヒースがミスラにそう尋ねると、ミスラはぐっと詰まった後、――こくりと頷いた。ヒースが何をどう言えばいいのかさすがに咄嗟には出て来ずに黙っていると、全く懲りてなさそうなザハリがミスラの横にやって来たと思うと、ミスラの肩をポンと叩いた。
「でも、未経験と経験済とじゃ違うのは分かっただろ?」
「あ、ああ、それは確かに!」
ミスラが赤い顔のまま素直に認めているのを見て、ザハリの飄々とした表情の中に少しだが歓喜の色合いが窺えたのにヒースは気付いた。歓喜というか、これは一体どういった種類の感情だろうか。必死で抑え込もうとしているのは分かったが。
もしかしたら、征服欲とかだろうか。ヒースにはその感覚は分からなかった。
ミスラはザハリに向かって続ける。
「周りの女達が言っていたのはこういうことだったのだな、というのが感覚で掴めたよ!」
「ああ、そりゃよかったなミスラ」
しれっとそんなことを言っているザハリに対し、ミスラはうんうんと頷き返している。ヒースは、ミスラのことが心底心配になった。カイネはいまいち理解していないのか、ぽけっと見ているだけだ。
すると、シーゼルがすっと音もなくヒースの隣にやって来ると、小声で言った。
「あの方法でキスしちゃうんだったら、ザハリなら最後までいけちゃうんじゃない?」
ヒースは重々しく頷いた。いける。多分いけてしまう。
「ちょっと拙くない?」
ヒースもヒソヒソ声で返すと、シーゼルは首を可愛らしく傾げた。
「別に獣人の女の貞操なんて僕にはどうでもいいかな」
言い切った。この人、言い切ったぞ。ヒースは内心愕然としたが、勿論そんなことはおくびにも出さない。
「だってミスラはヴォルグの姉だろ? 万が一ヴォルグにバレたら、ザハリが殺されちゃうんじゃ」
いくら火の魔法が得意だからといって、人間対獣人では本気の獣人に敵う訳がないのは自明の理だ。
すると、シーゼルがまたとんでもないことを言った。
「え? そもそもあのヴォルグって奴、彼女に興味あるのも疑わしくない?」
「え? なんで?」
シーゼルはまだ何かを話しているザハリとミスラをちらりと見ると、ヒースの耳に更に顔を近付けた。ヒースもそれに倣い、耳を傾ける。
「だってさ、僕が知ってる限り、獣人って婚期早いよ。魔族の国の成人って十六歳だって聞いたことあるけど、十六歳の誕生日と共に結婚するのが一般的らしいし」
「……シーゼル詳しいね」
「例の竜人が教えてくれたよ。聞けば何でも教えてくれたし」
ふふ、と艶やかに笑うシーゼル。さすがは竜人を落とした男だ。
「ヴォルグもミスラも、もっと上だよね? ヴォルグの姉だからってミスラに言い寄ってくる人がいないからって、別に結婚させたいなら適当に見繕って充てがえばいいじゃない」
「……確かに」
ヒースは、家族との縁は薄い。しかも一般的な貧乏な家庭に育ったので、家同士の繋がりとか子孫を残すとかいうのは正直よく分からないので、シーゼルの客観的な意見は貴重だった。シーゼルは個人個人に深く関わろうとはしない代わりに、こうやって客観的に物事を見ることが出来る。
「それなのに、ばあやさんだっけ? その人が年取って面倒を見れなくなったからってここに寄越すってことは、都合よく使ってるだけだよね?」
シーゼルはそう言うと、ミスラをちらりと見た。
「それってつまり、彼女は自分の所有物だから好き勝手に扱ってるってことじゃないの?」
「……それは、そうかもしれない」
「あの子、それに疑問を感じてない辺りが残念だよね」
最後に余計なひと言を吐いたが、まあそこはシーゼルだ。でもシーゼルが言っていることには説得力があった。
獣人の考え方は、人間の立場からしてみると理解し難いものだ。とにかく力がある者が上に立ち、それに抵抗するなど考えはしないのだろう、ミスラについても、ヴォルグがやれと言うから素直にそれに従っており、疑問にも思っていないのかもしれない。アイネのことを溺愛していると聞いているから、いずれ義姉妹となるアイネの面倒をみるのは当然だと思っていそうだが。
つまり、とにかく獣人は家長の意見が一番なのだろう。その下の者は、従うのが当たり前。
ヴォルグはあまり細やかな性格ではなさそうなので、もしかしたらミスラを大事に思っていない訳ではなく、先程のティアンの様に、全く状況を把握していないだけなのかもしれないな、とヒースは思った。
次話は明日、投稿できたらします。




